真夏のボーイミーツガール
翌日、インターホンとともに現れた、妹ともう1人の女子を見て、これが運命のボーイミーツガールかと舞い上がった。
血色が全く感じられないくらいに白く、しかし艶のある綺麗な肌に、夕焼けのような紅い瞳、図書館で出逢った漂白系女子だった。クラスメートの夕闇鴉ですと端的な自己紹介に添えられた笑顔に、ふらっと立ち眩みを起こした。
貧血ですか?脱水症状ですか?という夕闇さんが配膳してくれた心配に対して、俺はスマートにこう答えた。
熱中症かもしれない。君という熱にあてられて。
もちろん嘘だけど。
大丈夫です~とヘラヘラ返事を返した。
美人相手に緊張してしまったのか、年下相手に敬語が出てしまったことが情けなく感じてしまう。それに、図書館で出逢ったことを向こうが覚えていないことにも少なからずがっかりした。
こんな地味系男子を覚えてくれているわけなかろうに。自意識過剰なモテない男子ほど痛々しいものはないと言いたげな、呆れた視線をつぐみから感じたが、俺はそれを無視した。夕闇さんは部屋に足を踏み入れてすぐに立ち止まる。
「どうもお邪魔します。この子が件の同居人ね。少しの間だけどよろしくね。ちょっとお話がしたいの」
テーブル横あたりだろうか、誰もいない空間に向かって夕闇さんが小さく会釈をする。
つぐみはというと、夕闇さんを盾代わりにするかのように背中に張り付いて離れない。亀の甲羅やかたつむりを連想してほくそ笑んだのも束の間、プラスチックが打ち付けられる乾いた音が鳴った。
中を覗くと、リモコンが引き戸に投げつけられたようだった。リモコンを投げつける同居人の愚行に腹が立ちつつも、夕闇さんが本当に霊感があったことに驚いた。同居人の姿が見えるのであれば、同居人の正体も、事態の解決までの道のりもぐっと近づいた気がする。
今度はクッションが投げつけられ、夕闇さんの腰に当たった。夕闇さんは痛ましい表情を浮かべる。クッションが当たって痛がっているわけではないのだろう。
彼女が蟹の神様に体重を持っていかれていない限り、クッション程度じゃ衝撃として感じることはないのだから。同居人の姿に痛ましさを感じているのだろう。一体どんな姿をしているのか。猟奇殺人鬼に負わされた傷が死後も残っているのか。
「ごめんなさい、しばらくの間2人だけにさせてもらえないかしら。ゆっくりこの子から事情を聞きたいのだわ」
唐突の提案に俺は面食らった。真っ先に引き留めたのはつぐみだった。
「2人っきりにするなんてできるわけないじゃない。モノを投げつけるくらい敵対心があるんだよ?」
夕闇さんの肩を強く掴んで行かせまいとする中、俺もフォローするように言葉を被せる。
「俺は普段コイツと一緒だし、同席したほうがいいんじゃないかなー、なんて。そうだよな?」
同居人に同意を求めるように誰もいない部屋に向かって声を上げる。当然夕闇さんみたいに姿を視認できるわけではない。
考え込むように間があった後、トントンとの机を叩く音が2回鳴った。
否定、つまり、夕闇さんと2人で話がしたいということ。解決の糸口を探したいという気持ちは同居人にもあるのだろう。俺の同席を認めてもらえないのが、なんだか頼りにされていないようで気落ちした。
でも夕闇さんの助けが大きな力になる以上、彼女のお願いには素直に頷く。なおも、心配した様子のつぐみに、夕闇さんは優しく肩をさすった。
「私は大丈夫。制服を着ているあたり、彼女は中学生、いや、身体つきからして高校生かしらね。女子同士だし、お兄さんがいない方がむしろ話がスムーズなんじゃないかと思うわ」
じょ、女子高生……だと……
「いやぁでも彼女けっこうバイオレンスな性格してるんで、俺もボディーガードとしていた方がいいかもねぇ」
恐ろしく早い掌返しに全力で異議を申し立てるようにテーブルを2回殴りつける音が鳴った。俺は諦めてファミレスで時間をつぶすことにした。
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夕闇さんから教えてもらったCODEのアカウントから、戻ってきてよいと連絡を受けたのはおよそ1時間後。
妹は怯えながらも両足を引き摺って一緒にアパートに戻ろうとしてくれたが、万が一実家まで同居人がついてきてしまうかもしれないと諭して無理やり帰宅させた。
台風一過のような悲惨な部屋を想像していたが、これといって散らかった様子はなかった。穏便な話し合いができていたようだ。俺の時とは全然違う様子であることに妙な対抗心が湧いているような気がしたが錯覚だろう。
そして、夕闇さんの口から語られる言葉に驚いて息が一瞬止まる。
「残念ながら、記憶がないらしいの。気がついたら廃工場にいて、偶然心霊スポット巡り?で訪れた蝶野さんを見つけて、そのままあなたについてきたってことみたいね。彼女は、失ってしまった記憶を一緒に探してほしいと言ってるわ」
記憶喪失。幽霊でもそんなことあるのだろうか。いや実際に失っているのだからあるということだ。一気に事態が暗礁に乗り上げてしまったことにため息……を出したいのは同居人本人だろう。彼女は悲惨な事件の被害者なのだから。彼女はただ巻き込まれてしまっただけなのだから。
何故俺に憑いてきたのかという疑問はひとまず飲み込む。
火事から俺とつぐみを助けてくれた礼くらいはするべきだろう。
悲惨な彼女に小さな救いを。
それなら現場を調べるところから始めるのか。
「ちなみに、その子の容姿や体格ってどんな感じなのかな?ほら、本人を特定するために必要な情報なんじゃないかなー……なんて」
いや本当に他意はない。彼女の助けになりたいと本気で願った上で知っておくべき情報を聞いているだけだから。邪な気持ちで聞いているわけではないし、別に疑われているわけでもないことは重々承知しているのだが、照れくささと後ろめたさを足して2で割ったような感情がぐるぐる回る。居心地の悪さを感じて、無意味に肩を回して疲れているフリをしてしまったり。
そんな浮ついた気持ちは、夕闇さんの放つ次の言葉で一瞬で吹き飛んだ。
「彼女には首がないの。だから容姿については分からないわ」
――――――――え。
「身長は肩までの高さから推定するに150cm前半かしら、小柄で細身な身体つきをしているわ。バストは――」
そう言いかけて、悪戯な笑みを浮かべながら冗談冗談と手をひらひらさせる。2人のやりとりを見るに、仲良くなっているようだ。
夕闇さんの幽霊に対する接し方は、俺やつぐみのような生きた人間に対するそれと等しく平等であると感じる。
接する相手に生死は問わない。
たとえ首がない者だったとしても。
夕闇鴉。彼女は異常だと直感した。
血の気が感じられないほどの白い肌、夕焼けを投影させたような紅色の瞳。こことは別世界の存在のような美しい姿は、見方を変えてしまうと、現世には相容れない異物と同義。
――だって俺は
――いや、普通は
――凄惨な最期を遂げたであろう彼女の首のない姿を
――薄気味悪いと感じてしまったから
「記憶を探すためには失った首を探して火葬してあげる。今でも無念を残してどこかに隠されている首をこの世から解き放ってあげれば、そこに縛られている首の霊体も、そして記憶も戻ってくるはず」
夕闇さんの確信的な言葉の裏には、若干の希望的観測を混じらせていた。
「首が見つかったからって記憶が戻る保証はどこにもないんじゃないかな?」
これ以上関わりたくないという本心を否定の言葉で埋める俺は卑怯だろうか。
「首が戻れば少なくとも素性が分かる。彼女の霊体も原型に戻るはずだわ」
「見つかった首は時間経過で腐敗してるから、その子のものかどうかも分からない。他の被害者の死体かもしれない。霊体が元の形に戻るというのも絶対ってわけじゃないし……」
「霊体が元に戻るまで首をひたすら探し続ける。スタンドバイミーの少年達のようで青春じゃないかしら?」
どこがやねん……。
首なし少女を目の前にして、死体探しを提案する彼女の白い顔がほんのり上気しているように見える。ただのオカルトが趣味というレベルではない、常軌を逸しているほどの熱量が夕闇さんから発せられている。
あの世とこの世の境を渡り歩く仲介人のように思えてしまう。彼女は果たして本当に人間なのだろうか。
一緒に死体を探すフリをして、知らない間にあの世の世界へ連れて行かれてしまうのではないか。意識し始めると、数分前まで美しいと感じていた彼女の容姿が、白い肌が、紅い目が、全て異界の者のそれであると、認識の色が変わっていく。
「でも猟奇殺人鬼ってまだ捕まっていないんだし、それに犯罪者は犯行現場に戻ってくるって聞いたことがある。かなり危ない綱渡りだ。下手すりゃ鉢合わせして殺されるかもしれないって。そこまでして……」
そこまで死者に尽くして一体何になるというのか。見返りがあるわけでもない、失敗に終われば殺人鬼と鉢合わせとまではいかなくても、目の前の首なし少女に逆恨みされるかもしれないってのに。なんて言葉が喉元まで出かかる。
口に出しただけで呪われるかもしれないと身体から冷汗が吹き出る。
「そこであなたにお願いがあるの」
こちらの心境はおかまいなしに夕闇さんは話を続ける。次に来る言葉は火を見るよりも明らかで、俺は彼女が言葉を発する前に、カルタ取りの如くスピード感でありもしない用事を捻りだす。
「この夏はバイト忙しいしなぁ。彼女と旅行の計画も立ててるし、大学のレポートもけっこうあって目が回っちゃっててねぇ」
もうぐるぐるぐるぐる。ぐるぐるぐるぐると。
ふざけておどけて身体をくるくると舞を舞い、道化を装い場を濁す。
大学生って暇なようでいてけっこう忙しいなぁなんて嘯く。それにいもしない彼女を想像して口にして気持ち悪い言い訳を並び立てるこの口は本当にお利口さんだなぁ。
あぁ、舞いすぎて気持ち悪くなってきた。
突然の俺の舞に夕闇さんは驚いて目を見開き、クスッと小さく笑う。
「私は1人で彼女の生首探しに興じようと思っているのよ。そこでね、今ここで居候?している彼女をウチに連れて帰りたいの。今の同居人のあなたに一応許可をいただこうと思ってね。それがあなたへのお願い」
「……………………は?」
再び息が止まる。冷汗が止まる。彼女の発言の意味が分からず脳が一瞬フリーズする。
「あなたの言う通り、殺害現場をうろつくのは危険よ、だからこれ以上あなたは関わらない方がいいのだわ。あなたの妹、つぐみちゃんにも心配かけさせたくないしね」
「い、いや、廃墟を女の子1人でほっつき歩くなんて危ないに決まっているじゃないか」
「私はつぐみちゃんから依頼されてここに来ているのよ。依頼料もちゃんと受け取っている。解決するためにあらゆる可能性や手段を講じるわ。それにね、人を一人助けるのだもの。多少の危険は負ってしかるべきなのだわ」
「つぐみのやつ、わざわざ身銭まで切ってくれてたのか」
「お兄さん想いなのね。それにあなたもね。本意ではなかったのだろうけど、幽霊の彼女を家に住まわせて、ここまで一緒に生活してくれた。本当は怖い思いもあったのだろうに。彼女はあなたに感謝しているわ。それと、巻き込んでしまって申し訳ないとも言っている」
「……………………あいつがそう言ったんですか?」
「えぇ。それと、妹さんを怖がらせてしまったことも申し訳なく思っていたわ。もうこれ以上あなた達に迷惑はかけられないって。だから、ここからは私に任せて。ここまで協力してくれたこと、言葉で伝えられない彼女に代わって私から感謝します」
夕闇さんは首のない彼女に代わって頭を下げ、御礼を言って静かに部屋を後にした。
がらんとした部屋には俺1人。
物音一つしないところから、夕闇さんは本当に彼女を連れて行ってしまったのだろう。拍子抜けするほどにあっさりと解決してしまい肩透かしを食らった気分だ。架空の彼女を言い訳に織り交ぜたのは死ぬほど恥ずかしいが、夕闇さんとも首なし少女とも二度と会うことはないだろうし最早どうでもいい。
万事解決一件落着。ガハハハッ。
夕方、なんとなしにニュースを付けたがハッとしてすぐに夕方のアニメにチャンネルを切り替える。危うくまた苦情代わりにテーブルを叩かれるところだったと息を吐き、今はもう部屋に1人だったことを思い出す。
テレビで何を観ても、電気代のかかるクーラーをつけなくても、壁やテーブルを叩かれない平穏な生活。俺は自由だ!
「…………………………………………」
だっせぇ。
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