夕闇さんと死体探し
顔に流水が降りかかり、暗転した意識に光が差し込む。
2つの紅い瞳が木漏れ日を背景に俺の顔をじっと覗き込んでいた。
夏なのに雪化粧をしたような白い肌、柔らかな風にたなびく黒の長髪。
夕闇さんがいつの間にか寝ころんでいた俺に膝枕を敷き、目覚めた俺を見下ろして微笑んでいた。
「こんなところで宝探しかしら?ゴーディ君」
頭痛でこめかみを抑えながら身体を起こした。
ゴーディとは誰ぞやという顔を夕闇さんに向けたが、大した話ではないと適当に流され、ペットボトルの緑茶をこちらに差し出した。ありがとうと一言言った後、タガが外れたように緑茶を飲み続ける。500mlのペットボトルはあっという間になくなったが、まだたくさん残っているから大丈夫と夕闇さんは告げた。
彼女と出逢ったことは別に驚くことではない。同じ死体探しをしている以上、廃工場もしくは森の中で出くわすことは充分にあり得るからだ。むしろ、今まで逢えなかったことが恨めしいくらいである。
彼女に俺の頑張りを見てもらってこそ今の行いが俺にとってのハッピーエンドに結びつくわけで。熱中症で倒れたところを夕闇さんに助けてもらうという今の展開は、正直かなり美味しいかもしれない。そんなわけあるかという抗議の主張を、俺の身体が頭痛をもって訴えかけてくるが、歯を食いしばりながらなんとか耐える。
夕闇さんの柔らかな膝枕とほのかに漂うミントの香り。
逆光で影を差した表情の中で輝く2つの紅い瞳。
柔らかな風で揺れる長い黒髪。
頭痛が少しずつ引いていく。俺は再び微睡みに身を任せて目を閉じる。このまま意識を手放してもいいかなと甘えが出始めるが、今日1日の義務を果たさなくてはいけないと思い、不承不承に身を起こした。喉の渇きをまた覚えたので、2本目の緑茶をいただきながら、夕闇さんに御礼を伝えた。
「あなたなら来ると思っていたわ。こういう不憫な子、ほっとけない性格でしょう。顔に書いてあるわ」
俺はそんな正義漢とした顔をしていただろうか。スマホのカメラワークを反転させて自分の顔を見てみるが、気持ち悪いニヤケ面が映し出されて不快だったのですぐに画面を閉じた。
「ただ、考えなしの準備なしに動くのはお粗末としか言いようがないわね。飲み物もそうだけど、こんなちゃちな棒で霊体探しをするなんて信じられない。あなた本当に私より年上の大学生なのかしら」
夕闇さんは呆れた顔をしながら俺のダウジングを手の上でくるくると回している。小早川さんに負けず劣らずの言われように泣きそうになる。
「霊感商法的なのは疑っていたんだけどね、なにぶん頼れる伝手がないもので……。仕方なくオカルトサイトでネット通販した曰くありげな代物を使った次第です……」
夕闇さんは、俺のしぼんだような言い訳を聞いた後、えい!と一言、茂みの奥にダウジングを投げ捨てた。
「いや、え?マジで?」
三万円のダウジングやぞ……?
「あんなのではなく、私を頼りなさい。意味もなく歩き続けた上に熱中症で死なれたら
つぐみちゃんに会わせる顔がないのだわ。あなたを見つけてくれた彼女に感謝なさい」
夕闇さんが誰もいない背後を指さしたことにぎょっとする。姿が見えないだけで夕闇さんの後ろにアイツいたのかと驚いた。それになんだか気まずい。
喧嘩したわけではないし、嫌な言い方をすると友達でもなんでもないただの他人なのだが、別れたカップルのような気まずさを感じて下を向く。一度気味が悪いと感じてしまった自分は彼女と向き合う権利があるのだろうか。
俺が勝手に首を見つけ出し、彼女が勝手に成仏する。それぞれのエゴが積み重なってなんとなく問題が解決すればそれでいいと思っていたが、真正面で顔を突き合わせるとどうしてもいたたまれない。
いや、でも突き合わせる顔が今の彼女にはないのか。いずれにせよ俺には彼女の姿が視えないので、気にしなければいいだけの話かと邪念を振り払って夕闇さんに視線を戻した。
「早く一緒に探しましょう。ついてきて」
はい!いやでも。
……………………霊感なしダウジングなしの俺に一体なにができるというのか。
「土堀り係で」
「りょーかいしました!」
男子はやっぱり肉体労働してなんぼだと思います。
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俺の単独ローラー作戦ほどではないが、夕闇さんの捜索方法も似たようなもので、ひたすら歩き続けた。
夕闇さんは幽霊、つまり霊体が視えるらしく、その霊体が宿している死体も彼女の紅い瞳で捉えられるとのことだが、あくまで視界に捉えられる距離の中で認識できるもので、その埋まっている周辺まで行かないと分からないみたいだった。それに欠損した身体の一部の場合、霊体が非常に不安定で、形を一定に保っているわけではない。つまり、見つけた死体を火葬しなければ、首なし少女のものかは分からないということ。
ちなみに今のところ2体の死体を見つけたらしいが、燃やしても首なし少女に何の反応もなかったので別人だったという。
見方を変えると夕闇さんはすでに2回の死体遺棄を犯しているわけだが、そこに触れるほど俺は空気読め夫ではない。
そもそもずっと放置されていた者たちだ。俺らが弔って何が悪い。
これも人助け?幽霊助けだこの野郎。
シュレディンガーの猫だ。
他人が認識していなければ、それはつまり犯罪を冒していないのと同義だ。
俺は脳内で何を言っているのやら。夕闇さんと2人で緊張しているのか、それとも首なし少女に対する申し訳なさを誤魔化しているのか。無心になれ無心に。
夕闇さんとの捜索活動開始から早1時間、変化なし。時刻は午後の3時。夕闇さんは特に疲れた様子はなし。血色悪そうな顔色ではあるが、本当に体調が悪いわけではなく、あくまで体質なのだろう。これだけの日差しでも白さを維持しているのは不気味だったが、汗はちゃんと搔いているあたり、身体の機能に問題があるわけでもなさそうだった。
「私の肌色が気になるかしら?」
こちらの視線に気づいていたか、不躾だったと思い視線を前へ戻して、まぁ多少は……と言葉を濁した。
「私ね、一度向こうの世界に行ったことがあるのよ。それ以来、生気が零れ落ちてしまったように肌が白くなってしまったのだわ。瞳も紅くなって、霊を視ることができるようになった……なんて言ったら、信じるかしら?」
夕闇さんはからかっていようかのような茶目っ気溢れる笑みで答えたので、俺は冗談なのか本気なのか判別できずに乾いた笑いで返す。
「向こうの世界って?」
「幽世の世界。あの世のことなのだわ」
えぇ……。
いやでも、幽霊という存在は確かに実在する。
それは首なし少女と実際に同居して分かったことだ。だから夕闇さんの話は否定できるものではない。霊視ができるのも確かだろうが、こうはっきり言われると面食らう。
「こんな話聞いても半信半疑ってところでしょうね。まぁ、話半分で聞いてもらってかまわないわ。ちゃんと自分の意志でここまで踏み込んできてくれたあなたへの面白い土産話ってことで聞かせたの。信頼の証として受け取ってちょうだいな」
夕闇さんは白い手を伸ばして俺の火照った頬にぴたりと触れる。頬に感じる彼女の手から、真夏の気温の高さからでは考えられない冷感が伝わった。血の気が一気に引いていく。
冷え性……?いや、あり得ない。この体温の低さは、生きた人間のものではない。
まさか――――
夕闇さんの方を向くと、彼女は冷たいペットボトルのお茶をごくごくと飲んでいたことに安堵した。ペットボトルの冷たさが手のひらに残っていただけだったのかと納得し、安堵の息をついた。だって、そうではなかったら彼女は――――
「いきなりごめんなさいね、びっくりさせちゃって。あんまりあなたに絡むと彼女に睨まれそうだから悪戯はこのへんにしておくわ」
夕闇さんはそう言ってごめんのポーズを取る。
彼女とはつぐみのことだろうか。兄の恋路を邪魔するとはなんて奴……。
「つぐみのことなんて気にしなくていいよ。兄の交友関係に妹が口挟むこと自体余計なお節介なんだから」
「あ、……いやー、うん。まぁいいわ。捜索に集中しましょう」
会話を無理やり切り上げる夕闇さんの言葉の直後、背後から何かを蹴飛ばす音が聞こえた。瞬間、右のふくらはぎに小さい衝撃を感じる。
「…………痛ッ」
虫に噛まれたのかとふくらはぎを見ると、虫ではなく石ころが俺の足にぶつかったようだった。背後を振り返ると誰もいない。いや……気にしない、気にしない。前に向き直り、歩を進める。乱れのないペースで歩く夕闇さんの背中が視界に入ってくる。
夕闇さんのコーデは、上が白のブラウスに下がタイトなデニム。実に夏らしいファッションだった。白いブラウスから伸びる綺麗な腕と時折見え隠れする脇が俺のエロチシズムを刺激してどうしても視点が固定してしまう。香水をつけているのか、ミントのほのかな香りが鼻腔をくすぐり――――
「…………痛ッ」
ふくらはぎに感じる二度目の小さな衝撃に顔をしかめる。
足元を見るとまた小さな石ころが転がっている。こいつが俺の足めがけて飛んできたようだった。後ろを振り返るが、もちろん誰もいない。気を取り直して前に向き直り、再び歩を進める。乱れのないペースで歩く夕闇さんの背中がまた視界に入ってくる。
溌溂と動く彼女の脚は、デニムのラインから感じられるほどに細くてしなやかだ。着飾らないシンプルさと夏らしいカラーリングが彼女の大人っぽさと良いスタイルを際立たせ、俺のエロチシズムを刺激してどうしても視点が固定してしまう。香水をつけているのか、ミントのほのかな香りが鼻腔をくすぐり――――
「…………痛ッ」
ふくらはぎに感じる三度目の小さな衝撃に俺は勢いよく振り返り、もう我慢ならんと足元の石ころをいくつか拾い上げて誰もいない空間に投げつける。
「せっかく協力してるってのになんなんだこの酷い仕打ちは!お前のためにと思ってこっちは熱中症になりながら首探ししてんだぞ。なのにそんなワケの分からない態度を取るってんなら二度とウチの部屋には住まわせてやらないからな。ク、クェーーーー!!」
もはや、人間だろうが幽霊だろうが男だろうが女だろうが関係あるかと奇声を発しながら石を投げ続けるが、放物線を描いた石ころは空を切るだけで首なし少女に当たる様子はない。
ゴーストタイプにノーマルタイプの技は効かない。小学生の頃プレイしたポケモンの属性相性を思い出して俺は手を止める。汗が滝のように流れてシャツを濡らし、身体にべったりと張り付いて気持ち悪かった。
なにやってんだ俺は……。
前に向き直ると、夕闇さんが母親のように優しげに微笑みを湛えている。
「あなた、本当に優しいのね。彼女があなたを選ぶわけだわ」
……………………はい?
今の俺の発言のどこに優しさを感じたというのか。首なし少女がやり返してくる様子もない。彼女も子供のように荒れ狂う俺の姿に呆れているに違いないだろう。こんな低レベルな男が本当に大学生かと言いたげに顔を歪めているはずだ。
子供で何が悪い。男の子なんて何歳になったって少年のままだ。
そう自分を慰めて歩みを再開した。
それから2時間経ち、日が落ち始めた頃に夕闇さんは見つけたと疲労の混じった声でつぶやいた。俺も夕闇さんと同様、一日歩き続けて足が棒になり、歓喜の声を上げる元気もない。
「それじゃあ墓荒らしさん、あとはよろしく頼むわね」
夕闇さんはそう言って足元の土を指差した後、近くの切り株に腰をかけて休息に入った。俺はもう一息だと大きく息を吐いた後、シャベルを地面に突き刺して仕事に取り掛かる。
気温は下がってきたものの、べたついた肌と鉛のように重い足のせいで動きを緩慢にさせる。
もう少し、もう少しと自分に言い聞かせて無心で掘り続けた。30分ほど掘り続けると、夕闇さんがストップの声を上げる。
「もうそろそろ?」
期待の混じる俺の質問に夕闇さんは答えず、無言で誰もいない空間を見続ける。首なし少女が何か語りかけているのだろうか。うんうんと頷き、分かったわと独り言を呟く。何も視えないせいで疎外感を少し感じたが、凡人なので仕方なしとシャベルを杖代わりに彼女の言葉を待つ。
「蝶野君、ここから先は私が掘り返すからあなたには遠くで待っていてほしいのだわ」
「はぁ?いきなりそんな。な、なんでぇ?」
うーんと、夕闇さんは頬を搔きながら言い淀む。
「剝き出しの頭蓋骨が出てくるのよ。彼女にとっては裸を見られるのも同じ。つまり、恥ずかしいって彼女が言っているわ」
ここまで行動を共にして汗を流してくれた俺に対する引け目があるのか、夕闇さんは引きつった笑みを浮かべながら申し訳なさそうに首なし少女の言葉を通訳してくれた。
夕闇さんの面子を考慮して大人しくスマートに引いてあげるのが年上男子の勤め。その余裕こそ、夕闇さんとの今後の輝かしい関係の礎となるものだ。
ここまで何日も何時間も動き回ったけど引くときは引く。
相手の気持ちを汲んであげる。気遣いできる男はつれぇわぁ。
「知るかぁ――――!!!!」
俺は我慢の糸ががキレたように猛々しくシャベルを振るう。ドン引きする夕闇さんを意に介さず、掘って掘って掘りまくる。ここまで身を粉にして報酬もなしに働き続けたんだ。女の裸の1つくらい見させろってもんだぜ。
言葉を失っているであろう2人の女子を前に、俺は目を血走らせながらうら若き女子の裸が眠る土を掘り進める。掘り進めて何分経っただろうか、シャベルが硬いものに触れるのを指先に感じた。
シャベルを横に放って素手で土を掘り返すと、湿った土に塗れて白い頭蓋骨が現れた。眼窩の奥から這い出る数匹のミミズを叩き落として空に掲げる。
取……取ったど…………。
俺めがけて飛んでくるいくつもの小石を背中で軽く受けつつ、達成感に酔いしれた。
「浸っているところ悪いけれど、それが彼女の頭部かはお焚き上げしないと分からないのだわ。手早く済ませるわよ」
夕闇さんはバッグから小瓶を取り出し中に入った白い粉のようなものを頭蓋骨に振りかける。
「それは?」
「塩よ。お焚き上げする前に邪気を払うためのね」
「死体に振りかけるもんなの?生きている人間に着いた不浄を払うためのお清めってイメージだったな」
「彼女の魂についた穢れを払ってあげるためなのよ。幽霊は長く現世に残っていると、無念や憎しみを溜め続ける。それが穢れとなっていずれは周囲に悪意を撒き散らすようになるのだわ。善良な浮遊霊であろうともね。その幽霊が悪霊に、行き着くところまで行くと、怪異に変わってしまう。塩はほんの気休め程度の効果だけれど、まぁ彼女の成仏を祈ってね」
小さじ程度の量を振りかけた後、他にも持ってきた古紙、オイル、森で集めたのであろう枯草を頭蓋骨とともにさきほど掘り返した穴に入れていく。チャッカマンで火を付けると、あっという間に小さなキャンプファイアーが出来上がった。
逢魔が時の廃工場と森。魔物に出逢う時といわれる不吉な時間帯が相まって雰囲気がある。揺らめく炎、時折照らされては影を差す夕闇さんの表情は少し寂しげだった。
なにか声をかけようと思ったが、他人には慮ることができない深い孤独を秘めているようで、浅い大学生の俺は空気を読んで口を閉じた。
炎が小さくなっていったので、枯草を補充して再び炎を見つめる。頭蓋骨は黒く焦げ付いていき、形を崩していく。空へと立ち昇る煙は、それまで宿っていた魂が遠くへ旅立っていくようで、なんだか無性に泣きそうになった。
火花のパチパチと爆ぜる音が鼓膜に心地よく響いてきて、俺はその音を噛みしめるように目を閉じた。
――――ありがとう。
火花の爆ぜる音に混じって、優しい声が耳を掠めたような気がした。
彼女の声が聞こえるはずないだろうと自嘲交じりに苦笑する。
だって俺には、おおよそ霊感と呼べるものがないのだから。
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