真夜中の来訪者
数日後、学校内の掲示板に張り出され、そして各クラス内でも配布されたイースターエッグの回収案内書を見て、私はフクロウ会長の影響力の強さを思い知った。そして夕闇さんの思惑通り、回収された大量のエッグの中に、例の呪いのエッグが入っているのを、占い部の部室内で行った選別作業中に確認した。
自宅へ帰る最中、ゴミ捨て場を見るたびに手持ちの呪いのエッグを投げ捨てたくなる衝動に何度も襲われたが、捨てても自分の元に戻ってきて、しかもより酷い目に遭うという想像が膨らむととてもじゃないができなかった。
神社にお焚き上げしてもらう日は明日の土曜日。今日このエッグを抱えて何事もなく1日を終えるのみ。小鳩先輩を除いて、雲雀や小鳩先輩の彼女は、持っている間特に目立った実害はなかったから、1日持っているだけならなんとかなる……とは言えない。模造品エッグとすり替えようとしたあの日のことを思い出すと、いつまた怪異が忍び寄ってくるか、今度は身体全体が燃え上がるかもしれない、そんな恐怖が常に背中に張り付いている。
自室で1人は落ち着かず、家族がいるリビングで過ごすことにした。夕飯を食べ、スマホをいじったりテレビを見たりで普段通り過ごしていると、時間は夜の10時。両親は早々に寝室に入り、私は泣く泣く自室に戻る。
机の上には呪いのイースターエッグが物言わずこちらを睨んでいる……気がする。いや、目白さんが睨んでいるというのと同義なのかもしれない。どんな怪異なのかは分からないが、人の憎悪や悪意といった情念に呼応してその怪異が現れるというのであれば、このエッグに憑いた怪異に起因するのは、十中八九、私の行いに対する目白さんの恨み。
ただ、その内、半分は筋違いの逆恨みなんじゃないかとも思っている。目白さんが雲雀に片思いするのは勝手だ。彼女の気持ちが本気なら、彼女本人が雲雀に直接告白してエッグを渡すのが恋愛として正しい流れだ。それで玉砕するならそれはそういう結果として受け入れるしかないし、仮に雲雀がオーケーを出すなら、当時の自分はショックだっただろうが、それもまた受け入れるべき現実。当時現役彼女だった私にプレゼントを代理で渡してもらうようお願いすること自体がおかしいのでは、なんて。
……口に出したら即呪い殺されそうなので、口には出さず、そっと机の上のエッグの1つを悪戯に指先で小突いてやった。
その時、ピンポーンと唐突に家のインターホンが鳴り響いた。
こんな夜遅い時間に誰だろう。まさか、と呪いのエッグを一瞥すると、エッグは変わらずこちらを睨んでいる……気がする。両親はすでに就寝していて私が出るしかないが、ホラー映画のありがちな展開、開いたドアの先には誰もおらず、時すでに遅し、幽霊が部屋の中に入り込んでいて、主人公を襲ってくるという光景が頭に浮かんで身震いする。
知らんぷりが無難だろう。私には一切関係ありません。何も聞こえてませんでした。
――――ピンポーン。
うーん、成績が落ち気味な英語の基礎力を高めるためにはまず英単語を覚えるところが賢明か、いや基本的な文法を覚えてから単語に手をつけ始めるべきか……何も聞こえてこないくらい考え事に没頭してしまっているね、私。
――――ピンポーン。ピンポーン。ピピピピピンポーン。
怪異とはこうも自己主張の激しいものなのか!しつこい!そして単純に迷惑だ!
怪異ではなく不審者的な方面の事案なのではと懸念し、カメラモニターを通してドアの向こうを恐る恐る確認する。
カメラに向かって夕闇さんが屈託のない笑顔で大きく手を振っていた。この時間に何故と思い、やはりホラーのありがちな展開、身近な人間の姿を装って来訪し、安心してドアを開けるとそこには誰もいない、時すでに遅し以下略。
本物だったのなら申し訳ないが、身体が一度覚えた恐怖は振り払えないほどに大きい。目の前の善意が暗闇で黒く塗りつぶされる程度には、私の心で恐怖がすくすくと育ってしまっていた。
だから、ごめんなさい。
内心で平謝りし、モニターに背を向けると、
――ピピピ、ピピピ、ピピピ、ピンポーン。
迷惑極まりないインターホンの連打。怒りが恐怖に打ち勝った。
「はぁいぃ!なんでしょうかッ!!」
開いたドアの向こうにいた夕闇さんは、ニッコリと笑いながら我慢しきれなかったというくらいの弾けるようなトーンで一言言った。
「……来ちゃった!」
好奇心で爛々と輝く彼女の紅い瞳を見て、あぁ、この人は異常な怪異マニアなのだと妙に納得し、家の中に招き入れた。
今のところ何か起きたのかという夕闇さんの問いかけに、今のところ何も、と答えると、
「あら、そう」
とつまらなさそうな返事が返ってきたので再び怒りのゲージが上がるが、誰かが隣にいるという安心感は捨てがたく、怒りをそっと飲み込んだ。この人は他人の心配よりも怪異に対する好奇心の方が強いのだろう。
そういえば、家系としてオカルト関係に関わっているのだとか言っていたような…………。
「夕闇さんは、幽霊とか怪異とかに詳しいけど、両親がそういった仕事をしてるの?」
疑問を率直に聞いてみる。不躾だとは思うが、彼女の訪問も不躾だったので、これでおあいこだろう。
「父親がホラー作家だったのよ。その他、心霊相談の仕事も個人として請け負っていたわね。除霊師ではなかったけど、作家として取材をしていく中で得た知識や経験、人脈を活かしていたようで、私が小さい頃から色んな心霊関係の話を聞かせてくれたわ」
それって父親としてどうなのだろうとツッコミを入れたくなった。夕闇さんの怪異に対する強い好奇心やパーソナルスペースを幅跳びのように踏み越えていくほどの行動力は彼女が小さい頃から育まれたものだったのだ。
「父方の家系は霊能力を持った特別な血筋で、遠い昔ではその血筋と能力を活かして霊媒師や除霊師として活躍した人もいたらしいのだけど、それは昔の話ね。父親はからっきし。でも当時の古い文献とか父さんの取材記録は沢山自宅の蔵に保管されていてね。興味深いものばかりだわ。私が心霊相談を受けた時にも参考にさせてもらっているのよ」
「このエッグに憑いた怪異の正体については、ある程度見当がついたの?」
「恐らく、江戸時代に起きた事件にまつわるモノ」
「江戸時代!?」
時代を5つも飛び越えていたことに驚き、声が裏返る。
両親がすでに就寝中だったと慌てて手を口元に当てる。
「明暦の大火はご存じかしら?2日間に渡って江戸の町を火の渦に飲み込んだ江戸時代最大の大火災。死者は3~10万人と言われているわ」
あ、あぁー……、全く覚えていない。
「ちゃんと日本史の勉強しないと、だわね」
返答に躓く私を見て夕闇さんはクスッと笑った。
……可愛い。思わずドキッとしまった自分に困惑する。禁断の扉を開いてしまわないようにしっかりと戸締りしなくては。縁野の戸締り。おかえしもうす。
「明暦の大火の原因となった火の元は、振袖。明暦の大火は、別名、振袖火事と呼ばれているわ。色々な諸説がある中で最も一般的で、そしてウチの古い文献から見るに恐らく事実と思われるお話を今からするわね。そしてその振袖の持ち主なる者が、今回のイースターエッグに憑いた怪異」
確かにと、これまでの出来事や噂で合致する部分はある。
小鳩先輩は、自宅が火事で燃える錯覚を視た。私も呪いのエッグを模造品とすり替える時、模造品エッグが燃え出す錯覚を視た。それに私の右腕を掴んだ白い腕は、振袖らしき袖口から覗いていた……
ごくりと生唾を飲み込む。
しかし、もったいぶっているのか、夕闇さんは一向に話し出さず、喉をさすっている。喉が痛いのだろうか。
「長い話をするから、ちょっと喉を温めたいわね」
遠回しに急かすように咳払いをする彼女に私はため息をついて問いかける。
「紅茶とコーヒーどっち?」
「コーヒーでお願い、ブラックでね」
お願いのウインクをする彼女の茶目っ気さが、先ほど戸締りした禁断の扉を強引にこじ開けようとする。私が男だったら…………耐えられなかったかもしれない。
夕闇さんは私が持ってきたコーヒーを啜ると、振袖火事の話を語り始めた。
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