間奏

PTSD

 おーい、ワッシーと僕を呼びかける声が駅の改札から聞こえてきて、途中までやりかけていたスマホのソシャゲーを残念そうに閉じる。

 顔を上げると、気怠そうに手を振る我が悪友が人混みを躱しながら改札を通って歩いてきた。


「毎回集合時間の5分後に来るのなんなの、空」


「集合時間よりちょっと後に来れば、待たされるってことはないわけじゃん?」


「いや、僕が待たされてるんだけど」


 顔に擦り傷が目立つ悪友、鷹野空は何の言い訳にもならない理屈を並べたてながら

ニヤニヤしていた。


 僕は、普段彼が浮かべている下卑た笑みがようやく戻ってくれたことに内心安堵した。

 

 先月、彼は渋谷のスクランブル交差点で交通事故に遭った。肋骨の骨折と複数の打撲程度で大事には至らなかったみたいだが、事故に遭う直前、真っ黒い木が視えると奇妙な事を口走っていたのだ。


 僕は空に占い部に相談することを勧めてからまもなくの事故だったので、それを知って以来、気が気ではなかった。空本人も、学校に復帰してから笑顔が減るばかりか、挙動不審な所が目立ち、僕は心配をしていた。

 

 一体何があったのかと何度か空に聞いてみたが、曖昧に濁されて流されるばかりだった。悪友という間柄、心配しすぎるのも違和感があるのでそれ以上追及はしなかった。


「今日は何して遊ぶんだ?ワッシーが企画するっていうから何も考えずに来たんだが」


 空から飛んできた質問に、僕は待ってましたとばかりにポケットから2枚の映画チケットを取り出して目の前に掲げる。


「ゾンビハザードの新作映画のチケットよ。空がこの作品めっちゃ好きだったよね」


 目の前に差し出されたチケットを見た空は、目を一瞬だけ輝かせたのだが、ハッと何かに気づいたように複雑な表情を浮かべた後、顔を曇らせる。


「あれ、あんまりお気に召さなかった?」


 映画だけでなくゲームでも超有名人気シリーズのゾンビハザード。彼はゲームを全作プレイするくらい好きな作品だ。ゾンビ系の他にも、人がたくさん死ぬようなパニックホラー系は大好物だったはずだ。


 一体どうしたんだろうというこちらの不安を、空は感じ取ったのか、


「これめっちゃ見たかったやつだわ。サンキューな、ワッシー」


 慌てて取り繕うように月並みな御礼を述べた後、映画館のあるショッピングモールへと向かっていく。


 やはり、交通事故に遭って以来、どこかおかしい。

 彼に対して感じている小さな違和感は、確かなものへと変わりつつある。

 

 そう、たとえば挙動。

 今横を並んで歩いている空は至って普通のように見える。テストで数学が赤点ギリギリだったこと、弓道部の練習試合で的に1回も当たらなかったこと、最近兼部という形で入部した占い部のこと、楽しそうに愚痴を語る彼は全くいつも通り。


 ショッピングモール前の横断歩道に差し掛かり、大きく視線を逸らした。

 どうしたんだろうと目の前を注意深く観察すると、路上で車に轢かれたらしい猫が内臓を散らせながら息絶えていた。

 

 小さな子供や一緒に連れだって歩く家族などは痛ましそうに視線を逸らす一方で、中学生、また俺達と同じ年代くらいの学生集団は、好奇の眼差しとともに、スマホを向けて撮影をしていた。


 自分の飼っているペットならさておき、野生の動物の死にそこまで大きく胸を痛めるような心は僕にはない。だからといって、スマホを向ける彼らのように悪戯な好奇心を示すこともない。端的に言うと、無関心だ。


 空もそこまで生物の死に感傷的にあるようなタイプではなかったはずだったが、彼は頑なに目を逸らし続けている。それに、何かを堪えるように拳を握りしめ、震わせていた。


「体調悪いのか、顔が青ざめてるよ」


 こちらの問いかけに、空は全く問題ないと引きつった笑みを浮かべ、下を向いた。

 

 以前も同じような場面に遭遇した。

 弓道部の練習中、矢取り、つまりチームが全ての矢を打ち終わった後に矢を回収する仕事が終わって地面に座ってだべっていた時のこと、下を向きながら話していた空は唐突に視線を上へと向けた。

 

 何かを見やるでもない不自然な動きに疑問を感じて地べた見てみると、バッタの死骸が一匹転がっているくらいだった。パニックホラーはOKだけどスプラッター系はダメという単純な思考で片付く問題ではないように見えるが、この映画なら彼もお気に入りだし大丈夫だろうとタカを括っていた。


 異変は映画の鑑賞中に起こった。

 

 ゾンビで溢れかえる町を走って逃げ、なんとか警察署に逃げ込むことができた主人公。

生き残った数人の人間が同じく警察署に立てこもる中、侵入してきた一匹のゾンビに次々と生き残りの人間達が殺されていくシーン。主人公の躍動感ある戦闘によく作られたCGのゾンビの気持ちの悪い質感、銃弾とともに飛び散る血肉。

 

 迫力のある映像に圧倒されたのは他の観客たちも同じだったようで、興奮で息をのむ静けさが館内を漂っていた。そんな中、ただ一人、隣の彼だけが、血の気が失せた顔で身体を震わせていた。


 お前がゾンビに襲われているんちゃうやろ!

 そうツッコミたくなってしまった。


 気分の悪さに我慢できなくなったのか、口元を抑えて席をいきなり立った。


「おい空、大丈夫か?」


 囁くように耳打ちをしたが、空は気にするなと手で軽く制して館内をそそくさと出て行った。僕はというと、本日の主役である空を置いて一人で映画を楽しむわけにもいかず、彼に続いて館内を後にした。向かう先は恐らくトイレだろう。


 各館内でどこも上映中のため、トイレ内は無人だった。5つのトイレの個室のうち、手前の個室のみ鍵がかかっている。空はここに籠っているようだ。


「空、具合悪いのか。大丈夫かー?」

 

 不安げに問いかける僕の質問に、空から返ってくるのは、嘔吐とともに喉から漏れ出る嗚咽のみだった。


「なんで……なんで……、俺がこんな目に……。もう全部終わったのに。…………っうぇ」


 嗚咽とともに吐き出される彼の悲嘆に、僕はかけてあげる言葉が見つからなかった。


 …………空、お前一体どうしちゃったんだよ。

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