夕闇さんとガーデニング
ホームセンターに着くと、昨日と同様紺色のコートを羽織った夕闇さんが、上品そうなキャメル色のトートバッグを肩に掛けて店の前に立っていた。こちらに気づくと手を上げて挨拶してきた。それに対し俺も手を上げようかと思ったが、年上の先輩に対し手を挙げて挨拶は良くないと頭をきちんと下げるべきか迷い、迷った結果、引きつった笑みで挨拶を返した。
店内に入ってから、俺は夕闇さんに率直に疑問を投げかける。
「あの、なぜホームセンターに集合なんですか?」
「園芸用の道具を買うためよ。あなたの玄関に綺麗な花を並べてあげようと思ってね」
夕闇さんは花が開くようにニコッと笑いかけるが、その意図が分からずに俺は眉をひそめると、夕闇さんが続ける。
「魔除けという意味で家の周りに花を植えるのよ。アロエやユッカといった植物は玄関に、サンスベリアやガジュマルはリビングに。住まいの位置それぞれに適した花を置くことで魔除けの効果が発揮されるといわれているわ」
「誰が言っているんですか?」
口に出しながら、しまったと口に手を当てた。
夕闇さんはぶすっとした不機嫌な面持ちでこちらを見やる。
「相談料の三千円はあなたに返した方がいいかしら?」
「いえ、すいません。昨日の今日で気がはやってしまって。協力してもらってありがとうございますほんとに」
相談した相手を疑うなと、昨日部室で夕闇さんに言われたばっかなのに、反省しないな俺は。人の悪い所ばかりに目がいく自分が嫌になる。他人に文句ばかりで自分からは何もしないくせに。
わざわざ休日にここまで来てくれていることから、占い部として、相談者として、夕闇さんは相談料三千円以上に応えようとしてくれているのは分かっているのに。
肩を小さくすぼめる俺に、夕闇さんは苦笑する。
「あなた、昨日より謙虚になったじゃない。素直でいいことだわ。こちらこそつっけんどんな言い方をしてごめんなさいね。でも正直、昨日のあれだけだと正体が何かは判然としないわ。私には見えなかったしね。ただ、黒い木としてあなたにつき纏っている黒い木は、"生物の死"にまつわるものだと私は思うの。それは、幽霊とは違う。……怪異、かもしれない」
幽霊や妖怪、怪異などの区別すらついていない俺は、なるほど、くらいの相槌しか返答できそうになかった。
「怪異?幽霊とは違うんですか?」
「幽霊というのは、未練を残し、成仏できなかった死者が現世を彷徨っているものよ。生前に残していた無念や恨みを晴らすために残っている存在。生前の人間としての形を保っているのだわ。でも、怪異とは、その先にあるものよ」
「その先、とは……?」
夕闇さんの険しくなっていく顔つきに、俺は恐る恐る尋ねる。
「”現象”そのものよ。幽霊も現世を長く彷徨っていると、いずれ自分のことすら忘れ、存在が消えてしまう。ただ、幽霊の中でも特別に強い未練を持つものは、存在が消えた後も、その”想い”のみが現象となって残り続けてしまうのよ」
「なる……ほど?え、それって花でなんとか……なるんですよね?」
「……まぁ、怪異と決まったわけではないし、やれることをやってみましょう。そういえば、今日の荷物持ちは、もちろん男子の君がやってくれるわよね?」
情報が少ない中で憶測だけで話を深堀りしても変に不安を与えてしまうと夕闇さんは思ったのだろう。怪異に関する話は途中で切り上げ、別の話題に逸らしてくれた。
ホームセンターで購入した園芸用の土とプランターは重く、両肩に掛ける買い物袋は身体にくい込み、空いた両手で長方形型のプランターを持っていると、歩いて10分ほどで身体がへとへとになった。
雨が降り始め、気分も余計滅入ってくる。隣で歩く夕闇さんが相合傘のように傘を差してくれていることに感動する余裕がないくらいには両手両肩がきつかった。
ホームセンター近くにあったフラワーショップで魔除け用の花を購入した後、家に戻って園芸の準備を始める。魔除け用に買ったマリーゴールドのオレンジ色と黄色は、黒い木の持つ漆黒さを除けるほど色鮮やかに玄関前の小さな庭を彩ってくれていた。
マリーゴールドの花言葉は、『健康』、『生命の輝き』。”死”に相対する”生”の花言葉は、少しだけ気持ちを前向きにさせてくれる。マリーゴールドの植え替えが終わる頃には、2人とも両手が土まみれになっており、夕闇さんの方は傘でカバーできていなかった長い髪が雨でびしょびしょになっていた。
さすがにこのまま夕闇さんを帰すのは悪いと思い、彼女を家の中へ入れ、タオルを渡して髪を拭いてもらう。
「暖かいもの何か飲みますか?」
「ホットコーヒーをいただくわ。ブラックでお願い」
「了解です。自室でゆっくりしててください。2階の奥に俺の部屋があります。コーヒー準備して持っていきますね」
「ありがとう。自室で待ってればいいのね。えっと、自室に……?あなた、何を……」
夕闇さんはガードするように両腕を胸の前で組み、ニヤニヤしながらこちらを見る。俺は片手を振って否定する。夕闇さんが階段を上がっていくと、俺はリビングに入り、キッチンにある電気ポットのスイッチを付けて、お湯が沸くのを待った。
不意に肩をつつかれ振り向くと、母さんが頑張ってねと嬉しそうに一言告げ、前もって準備してくれていたのであろうポテトチップスやビスケットを乗せた大皿を渡した。
今自分がどういう状況にあるかなど露も知らない母さんは、パッとしない息子が全く釣り合わないほどの綺麗な女の子を突然家に連れてきたとしか思ってないだろう。
確かに黒い木という怪奇現象を除けば、今の状況は客観的に見て、典型的なラブコメ展開だとは思う。だがあくまで夕闇さんとは部活上の関係だ。辛口に言うと、金銭的な関係ともいえる。吊り橋効果という、危機的状況に陥った男女が恋愛関係になりやすいという心理現象があるが、そもそも危機的状況に陥っているのは俺だけだったので、その効果に期待できるわけもなく。
はぁと大きくため息をつきながら、沸騰したお湯をドリップコーヒーのフィルターに流し込むと、コーヒーの香りが白い湯気と共に立ち昇り、徐々に熱を帯びるマグカップが冷えた両手を温めてくれた。
ソファにもたれながらテレビを観てくつろぐ母さんが遠くに感じる。自分もソファに座りながらぼんやりテレビを観て月曜日の学校に憂鬱さを感じているはずだったのに。声をかけようと、相談しようと喉元から声が出かけたが、ぐっとこらえた。
何て相談するのか。信じてもらえるのか。
目の前の日常とこちらの非日常を隔てる壁は高く、こちら側に立っている人間は今、自分以外いない。夕闇さんも事情は理解しているものの、黒い木を視認していない以上、半身は日常に、一方はこちらに属しているかもしれないが、救ってくれる保証はどこにもない。
コーヒーを入れたマグカップとお菓子をたくさん載せた大皿を2階の自室に持っていくと、自身の持ち込んだであろうDVDをプレイヤーに入れて、音声字幕を調整している夕闇さんがいた。
夕闇さんはこちらに気づくと、ニコッと笑みを浮かべる。
「感動モノの映画をいくつか借りてきたのよ。鷹野君と一緒に観ようと思ってね。幽霊は不安や孤独を抱えた、心に隙のある人間に憑りつくものなのだわ。だから、洋画を見てあなたのすさんだ心を少しでも晴らせるかもしれないと思って」
差し出したコーヒーを啜りながらくつろぐ彼女を見て、自分が見たいだけなのではと思いつつ、思わず視線を横に逸らす。スカートから伸びた、夕闇さんの白くて細い生足のせいで、目のやり場に困ってしまう。
濡れたであろう靴下を脱いだ両脚を艶めかしく伸ばし、ふんわりした白いニットのシャツを着る彼女の姿を見て、目の前の女の子は、女子高生なのだと強く意識させる。
普通に生活していたら、透き通るように白くて可愛い女の子が自室に来て、一緒にDVDを観る機会なんて一生訪れるはずがない。なるほど確かにここは良い意味でも悪い意味でも非日常なのだと、明後日の方向に進む期待感でざわつく旨を抑えつける。
俺は小さいテーブルを挟んだ向かい側に腰を下ろし、誤魔化すようにコーヒーを啜った。
「どんな映画を借りたんですか?」
どんなものかと、DVDの入ったレンタルショップ用の黒い袋を開けて中を見てみると、見たことのある有名どころのものから、聞いたことのないものまでいくつか入っていた。
「いい質問ね。でもそれは見てからのお楽しみってことで、一緒に楽しみましょう」
あっという間に2本の映画を観終わると、外はいつの間にか暗くなっていた。夜の7時をまわり、観れてもあと1本というところだ。マグカップのコーヒーは2人とも空になり、大皿に乗ったお菓子もほとんどなくなっていたので、お腹も減ってきたんじゃないかと思い夕闇さんに聞く。
「そろそろお腹減ってきました?夕飯なにか用意して持ってきましょうか」
「いえ、お構いなく。コーヒーのおかわりをいただけるかしら」
「分かりました。今持ってきますね」
空いたマグカップを持って1階に降り、2人分のコーヒーを入れてから自室に戻ると、夕闇さんは早速3本目の映画を準備していた。
「2本とも映画面白かったですね。特に2本目の、難聴者の女性のラブストーリーが良かった。気の強い関西弁の男と徐々に関係を深めて、ぶつかりながらもお互い理解を深めていく所は、2人の不器用な性格も含めて心が温まりますね」
「そう、気に入ってもらえてよかったわ。鷹野君はどちらかというと女っ気がなさそうなタイプの男の子だから、恋愛モノはやめとこうと思ったのだけれど、選んで正解だったみたいね」
感想を語る俺を見て夕闇さんがクスっと笑ったので、いつもの自分らしさがなくなっていることに気づき、気恥ずかしさを誤魔化すように前髪を搔く。
「夕闇さんこそ、彼氏とかはいないんですか?」
そんなに綺麗なのに、なんて言ってしまうとまたからかわれてしまうかもしれないと思ったのでそこまでは口に出さなかった。
「さぁ、どうかしら?」
夕闇さんはおどけるように交わしつつ、続ける。
思い切った質問だったが躱された……。
「次は、生き物を生き返らせる能力を持つ囚人のお話よ。無実の罪で捕まり、死刑宣告を受けたその囚人が、死刑執行前に刑務所内でたくさん良い事をしていく、少し寂しくて、小さな幸せを作る物語」
夕闇さんは俺との会話を中断するように再生ボタンを押すと、身長2メートルはあろう巨漢の黒人が刑務所に収監されるところから始まった。目を血走らせたいかにもな囚人達、意地の悪そうな看守、刑務所内は殺伐としていた。
主人公の黒人は身体つきが大柄なものの、物腰や口調が柔らかく、しばらく経つと、一部の理解ある看守や他の囚人から好かれていき、そしてそれを面白くなさそうに睨む、意地の悪い看守もいて。
その意地の悪い看守が、囚人の一人にペットのように可愛がられている小さなネズミを必死で殺そうとしていた。その姿は、看守も死刑囚も関係なく人間はそれぞれ醜さを抱えている様を感じさせられた。ネズミは看守の振り下ろす警棒から必死に逃れようと、刑務所内を逃げ回るが、看守の用意した餌に釣られ、後ろからジリジリとにじり寄る看守に気づかず、ついに振り下ろされた警棒がネズミに直撃した。
ぴくぴくと身体を痙攣させるネズミに、看守は何度も何度も何度も。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も――。
警棒を振り下ろし、やがて動かなくなるネズミから、俺は何故だか魅了されたように目が離せず、食い入るように画面を見つめた。
夕闇さんが冷めた目つきでこちらを観察していることにも全く気づかないほどに。
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