蛇行する思考

 夕闇さんと同居人だった首なしが立ち去ってから数日。

 解消したはずの同居人問題がしばしば浮上しては思考の海を浮遊するのをずっと繰り返していた。寄せては引いていく波のように。


 もはや俺にはなんの関係もないはずなのにこうして考えてしまうのは罪悪感の表れだろうか。いや、心霊スポット散策したのは罰当たりではあるが、行為それ自体が罪ではない。罪なのは、彼女やその他多くの人間を死に追いやった猟奇殺人鬼なのだから。


 そういえば、つぐみは夕闇さんに依頼料を支払ったらしいが、いくら払ったのだろうか。5万とか10万とか?まさか1万円とかそんな金額ではあるまい。そんな安い金額で夕闇さんが高いリスクを冒して死体探しに興じるはずなどない。いくらオカルトが趣味といえど限度というものがある……といいたいところだが、彼女の異常なまでの死者に対する執着っぷりからそうも断言できない。


 さてこんな自問自答が、大学生の青春ポイントを高めたい今の俺に必要なことだろうか。


「蝶野先輩、ボーっとしてないでください。レジでお客さん待っています。会計お願いします」


 小早川さんの鋭い指摘にハッと目覚める。バイト中に意識が飛んでいたことに驚いた。俺はどれくらい考え事をしていただろう。とりあえず目の前の仕事に集中しなくてはと慌ててレジに向かっていくと、おっさんが舌打ちしながらレジ待ちをしていた。


 昼休憩中も俺はスマホでソシャゲもせず、焦点の定まらない視点を目の前に置いて考え事をしていた。同居人だったあの子が俺を頼らなかった理由。


――迷惑をかけたくないから。


 被害者の、そしてまだ当時高校生だった彼女は猟奇殺人により殺害されてから、ずっとあの廃墟を怯えながら一人ぼっちで彷徨っていたということになる。記憶を、首を探して。学園祭、修学旅行、部活、友達、彼氏、青春真っ盛りという時に。


 首のない彼女が廃墟で必死に首を探し回る光景を想像して、あの時感じた薄気味悪さはすでに俺の胸中から消えていた。なにが青春ポイントだ。大学生は忙しいだ。何にもないくせに。言い訳ばかり口が回って本当にくだらない。自分の情けなさに対する怒りがこみ上げてくる。


「大丈夫ですか?」


 目の前から発せられた声に焦点を合わせると、いつからいたのか、小早川さんがテーブルを挟んだ向かいの椅子に腰かけてくつろいでいた。


 込み上げていた熱が急に冷め、俺はぎこちない笑顔で返した。普段は表情の変化が乏しい彼女が心配した様子で俺の顔をじっと覗き込んでいることに落ち着かなくなり、徹夜でレポートを片付けてたせいで疲労が……などと嘯いて目元を擦った。


「先輩も一応は大学生してるんですね。初めて大学生らしい発言を聞けたような気がします」


 俺は相当ちゃらんぽらんな評価だったというわけですかそうですか。


「でもそれだけじゃないような感じですね。悩み事でしょうか。仕事中も上の空だったようですけど、かなり深刻な内容みたいですね。さっきから苦しい顔だったり悲しい顔だったり、怒った顔だったり、福笑いみたいにころころ表情が変わっていたので」


考え事をし始めた当初から彼女は目の前で休憩を取っていたらしいことにやや驚いたが、同時になぜ声をかけてくれなかったのかという思いもよぎった。どうでもいいので口にはしないが。


「深刻かどうかといえば、かなり深刻ともいえるし、全く深刻ではないともいえる」


 だって、人の死に関わる話であっても俺にはもう関係のない事だから。不用意に関わっていい事ではないから。


「頓智みたいな事を言いますね。まぁでも、解決できるようひっそりと応援してます。頑張ってくださいね」


 応援しているようには思えないくらいの無表情さが可笑しかったが、これが彼女のデフォルトなので違和感はなかった。深く踏み込んでこないのが彼女らしくもあり、そして少し物足りない気もしてしまう。


「どんな内容か興味ある?」


「ないこともないですが、聞くのは遠慮しておきます」


「どうして?」


「相談事の9割はすでに相談者の中で結論が出ているからです。私が蝶野先輩の話を聞いても私は良いアドバイスはできないし、先輩も恐らく他人から意見は求めていないんです。だから、話は聞かずに応援だけしてあげるのが良いのかなと」


 小早川さんの言葉に俺は自問する。

 俺はすでに自分の中でどうしたいか決まっているのか。

 ただ事態を静観、いや忘却するのみ。それが俺の”したいこと”なのか。


「俺は優柔不断だから、結論らしい結論はまだ出ていないんだよ。でも話を誰かにしてその具体的なアドバイスをもらっても結局はまた悩んじゃうんだろうけどね」


 そんな定まりのない俺の愚痴に小早川さんは難しい顔をする。バイト中はしっかり仕事してくださいよとお叱りを受けそうな気がしたので、俺は慌てて、午後からは仕事集中するからと付け加える。


 彼女は少しの間考えるように押し黙った後、口を開く。


「……そうですね、私からの抽象的なアドバイスになるんですが、蝶野先輩の場合、どうあるべきかとか安全牌よりも、自分はどうしたいのかで考えた方がいいと思うんです」


「楽しくなるか……」


「はい、先輩はたぶんあまり頭が良くない人なんだと思っています」


……………………おい。


「でも、根は優しくて、他人に対して一生懸命になれる人だとも思ってるんです。他人の話も自分事として深刻に考えてあげられる人。だからもしかしたら、今蝶野先輩の悩み事というのも、自分ではなく他人の事情に対して何をしてあげられるかということなんじゃないかなと、私は勝手に推測してます」


 彼女は相手の心理を透視できるエスパーなのだろうか。超能力者ではないのは当然として、観察眼が優れているのは確かなのだろうと感心する。あと俺が単純に顔に出やすいというのもあるかもしれない。


「でも先輩がどれだけ必死に悩んで考えても、最良の結論なんてきっと出ないんです。だから考え込んでも仕方ないんです。だって先輩は頭が良くないから」


……………………泣きそう。


「脊髄反射的に、感情に従って自分がどうしたいかを判断して、一生懸命動いてくれたなら、それだけで、結果的にその誰かが幸せになるんじゃないかと私は思います。自分のために一生懸命になってくれる存在がいるというだけで、人って幸せに感じますから。参考程度に聞いてください。私は先に休憩上がりますので、ゆっくり休んでください。応援してます」


 小早川さんはそう言って休憩室を後にした。俺は他人に相談したおかげか気分がどこかすっきりした気がする。

 

 感情的に、脊髄反射的に、難しく考えずに。

 どういうエンディングを迎えればすっきり気持ちよく終われるか。


 俺が生首を見つけ出し、首なし少女は記憶を取り戻して無事成仏。スマートに問題解決をした俺に夕闇さんは惚れ惚れ。最高に可愛い彼女が出来てハッピーエンド。馬鹿なくらい単純で絵本のような終わり方。


 でも、そこに向かって進んでいくことがあの子のためになる。あの子にとっては不幸な最期だったが、不幸中の幸いエンドを迎えるくらい願ってもいいはずだ。その先に俺のハッピーエンドがくればなお最高。


 よーしよーし。

 あれ、なんか急に夏休みらしい楽しさが波に乗ってきたかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る