恋慕と遺恨は回帰する
――――――――は?
「一週間前。自室で、一酸化炭素中毒死だって。有り得ない話だよね。どうやったら部屋の中で一酸化炭素中毒になるかって。火事でも起きたわけじゃあるまいに。……って、縁野氏、だいじょぶ?顔真っ青だけど」
鳥海が心配そうに顔を覗き込むが、視界に入り込む彼女に意識のピントが合わない。呼吸が浅くなり、息が苦しくなる。呼吸困難?怪異がまた私に?いなくなったはずなのに?問題は解消されていなかった?
足元がおぼつかず、体勢を安定させるように膝を曲げて姿勢を低くする。鳥海は私の背中をさすりながら、だいじょぶかー?すんこきゅーすんこきゅーと私に声をかけてくれたおかげで、私は呼吸を整えて落ち着くことができた。大丈夫。これは怪異のせいじゃない。軽く気が動転しただけだ。
「ごめんねペリカン、失恋のショックまだ引きずってた感じだったか?」
「いや、そういうわけじゃないから。そういえば、目白さんもここ2、3日欠席してたような。あんた、何か知ってる?」
「わしゃあ情報屋じゃないぜ?なんでも知ってるわけじゃない。知ってることだけしか知らないですぜ旦那」
「情報屋じゃないならあんた何者なのよ」
「どこにでもいるしがない可愛い系女学生でーす」
「ロリ系でしょ?」
それ言っちゃいけないやつ!!と言い、眼鏡を外してメンチを切ってきたのでデコピンで返した。鳥海はおでこをさすりながら周囲に聞こえない程度にひっそり呟く。
「目白さんもどこからか話を聞いてショックを受けて休んでるのかもね。付き合いたての彼氏が急死したんだもん。そりゃ学校行く気なんて起きないよ。ペリカンの前で、それに死人をとやかく言うのは悪いと思うんだけどさ、雲雀君もけっこう罪作りな男子だよね。ペリカンに、目白さん、それに目白さんの妹さん、他に何人もの女の子に好意を抱かれては泣かせてきたツケが返って――」
「ちょっと待って。目白さんの妹?」
鳥海はバツが悪そうに言い淀みながら視線を泳がせる。
なんなのと強めの口調でに催促すると、静かにというように人差し指を口元に当ててこっそりと耳打ちする。
「目白さんには1学年下の妹さんがいたんだけど、妹さんも雲雀君のこと好きだったらしいよ」
……………………なんだこのせり上がる違和感と気持ち悪さは。
背筋から何かが這い上がってくるような気持ちの悪さ。頭の裏側で何かが引っかかっているような、良くない何かを見落としていた時のような、あるいはすでに手遅れの段階にある何かに気づいてしまった時のような。聞きたくない聞きたくない。
それを知ってしまったら、また恐ろしく暗くて遠い世界に閉じ込められてしまう気がして。それでも意識の先端は鳥海の口先を追ってしまう。
「その妹さんも、交通事故で亡くなったのよ。1,2月頃だったかな。バレンタインデーより少し前の出来事。学年集会で生徒の交通事故に関する話があったけど覚えてない?あれ、目白さんの妹さんの死亡事故だったんだよ」
あったようななかったような。記憶が朧気ではっきりと思い出せないが、凄い嫌な予感が脳内を這い回る。妹さんの死亡事故、イースタエッグ、雲雀の死亡、消失しない怪異――
バラバラのピースが整理され、やがてそれが1つのパズルのように組み上がっていく。同時に、組みあがったパズルは、誰しもが持つ人間特有の醜悪さ、そして救えない現実を映し出す絵となる。
目白さんは、交通事故で亡くなってしまった妹が生前、プレゼント用に作っていたイースターエッグを横取りし、それを雲雀にプレゼントしようとしていたという恐ろしい1枚の絵。これはあくまで仮定の話なのだが、この仮定で理屈が繋がる。
つまり、あのイースターエッグの本来の持ち主は目白さんの妹。だから私が目白さんにエッグを返しても怪異は消失せずに未だ残っていたのだ。そしてその呪いが現在の持ち主である雲雀を襲ったということ。しかし、同じ盗人である私は目白さんを責めることはできない。私だけではない。あのエッグを我が物として他人に渡した雲雀や小鳩先輩も同様に目白さんを責められる立場ではないだろう。
であれば、次に怪異に狙われるのは妹に盗みを働いた目白さんだ。
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私は急いで職員室に向かい、担任の先生に、ノートの写しを目白さんに見せたいからと適当な口実を作って彼女の住所を教えてもらい、走って彼女の家へ向かった。
彼女の家へ向かう最中、思い出したようにスマホを取り出し、夕闇さんに息を切らしながら電話で事の顛末を伝えると、私もそっちに行くわと言って電話を切られた。
住宅街の中の戸建ての一軒家、表札に目白と刻まれていた。ここだ。インターホンを押したが反応はない。親は仕事で外出中、目白さんもどこかに出かけているのだろうか。どちらかがすぐに帰ってくるかもしれないと思い、しばらく家の前で待っていると、夕闇さんが走ってやってきた。
口から絶えず吐き出される白い吐息、身体からほんのりと立ち上る蒸気。いつもは病的なまでの白い顔が熱で紅潮している。ずっと走ってここまで来たのだろう。
「どう?」
彼女の問いに私はため息をついて首を横に振る。
「反応なし」
「窓ガラス叩き割って中に入ろうかしらね」
家の窓を睨む赤い瞳は本気のそれであることを物語っていたので、私は慌てて制した。やれやれと重いため息をついた夕闇さんは、インターホンを連打。
――ピピピ、ピピピ、ピピピ、ピンポーン。
インターホンによる善意の暴力。繰り返し何度試みるも、誰も出てくる様子はなかった。
「今日のところは諦めましょう。そしてあの呪いのエッグが亡くなった目白さんの妹のものである可能性が高いと分かった以上、神社でのお焚き上げによる処分しか解決方法はないわ。雲雀君が死んだということは、あのエッグは自動的に前所有者である目白さんの手元に戻ってきているはず。彼女と連絡が取れ次第、エッグを回収しましょう。いいわね」
「うん、分かった」
「こんなことなら依頼を受けた時に彼女の連絡先を交換しておくんだったわ。そうすれば私が新しい持ち主としてちゃんと受け取ることもできたのに」
「目白さん、占い部の部室に相談には来なかったの?」
「最近は色々用事があって部室を空けていたのよ。だから私に相談しに来たくても来れなかったのかもしれないわね」
「エッグだけ部室に置きっぱなしにして逃げちゃうってことはしなかったんだね」
「今回の怪異の特性について、以前あなたに話したと思うけど、これは正当な取引や双方の合意があって所有権が移転されないとエッグは直前の持ち主に戻ってきてしまう。誰かに押し付けようとしたところで、相手の合意がない限り、結局は自分のところに戻ってきてしまうのよ。廃棄しようとしてもね。裏を返すと、口頭でもメールでも電話でも、相手が受け取りに合意さえすれば取引が成立するということね。私がメール一本送ってエッグの受け取りに合意さえすれば、こんなに慌てて全力疾走せずに済んだものを……。とはいえ、彼女も死んだ妹さんが作ったエッグを利用していたんだものね、彼女も罪を追ってしかるべきというものかしら」
夕闇さんは冷めたように鼻で嗤った。その半ば嘲るような吐息がじんわりと心に染みる。そんな私の様子を察してか、夕闇さんは優しく撫でるように言葉を紡ぐ。
「もしまた何かあったら私にすぐに連絡をしなさい。あんまり自分を責めないように。あなたは自分のできることをやったと思うわ。もうここから先は私の領分よ。今日はもう帰りましょう」
不気味なほどに物音一つしない目の前の一軒家をちらりと横目で見送った後、夕闇さんは来た道を引き返していく。私も少しの間、何か不穏が顔を出さないか家の窓を注視していたが、小さく息を吐いて夕闇さんの後を追い、帰路についた。
自宅に着き、自室に直行しようと部屋のドアノブをひねろうとした時、嫌な気配をドアの奥から感じる。誰もいないはずの部屋の向こうから、”おかえり”という声が聴こえたような気がしたから。
そんなはずはない。そんなはずはないのだ。
ドアを開いた先には誰もいなかったから。
不自然な点も見当たらなかったから。
机の上に置かれた、いや、私の元に戻ってきてしまったイースターエッグ以外は。
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恐怖よりも、堆積した疲労の重さに脱力した。非日常的な存在に振り回され、人間関係に辟易し、自分の罪と向き合い、問題を一つずつ片付け、でもやっぱりダメで。ベッドに腰をかけて目を閉じ、暗くなった視界の中で、なぞるようにこれまでの道筋を振り返る。この呪いのエッグに何人巻き込まれたんだろうか、いや、何人の罪が積み上がってきたのかと。
目白妹(死亡) ⇒ 目白姉 ⇒ 私 ⇒ 雲雀 ⇒ 小鳩先輩(負傷) ⇒ 先輩の彼女 ⇒ 占い部 ⇒ 私 ⇒ 目白姉 ⇒ 雲雀(死亡)
雲雀が死亡して目白さんに戻っていったエッグが私の元に戻ってきたということは、目白さんはすでにもう…………。昨日は私の部屋に戻っていなかったから、恐らく目白さんは今日……。
ポケットに入れたスマホを取り出し、夕闇さんへ電話をかけようとして手が止まる。通話ボタンを押す権利が私にあるのだろうか。他人に助けを呼ぶ事を、目白さんの妹は許してくれるだろうか。雲雀は許してくれるだろうか。目白さんは許してくれるだろうか。許してくれる誰かはいてくれるだろうか。
透明な水に絵の具を垂らしたように視界が滲んでいく。歪む視界の中でエッグが大きく小さくゆらゆらとゆらめく。エッグが私を断罪する。再び目を静かに閉じると、私の視界をゆらめかせていた雫が、目の端から頬を伝って顎から落ちていくのを感じた。
断頭台の前に立たされた罪人の心境に近いのかもしれない。不思議なほどに冷静でどこか悟ったような気分だ。死刑執行人が人間ではなく死人というのが滑稽だ。
…………………………………………ハハッ。
自嘲気味に笑ったその時、スマホが振動を持って私に呼びかける。画面に映った通話ボタンを、私の指がタップしてしまった。なんで。なんで押すのこの指は。
『あなた、今自分も死のうかなんて馬鹿な事、考えてない?』
心配というよりは、どこか悪戯めいた声色の彼女の問いかけに私は答えることができなかった。決壊したように嗚咽を漏らしながら吐き出される涙声で、まともに言葉を発することができなかったから。
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