愚痴聞きのカーライル ~冒険者酒場から始まる街づくり~

チョコレ

序章 酒場に訪れた金の風

(2)歩み出す二人

カーライルは、マスターの頼みに渋々頷いたが、心の中では不満がくすぶっていた。マスターの頼みは断れない。それは分かっている。しかし心のどこかで、「なんで自分が」と思わずにはいられなかった。


酒場の重い扉を押し開けると、冷たい夜風が彼を迎えた。カーライルは思わず肩をすくめ、深いため息を吐いた。手伝うと言ってしまった以上、放っておくわけにはいかない。それは彼の性格からしても当然のことだった。しかし、そもそも問題はどこに行ってしまったのか、何も分からない。アルマの行方は全くの手探りだった。


「アルマってやつは、何を考えてるんだか…」


自分自身に問いかけるように、カーライルは静かに呟いた。彼女が怒りを露わにして飛び出していった姿を思い出す。あんなに感情をむき出しにしていた彼女が、簡単に引き下がるとは思えない。周囲を見回しても、彼女の姿はどこにもない。


「ゴーストの話にあんなに食い下がってたんだし…墓地にでも行ったんじゃないか?」


そんな可能性が、彼の頭をかすめた。しかし、彼女の考えや行動を理解しようと試みても、彼女とはまだほとんど話したことがない。アルマという人物は、彼にとって未だ謎のままだった。


「とりあえず、行ってみるか…」


呟きながら、カーライルは意を決したように夜の街を歩き始めた。そして途中でふと足を止め、周りの通行人に目をやった。こんな時間に出歩いている人は少ないが、もしかしたら誰かが彼女を見かけたかもしれない。


「金髪の少女を見なかったか?」と、道行く人に声をかけてみる。


「え?いや、見てないな」と、多くの者は驚いた表情で答えるか、そもそも目を合わせずに通り過ぎる。カーライルは焦燥感を募らせながら次々と人々に尋ねて回ったが、期待していた答えはどこからも得られない。夜の冷たい空気が、彼の胸に重くのしかかってくるようだった。


ため息をつき、カーライルは再び歩き出す。しかし、どこかで手がかりを得ることができるはずだと信じ、少しずつ早足になっていった。そしてその時、ふと一人の中年の男性が立ち止まり、カーライルの方に近づいてきた。


「さっき、小柄な金髪の少女があっちに向かっていったよ」と、男性は言いながら、手で墓地の方角を指さした。


カーライルの胸に一瞬安堵の感覚が広がる。まさに彼が予想していた場所だった。


「墓地…やっぱりな」


カーライルはそう呟きながら、その方向に向かい、走り出した。しかし、走るうちに不安が頭をよぎる。彼女が何も考えず、準備もせずに突っ走っている可能性は十分にある。カーライルは息を切らしながら考えを巡らせた。


「あれを準備しておくか...」


酒場で彼女に伝えるのを控えたゴースト問題の解決策を胸に、カーライルは方向を変え、すぐに近くの魔石屋へと足を向けた。夜も遅いというのに、幸運なことに店はまだ閉まっていなかった。カーライルはドアを勢いよく開け、店主に短く声をかける。


「銅貨三枚で買える、小さなものを出してくれないか」


店主は彼の求めに無言で頷き、カウンターの奥へと消えていった。しばらくして、彼が差し出したのは、漆黒の魔石だった。それは小さく、手のひらに収まるほどだが、その表面は黒ずんでおり、まるで光を吸い込むように暗く輝いている。


カーライルはその魔石を手に取り、銅貨三枚をポケットから取り出して店主に渡す。店主はただ無言で頷き返し、カーライルは感謝の言葉を残すこともなく、すぐさま再び墓地へと向かって走り出した。



カーライルが街外れの墓地に辿り着くと、そこには不気味な静寂が広がっていた。月は雲に覆われ、かすかな光だけが霧の中に溶け込み、周囲をぼんやりと照らしている。冷たい風が骨のように枯れた木々をざわめかせ、枝がすれ合う音が耳をつんざくように響く。古びた墓石は暗闇の中に影を落とし、その形はまるでかつての生者が立ち上がろうとしているかのように見える。


地面には厚い湿気が漂い、足を踏み出すたびにぬかるんだ土が小さく音を立てる。遠くでフクロウの鳴き声が響き、夜の静けさがより一層、不安を煽る。アルマの姿はそんな不気味な光景の中で、一層際立っていた。彼女はすでに詠唱を始めており、澄んだ声が墓地全体に響き渡っている。深い闇を切り裂くように、彼女の詠唱は力強く、神聖な力が周囲に満ち始める。


白く輝く光がアルマの手元からゆっくりと広がり、まるでその光が闇を浄化するかのように墓地全体を包み込む。その詠唱は、神聖な力を具現化するものだ。白く輝く光が空に向かって広がり、まるで天そのものが開けるかのように神々しい光景が展開される。


「天から舞い降りる清き光よ、聖なる光の矢となり、大地を照らし、すべての邪悪を打ち払え。無垢なる輝きよ、我が声に応じ、今ここに降り注げ!聖光槍ホーリーレイン!」


天上に開いた光の裂け目から、無数の白い光の矢が降り注ぐ。その一つ一つが浄化の力を帯びている。輝きは夜の闇を一瞬で打ち消し、墓地全体を包み込む。墓地を漂っていたゴーストたちは、光に触れた瞬間、声も立てずに霧散し、完全に消え去った。


天から降り注ぐ光は、静かに地面に吸い込まれ、最後の一瞬には、墓地全体を清らかな輝きで覆い尽くした。誰もが息を飲むような荘厳な光景だった。しかし、カーライルは冷静に口を開いた。


「綺麗なもんだが…また出てくるぞ、それじゃ解決にはならん」


アルマは、彼の声に驚いて振り返った。彼女の目には怒りと驚きが入り混じっていたが、その表情はすぐに冷たさに変わる。


「さっきの愚痴聞き屋ね。アドバイスはしないんじゃなかったの?」


カーライルは肩をすくめ、軽く苦笑しながら言った。


「ゴーストってのはな、土葬された遺体に残るマナが大気中のマナと結びついて生まれるんだ。ゴーストを本当に根絶するなら、遺体を火葬にするしかないんだが、この国の文化じゃそれは無理だろ?」


アルマは少し驚きながらも、鋭い目で問いかけた。


「それで、どうすればいいのよ?」


カーライルはため息をつきながらポケットから黒ずんだ魔法石を取り出し、手のひらに乗せて見せた。石はかつては光を放っていたのだろうが、今ではその輝きは失われ、表面にはくすんだ灰色のひびが走っていた。手のひらの上で温もりを感じるほど重さはなく、ただ冷たい感触だけが残る。だが、この黒ずんだ石が、カーライルの頭の中では解決策の鍵となっていた。


「銀貨を後で本当に払うなら、今からその対策方法を教えてやるさ」


彼の声は少し皮肉めいていたが、魔石を見つめる目には、かつての冒険の日々を思い起こすような鋭さが戻っていた。


アルマは一瞬渋い表情を見せたが、やがて口を開いた。


「…わかったわ。後で払うわよ。約束する」


カーライルは笑みを浮かべ、彼女に魔石を差し出した。


「この魔石に聖属性のマナを込めてくれ。お前さんならそれぐらい簡単だろ?」


アルマは不機嫌そうに見えたが、魔石を受け取り、深い息を吐いた。そして、手の中で魔石に聖なる力を送り込んだ。彼女の手から放たれる白い光が、魔石を輝かせる。魔石は彼女の魔力を吸収し、次第に強力な聖属性の力で満たされていく。光の強度は一瞬増し、まるで魔石そのものが発光しているかのように輝きを放った。


「よし、それで十分だ」


カーライルはそう言うと、コートの内側から小さなハンマーを取り出した。そのハンマーは手のひらにすっぽり収まるほど小さく、長年の使用で木製の柄には薄く汚れがついていたが、金属部分はしっかりとした重みがあった。彼は黒ずんだ魔石を片手に持ち、もう片方の手にハンマーを握ると、慎重に石の弱そうな箇所を目測で定めた。


「手早くやるぞ」


カーライルはそう言うと、軽くハンマーを振り下ろした。魔石はパキリと小気味良い音を立てて数片に割れた。カーライルはすぐにその破片を手の中で細かく砕き、無数の小さな破片へと変えていく。それぞれの破片はキラキラとわずかに光を反射している。


「ほら、これで準備完了だ」


そう言ってカーライルは無数の細かな破片を、墓地におもむろにばらまく。


「ゴーストってのは、地中から湧いてくる。だから、こうして地表面に聖属性のマナを帯びた魔石をばら撒いておけば、アイツたちの出現を防げる。年に一度くらいマナを補給してやれば、簡単に維持できるし、これなら人件費も抑えられる」


アルマはその説明を聞き、驚きと共に感心したように息を漏らした。


「すごい…こんな方法があるなんて」

彼女の碧眼は輝きを増し、ばら撒かれた魔石の破片をじっと見つめていた。しばらくの間、その神秘的な輝きを目で追っていたが、ふと微笑みを浮かべ、カーライルを見上げる。


「アンタ、いろんなこと知ってるのね…」

アルマの声には尊敬の色が滲んでいた。だが、カーライルは軽く肩をすくめ、いつもの調子で言い返す。


「まぁ、酒場で冒険者の愚痴を聞いてると、自然と色々耳に入ってくるもんだよ。たとえば、冒険者どもがアンデッドやモンスターが入り込まないようにするために、休憩用のセーフポイントを作るって話があってな。魔石に聖属性のマナを込めて、辺り一帯にばらまくんだとよ。魔法使いも安全に休めるようにってことらしい」


その内容はカーライルにとっては常識みたいなものだったが、魔法学院首席といえどもダンジョンに潜ったことがないアルマにとっては新鮮な知識だった。


「そうなんだ…そんな使い方もあるのね」

アルマは目を輝かせながら、今まで知らなかった冒険者たちの知恵に感心している様子だった。


カーライルはそんな彼女の様子を見て、軽く笑いをこらえる。「まぁな。現場の人間は自分たちの命を守るために、色々な知恵を絞るもんさ。」


アルマは再び魔石に目を戻しながら、真剣な表情を浮かべた。その後、ふと微笑みを浮かべ、カーライルを見上げる。


「ありがとう、カーライル。今度また愚痴を聞いてちょうだい」

カーライルは肩をすくめて答えた。


「銅貨三枚を持ってくるならいつでも聞いてやるさ。ただし、アドバイスが欲しいなら忘れずに銀貨も用意しとけよ」


彼は少し意地悪そうに言ったが、その言葉にはどこか優しさが滲んでいた。アルマはそんな彼の言葉に、微笑んでうなずいた。


──


墓地から酒場へと続く道は、月明かりに優しく照らされていた。静かな夜の中で、二人の足音だけが響いている。カーライルは無言で歩きながら、少し前を歩くアルマの姿を見つめていた。彼女は時折、墓地の方を振り返り、何かを考え込んでいるようだった。


「それにしても、なんで一緒に歩いてるんだ?」

カーライルが疑問を口にすると、アルマは軽く振り返りながら、肩をすくめた。


「お酒は飲めないけど、酒場で強めの炭酸でも飲みたくなったのよ。今日は私なりの打ち上げってことでね。」


彼の問いに答えながらも、アルマの歩みは止まらない。それに対して、カーライルは微妙な違和感を覚えたが、彼女の軽い調子に、それ以上の追及はしなかった。


しばらくの沈黙の後、アルマが小さな声で付け加えた。「それに──」


「──それに?」

カーライルが眉をひそめて促すと、アルマは振り返りもせず、いたずらっぽい笑みを浮かべたまま言った。


「これからいろいろ頼ることになると思うから、私の名前、ちゃんと覚えておいてね。アルマよ。アルマ。忘れないでね。」


その言葉には無邪気な笑顔の裏に隠された真剣さがあり、カーライルは彼女の背後にある決意を感じ取った。そして、この街に吹き始めた新たな風を確かに感じた。


ふと、アルマの金髪が風に揺れ、月光を浴びて一瞬、きらりと輝くのを目にする。その光景はまるで、女神が子供の姿でこの世界に降り立ったかのようだった。カーライルは心の中で苦笑した。酔ってもいないのに、こんな幻想的な場面を見るとはな、と。


「本当に、何を企んでるんだか…」

カーライルがぼそっと呟くと、アルマは前を向いたまま、軽やかに返した。


「企んでるなんて、人聞きが悪いわよ。ただ、この街を良くしたいだけ。それに、愚痴を聞いてくれる相手がいるって、悪くないでしょ?あんたも、冒険者の愚痴ばかり聞いて飽きてたんじゃないの?」

彼女の軽やかな口調の裏には、確かな決意が滲んでいた。


カーライルは彼女の後ろ姿を見つめながら、微笑みを浮かべた。これから彼女が動くたびに、自分も巻き込まれるのだろう――そんな予感が胸の中で静かに広がっていくのを感じた。


「…どうなるか、見物だな。」

カーライルは静かに呟き、アルマと共に夜道を進んでいった。次に何が起こるのか、彼もまた期待に胸を躍らせながら。


月明かりの下、二人の影が遠ざかっていく。その先に何が待ち受けているのかは、まだ誰も知らない。それでも、カーライルは確かに感じていた。これまでの日常とは違う何かが、これから始まるのだと。

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