救世主は弱者男性の君

 月曜日の放課後、私は2F占い部部室前で彼女を待っていた。

 日暮れに近い夕日が校舎を照らし、遠くに聞こえる吹奏楽部の練習らしい楽器の音色が響いてくる。呪いのエッグを持つ両手が微かに震える。彼女は許してくれるだろうか。その問いは無用というものだろう。罪人は自ら犯した罪を恥じ、反省し、悔い改める。許しというのは求めるものではなく、与えられるものだからだ。


 廊下の向こうから足音が聞こえてくる。黒縁の眼鏡をかけた化粧っ気のない地味な彼女、目白綾香が今にも悪態をつきそうな表情で現れた。私の持っている呪いのエッグを見て一瞬驚いたように目を見開き、訝しげに問いかけてくる。


「用って何?」


 その問いにどれだけの怒りと失意が込められているのか。私はそれを受け止めるように頭を下げる。


「ごめんなさい。目白さんのエッグを盗んで、それを雲雀君にプレゼントしたこと、ずっと謝りたかったの。エッグはきちんと返そうと思って持ってきた。本当にごめんなさい」


 目白さんは困惑しているのか反応がなく、私は彼女の返事があるまで下げた頭を戻さず、ひたすら地面を見続けていた。10秒ほど経っただろうか、クスクスと笑い声が頭上から聞こえてきて、私は不穏に感じて頭を上げる。


「ふーん、なるほどそういうことね。縁野さん、雲雀君と上手くいってなくて別れたみたいね。今更になって良心の呵責に苛まれて私に謝罪しに来たってところ?本当に自分勝手ね。手に持っている曰くつきのイースターエッグなんて、返されたって困る。占い部に処分してもらうように頼んだはずだけど、まさか縁野さんから返ってくるなんて。それ捨てておいてくれる?あと、謝られても盗人を許せるほど私優しくないから」


「分かった。許してくれるとは思ってないけど、どうしても謝りたかっただけ。私もこのイースターエッグについて占い部に相談しにいったんだ。このエッグに纏わりついた呪いのきっかけは、恐らく私が目白さんからエッグを盗んで恨みを買ったことがきっかけなんだろうって」


「は?これまでの不気味な現象は私のせいだって言いたいの?わざわざそんな言いがかりを言いにここに呼び出したってわけ!?」


「違う!これは全部私のせいで、目白さんは関係ない。このエッグにとり憑いた呪いは本来の持ち主ではない所有者に働くみたいなのよ。本来の所有者であるあなたの手元に戻れば、には呪いは消える。こんなに人目を惹きつけるイースターエッグをそのまま捨てるのはもったいないと思うから、目白さんがよければちゃんと返してあげようと思った」


「そんなもの、雲雀君に受け取ってもらえなければ意味がない。私が持っていたってしょうがないじゃない。雲雀君だって今更そんな不気味なエッグ受け取ってくれないわ」


「中身のエッグはそのままにして、外のバスケットとか装飾を一部変えてプレゼントすれば分からないと思うよ。目白さんが雲雀君に直接それを渡してあげれば、気持ちに応えてくれるかもしれない」


「そんな勇気があるなら初めからあなたにエッグを渡すよう頼んでない。地味な私が雲雀君みたいなかっこいい男子に声をかけても嫌がられるだけ」


「そんなことないよ。雲雀君、実は目白さんに気が合ったのよ。デートしてる最中も目白さんのことについて聞かれることがちょくちょくあったし、そんな中で目白さんからイースターエッグを代わりに雲雀君に渡すよう頼まれた私は焦ったの。結局は別れちゃったんだけど、たぶん雲雀君は今も目白さんのこと気になってると思う。だから、目白さんから一歩踏み込んであげれば上手くいくと私は思う」


「縁野さんは……、それでいいの?」


「私はしょせん二番手の女子だし、大して可愛くもないし女子っぽい性格でもない。目白さんみたいに手先が器用じゃないから可愛いプレゼントも作れない。これでいいかなって思ってるよ。それに――――」


 私は後ろにずっと黙って立っていた鷹野の腕を引っ張り、そのまま腕を組む。


「今は年下の新しい彼氏ができたから。これで満足」


 腕を組まれた鷹野は顔を赤らめて挙動不審に視線をきょどきょどさせる。こいつは童貞かと感づいたのは恐らく私だけではないだろう。


 目白さんも呆気に取られたように顔をポカンとさせる。眼鏡をくいっと上げ、選定するように彼の顔を凝視し、本当にこいつが新しい彼氏?とでも言いたげな眼差しを私に向ける。


 それもそうだろう。雲雀に比べるとランクが急降下したレベル。MARCHクラスの大学からFランの大学に移籍したようなものだ。目つきが悪く不機嫌そう、身長も高くない、爽やかでもないどちらかというともっさりしている、パッとしない地味系男子。間違いなく弱者男性、弱男の部類に入るタイプ。


「…………なんか、すごく見下されているような気がするのは僕だけですか?」


 肩を小さくして呟く彼に、目白さんは慌てて首を横に振る。


「そ、そんなことないよ。自信もってね。見た目が全てじゃないし、縁野さんは君の内面を評価してくれたんだと思うよ!縁野さん、根は真面目で優しい人だから、きっと大丈夫!……あっ」


 目白さんは、自分が発した言葉に後から気づき、気まずそうに押し黙った。私は彼女の思わず口から洩れた言葉に少しだけ安心し、ホッと息をついた。気まずい沈黙に追い打ちをかけるように鷹野は再び卑屈に問いかける。


「…………それって、僕の見た目が悪いってことですか?」


 目白さんが励ましたつもりでかけた慰めが鷹野に嫌味と解釈されて焦り、必死に弁明の言葉を見繕おうと声を発するが、適当な言葉が見つからなかったのか、発した声は蚊が彷徨うようにあー、えー、それはーと浮遊した後、話題の行先を無理やり変えるようにイースターエッグの話へと急遽不時着を試みる。


「そ、そうだ!そのイースターエッグ、せっかくだから返してもらおうかな!縁野さん、わざわざありがとうね。もう私のことはいいから。気にしないで。そ、それじゃあね」


 目白さんは鷹野に対して気まずそうな雰囲気を残したまま、足早に去っていった。鷹野は疲れたように肩を落とし、私は組んでいた腕を離してあげた。


「彼氏のフリをするっていうのがこんだけ疲れるとは思ってませんでしたよ。まるで品評会だ。たった数秒間で品定めをされるあの視線……、まさに好奇の暴力」


「女子っていうのは、比べ合いとかマウンティングが日常茶飯事なのよ。いい勉強になったでしょ。まぁでも、ありがとうね」


「まぁ僕はいいですけどこんな演劇じみた事に意味はあるんですか?それに謝罪の中に一部嘘も織り交ぜて話していたっぽいですし……。雲雀さんって人、別に目白さんが好きってわけじゃないですよね。なんでそんな嘘を……」


「さっきも言ったでしょ。女子っていうのは比べ合いなのよ。気に食わない相手よりも自分が上であっていたいものなの。雲雀にとって私が二番手で、目白さんが一番手っていう事実の方が、目白さんにとっては都合が良くて気持ちが良い。おまけに私の新しい彼氏がこんなに地味でパッとしない男子っていうんだから、目白さんにとってはさぞかし気分が晴れたでしょ。あなたが私の新しい彼氏と聞いて態度が一変したわ」


 鷹野は2人の先輩女子に自尊心を踏み荒らされて立っている気力すら失い、膝を地面につけて俯き、恨めしそうに私を見上げる。年下男子の悔しそうな表情を見下ろすこのアングルもなかなか悪くない景色だなと思いつつ、ごめんねありがとうねと言葉ばかりの慰めをかけて肩をさすってあげた。


「僕の彼氏設定は置いといて、雲雀さんが目白さんを好きって創作話、目白さんが雲雀さんに告白して失敗した段階でバレると思うんですけど、大丈夫ですか。呪いのエッグを本来の持ち主である彼女に返すこと、そして彼女の持つ怨恨を取り去ることが、この怪異を避けるための仮定条件。目白さんへの謝罪と僕達の寸劇のおかげで一旦は彼女の恨みを和らげることはできて怪異も収まりそうですけど、もしこの嘘がバレてまた縁野さんに対して恨みを募らせたら、怪異も再発するかもしれませんよ」


 それはないわ、と私はすっぱり鷹野の言葉を斬り払った。


「なんでそんなことが分かるんですか」


「目白さんの告白を雲雀は断らない、失敗するはずないよ。だってあいつ、女なら誰でもいいって奴だから。あいつにとって女は装飾品みたいなもの、付き合っている彼女に興味があるんじゃなくて、彼女を切らさないで常に所有している自分、周囲から評価される自分にしか興味がない。つまんない男だよ」


 はぇえ~と、分かっているのかいないのか曖昧な返事で答える鷹野に対して私はクスッと笑う。


「鷹野君は雲雀に比べて目つきは悪いし見た目は良くない、女慣れしてなくて挙動不審で格好悪い。…………でも、格好悪いところが格好良かった。付き合ってくれて本当にありがとう」


 私は頭を下げて心より御礼申し上げた。顔を上げると鷹野は言われた言葉の意味を理解するのに時間がかかっているのか、眉根を潜めて聞いてくる。


「それって嫌味ですか。……まぁ、褒めてもらえたってことでいいんでしょうか」


 普段女子に褒められたりした経験がない童貞はこれだから……。ため息をついて可哀そうな目で鷹野を見やると、彼は卑屈そうに肩をすくめた。


「そんなことよりも、夕闇さんが呼んでるので、部室に来て下さい。紅茶かコーヒー用意しますんでゆっくりしていって」


 結果報告を待っているのだろうかと思ったが、鷹野が親指と人差し指で輪っかを作っているのを見て思い出した。依頼料の支払いをうっかり忘れていたのだ。


 部室に入り、依頼料の三千円(……これまでの事を考えると破格すぎるお値段)を夕闇さんに渡すと、お札と一緒に肩の荷が一気に降りたのか、座った椅子からしばらく身体を起こせなくなってしまった。


 まぁでも、急ぐ用もなし。出された紅茶を啜ると、安物のティーバックらしい薄い香りとアンバランスな砂糖の甘さがいつもの退屈な日常感を取り戻させてくれた。暮れゆく夕日が部室を照らし、夕日を背にした夕闇さんは逆光のせいか薄い影を張り付ける。陰りを帯びる中でも存在感を放つ彼女の紅い瞳は、団欒のひと時の中で私や鷹野の間を行ったり来たり。


 鷹野はこれまでの事件の記録を取っているのか、会話の最中もキーボードを叩き続ける。目が悪いせいかパソコンの画面を凝視する彼の両目は通常の何倍も目つきが悪く、思わず笑ってしまった。やせ我慢してないで眼鏡かければいいのに。


----------


 目白さんに謝罪をした日以来、呪いのイースターエッグがノコノコうちに戻ってくることはなく、火事の幻視を視ることもなくなった。そして鳥海の情報によると、目白さんは雲雀にイースターエッグをプレゼントし、無事付き合うこととなったらしい。予想通りの展開で一安心半分、複雑な感情が半分。あいつはやはり女なら誰でもよかったのかと、雲雀というよりも自分自身や恋愛そのものに対する失望感が深まった一件であった。


 何はともあれ、イースターエッグもとい、振袖火事の怪異騒動は収束した――――――――




――――――――かに思えた。


とある日の放課後、鳥海に聞かされた一言で呼吸が止まった。


「雲雀君、亡くなったらしいよ」

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