第2話 霊薬不足のポーション 前編

冒険者酒場のカウンターには、いつものようにカーライルが腰を下ろしていた。ジョッキを片手に、ビールをゆっくりと口に運びながら、酒場のマスターと他愛のない話をしている。話題は、もちろんあの少女──アルマのことだった。


「アルマ嬢ちゃん、先日のゴースト退治はすごかったな。あの聖属性魔法、まるで光の女神様が降りてきたみたいだって、街外れの連中が騒いでたよ。墓地からゴーストも出なくなって、魔法使いの派遣要請もだいぶ減ったらしいな」

マスターは感心したようにグラスを拭きながら言った。


「確かに、夜が少し明るくなったかもな。でも、俺にとっちゃもう二度とごめんだね」

カーライルは苦笑しながら、ビールをぐっと飲み干した。アルマの聖属性魔法は壮大で美しかったが、その背後にある彼女の情熱に巻き込まれ、ゴースト退治に手を貸した疲労感がまだ残っている。普段は酒場と家の往復しかしていない自分が、急に動き回れば体が悲鳴を上げるのも無理はない。


「情熱は立派だが、あれに付き合うのは骨が折れるぜ」

カーライルはため息をつき、ジョッキをカウンターに置いた。


そのとき、店のドアが勢いよく開いた。冷たい夜風が酒場に吹き込み、カーライルとマスターの会話を断ち切る。振り返ると、そこにはまたしてもアルマが現れた。彼女の金髪は月明かりに照らされ、まるで光を放つかのように輝き、碧眼は怒りと焦りに燃えていた。彼女の華奢な体つきは、その圧倒的な熱量と不釣り合いだが、その立ち姿はいつも以上に堂々としていた。


「アンタ、また私の愚痴を聞いてよ!」

アルマはためらいなくカウンターに歩み寄り、銅貨を無造作に投げた。カラカラと音を立てて、銅貨はカーライルの前で静かに止まる。


「またかよ、アルマ嬢ちゃん。今度は何だ?」

カーライルは銅貨を軽く指で転がしながら、少し呆れたように問いかけた。


アルマは怒りを隠さず、すぐに話し始めた。「ポーションの材料になる霊草が、全然ポーション工房に届かないの!これじゃ、ダンジョンに挑戦する冒険者たちがポーションなしで出発するしかなくなるじゃない!そんなことになったら、誰もダンジョンに行けなくなるわ。街はどんどん寂れていくのよ!」


「霊草が届かなくなった?」

カーライルは少し驚いた様子で問い返した。霊草は、この街の冒険者にとって欠かせないアイテムの一つだ。ポーションの主成分であり、回復や治癒の効果を持つが、どうして急に供給が途絶えたのか理解できなかった。霊草は、ただの雑草ではない。ポーションに使用するためには、特別な条件を満たしていなければならない。特に重要なのは、その草がマナを吸い込んでいることであり、特に聖属性のマナを持つ土地で育った草が不可欠だ。清浄な滝や山麓など、汚れていない自然環境でしか育たないため、その採取場所は極めて限られている。それが途絶えるとは、街にとって深刻な事態を招きかねない。


「工房でお手伝いしている友達が教えてくれたの。仕事がなくなっちゃいそうって。特に理由はわからないけど、このままじゃ冒険者たちがポーションなしでダンジョンに行くしかなくなるわ!」

アルマは焦燥感を滲ませながら続けた。


「なるほどな…」

カーライルは顎に手を当て、思案にふける。霊草がこの街に入ってこないとなれば、冒険者たちはポーションなしでダンジョンに挑まなければならない。そんな無謀な行動をすれば、冒険者は命を落とし、街全体が寂れていくのは時間の問題だ。


「どうすればいいのか全然わからないのよ。ポーションがなくなるなんて、この街にとっては死刑宣告みたいなものよ!聖属性の魔法使いをダンジョンに連れて行って、治癒魔法で補う方法もあるけど、お金がいくらあっても足りないわ」

アルマの声は焦りと絶望に満ちていた。


カーライルは重い溜息をつき、ジョッキを静かに置いた。「悪いが、今回は俺にも答えは出せん。金貨を積まれてもどうにもならんさ」


「…どうして?」

アルマはショックを隠せない様子で問いかけた。


「情報が少なすぎるんだ。墓場のゴースト退治は単純だったが、今回は色んな要素が絡んでる。何かを解決したいなら、一つ一つ丁寧に解いていくしかない。今はその情報が足りなさすぎる」


カーライルの言葉は冷静で現実的だったが、その裏には自分でも解決策を見つけられないもどかしさがあった。


アルマは落胆した表情で席を立ち、何も言わずに店のドアへと向かう。彼女の小さな背中がドアの向こうに消えかけたその時、カーライルは胸にわずかな痛みを感じた。


「なんでもすぐに答えが見つかると思うなよ、アルマ嬢ちゃん」

彼の声は静かだったが、彼女には届かない。冷たい夜風の中にアルマは消えていった。


酒場に再び静寂が訪れ、カーライルは深いため息をついた。「霊草の不足なんぞ、何が原因かはわからんが…調べてみる価値はありそうだ…」

彼はジョッキを回しながら、ぼんやりと考え込んだ。汚れていない土地が減っているのか、他の街に流れているのか。この情報が街に広がらないのは何か理由があるのだろうか。混乱を避けるためかもしれないが、手がかりがあまりにも少ない。


「探りを入れてみるか…」

カーライルは苦笑しながら呟いた。「探りを入れるだなんて、俺らしくもないな…」

彼はいつもとは異なる選択をしようとしている自分に、少しばかり戸惑いながらも、次の行動に向けて考えを巡らせていた。



アルマが酒場を離れた後も、「霊草がない」という問題が頭から離れなかった。霊草が途絶えれば、ポーションの供給が減り、冒険者たちはダンジョンでの回復手段を失う。だが、奇妙なことに、アルマの慌てぶりとは異なり、街に大きな混乱は見えてこない。これは調べる価値がありそうだ。


そこで次にやってきた冒険者一行の愚痴を聞く際、酒と共に流れすことなく、自分から話を振っていくことにしたのだ。


「ところでさ、最近ポーションの値段って上がってないか?」

カーライルは何気ない調子で切り出した。


目の前の冒険者は、口にしたばかりの酒を嚙みしめるように飲み込み、不思議そうな顔をした。


「ポーションの値段?いや、特に変わったことはないぜ。前と同じ値段で買えてるし、普通に市場で手に入る。どうしたんだ?ただ愚痴を酒を一緒に飲み込むお前が、質問してくるなんて、らしくもないじゃないか。」


「まあ、そんな感じの噂を耳にしたんだが、どうも俺の勘違いみたいだな」

カーライルは気軽に答えたが、内心では驚きを隠せなかった。アルマが言っていた「霊草不足」は、実際には冒険者たちに何の影響も与えていないのだ。


「お前がそんな情報を外すなんて珍しいな」

と笑いながら冒険者が口にしている中、確実に何かが隠されていると確信した。これは面白そうだと感じたカーライルは翌朝、別の行動を起こすことを心に決めた。ジョッキを飲み干し、二日酔いにならないことを願いながら。



次にカーライルが向かったのは、ギルドの受付だった。アルマの話では霊草が不足しているという。しかし、冒険者たちは何の問題もなくポーションを手にしている。この違和感の原因を探るため、彼はまず霊草の採取状況を確かめることにした。


ギルドの受付はいつも通りにぎやかで、受付嬢たちが忙しなく対応していた。カーライルはそのうちの一人に近づき、声をかけた。


「最近、霊草の採取依頼が減ってるって噂を聞いたんだが、本当か?」

彼の言葉に、受付嬢は一瞬眉を上げ、驚いたように顔を向けた。だが、すぐに平然とした表情に戻り、淡々と答えた。


「減ってる?そんなことないわよ。むしろ最近は天気も良くて、採取量が増えてるくらいよ。報告書も毎週ちゃんと上がってきてるし、霊草の供給には何も問題ないわ」

彼女の声は確信に満ちていた。


カーライルはその言葉を聞いて、かすかに眉をひそめた。受付嬢の答えは予想外だった。アルマが言っていた「霊草が街に入ってこない」という話とは矛盾している。だが、彼女の表情に隠し事をしている様子はなかった。


「そうか…ありがとう」

彼は軽く礼を言い、静かに立ち去った。


ギルドで得た情報では、霊草の採取は順調に行われている。流通も滞りなく進んでいると報告されている。それなのに、ポーションの工房では霊草が届いていないという。この不一致に、カーライルは得も言われぬ不安を覚えた。何かが隠されているか、あるいは情報が巧妙に操作されている。どちらにせよ、事態は複雑だ。


自分の調査結果とアルマの言葉を突き合わせるため、カーライルは領主の屋敷に向かうことにした。アルマが何か見落としているのか、それとも別の事情が絡んでいるのか。領主家がこの問題に関与している可能性も捨てきれなかった。


屋敷の前に到着し、門の前で立ち止まったカーライルは、少し考えた後、入るべきか迷った。だが、その迷いはすぐに取り押さえられるという不運な展開によって中断された。衛兵たちが一斉に彼に向かって近づき、不審者として捕まえたのだ。


「おい、俺はただ…!」

カーライルは抵抗しようとしたが、衛兵たちの力は思った以上に強く、言い訳をする暇もなかった。そんな中、運命的にアルマが屋敷に戻ってきた。


衛兵たちは彼女の姿を見るなり、顔色を変え、即座に敬礼した。「アルルマーニュ様!」と、彼女の本名を呼びながら声を揃える。カーライルはその名前に驚き、彼女を見つめた。


(アルルマーニュ?そんなまだるっこしい名前だったのか……)

彼は心の中で呟きつつ、少し意外そうに彼女を見た。


「彼は私のアドバイザーよ!何をしているの、すぐに離しなさい!」

アルマの鋭い声に、衛兵たちはすぐに手を引き、カーライルはようやく解放された。腕を軽く振りながら、彼は安堵の息をついた。


「アドバイザーって、ちょっと持ち上げすぎだろ?」

カーライルは肩をすくめ、軽い冗談を言ってみせたが、アルマは依然として真剣な表情のままだった。


「あなたが来てくれてよかったわ。何か分かったことがあるの?」

アルマはまっすぐに彼を見つめ、その瞳には期待と少しの不安が入り混じっていた。




カーライルとアルマは、屋敷の中で静かな場所を見つけ、ようやく二人きりで話を始めた。カーライルは深く腰を下ろし、手に入れた情報を冷静に伝えた。


「嬢ちゃん、どうもおかしい。俺が調べたところ、霊草は普通に採取されてるし、冒険者たちもポーションを普通に買えてる。値段だって上がってない。ギルドの受付でも霊草の採取は順調だと。もし霊草が街に入ってこないなら、供給が滞って値段が跳ね上がるはずだろ?」


カーライルの言葉に、アルマは眉をひそめた。その碧眼には、これまで自分が信じていたものが覆されるかもしれないという戸惑いと、不安が浮かんでいた。彼女は沈黙の中で思案を巡らせ、内心の動揺を表に出さないように努めていた。


「確かに…」

アルマは静かに頷き、言葉を探すように小さく息を吐いた。彼女の横で、カーライルは続ける。今までの断片的な情報が、徐々に一つの像を結びつつあった。


「霊草はちゃんと採取されてる。けど、ポーションの工房の奴らは霊草が足りないって言ってる。つまり、ギルドがポーションの作り手に霊草を卸すのを意図的に止めてるんじゃないか?理由は俺には分からんが」


アルマの目が大きく開かれた。「ギルドが霊草を卸していない?でも、それだと、さっき言ったみたいにポーションの値段も上がるはずじゃないの?」


「そりゃ、備蓄してた霊草やポーションのストックがまだ残ってるんだろうさ。でも在庫が尽きたら、一気に供給が減って大混乱になる。何か理由はあるんだろうが、ギルドが霊草の流通を管理してる以上、そいつらがポーション工房への供給を止めてる可能性が高い」


アルマは黙り込んだまま、考えを巡らせていた。彼女の表情は焦りと苛立ちが入り混じり、責任感が彼女の肩に重くのしかかっているのが分かる。領主の娘としての責務、そして街を守ろうとする意志が彼女を突き動かしていたが、その思いとは裏腹に、状況は手に負えないほど複雑になっていた。


「…ポーション工房で聞いた話の背景に、そんな事情があったなんて。でも、これで納得がいったわ。そういうことなら、ギルド長に直接話を聞くしかないわね」

アルマの声には決意がこもっていた。その瞳には、迷いは消え、何があっても真実を追求するという強い意志が宿っていた。


カーライルはそんな彼女をじっと見て、軽く笑みを浮かべた。「お前がギルド長に直談判か。そりゃ、面白い展開になりそうだな。どんな顔するか楽しみだ。俺はそれを肴に、酒でも楽しませてもらおうかな」


アルマはカーライルを軽く睨んだが、その中には不安と期待が交錯していた。「冗談を言ってる場合じゃないわよ」


「まあな。でも、俺は銀貨一枚くれるなら、ついていってやってもいいぞ」

カーライルは悪戯っぽく笑い、冗談半分に返した。


アルマはその言葉に一瞬驚いたが、すぐに冷静さを取り戻し、肩をすくめて答えた。「残念ね。ギルド長のディーン様とは、子供の頃から何度もお会いしているから、心配しなくて大丈夫よ。私一人で十分よ」


「本当か?」

カーライルは少し驚いた表情を見せた。アルマが子供の頃からギルド長と顔見知りだというのは、彼にとって少し意外だった。


しばらく考えた後、アルマは軽く笑みを浮かべ、言葉を付け加えた。「ただし…何があった時のために、隠蔽魔法をかけておくわ。何か起きたら、『イリス』と叫んで。魔法が解除されるから」


カーライルは彼女の提案を聞いてにやりと笑った。「隠蔽魔法か。そりゃまた、大層な準備だな。よし、銀貨一枚、決まりだな」

彼はからかうように言いながらも、満足げな笑みを浮かべた。



二人は領主の屋敷を出て、ギルドへ向かって歩き始めた。昼間の日差しが街に降り注ぎ、明るく照らされた通りを進む中、カーライルはふとアルマの背中に視線を向けた。まだ幼さの残る彼女だが、その小さな背中には、驚くほど大きな決意が感じられた。彼女の一歩一歩が、街を守ろうという強い意志に支えられているのだろう。カーライルは内心で感心し、彼女が抱えている責任の重さに思いを馳せた。


「嬢ちゃん、覚悟はできてるか?」

カーライルは昼間の喧騒を少し避けるような静かな通りで、ふと声をかけた。彼自身、この問いがどれほど深い意味を持つのか、自覚しつつも自然に発していた。


アルマは足を止め、振り返ってカーライルをまっすぐに見つめた。碧眼は太陽の光を受けて輝き、その中には揺るぎない決意が宿っている。


「もちろん。この街を守るためなら、私は何だってする覚悟があるわ」

その言葉は、強く確かなもので、カーライルの胸にしっかりと届いた。


カーライルは少し驚かされ、内心で彼女への評価を改めざるを得なかった。この少女はただの領主の娘ではない。自分の信念に従い、行動している。そして、その覚悟は想像以上に大きなものだった。


「よし、じゃあ行くか。俺たちの疑念が本当なら、ギルド長との話が面白くなるだろうな」

カーライルは少し笑みを浮かべながら軽い口調でそう言ったが、その心には不穏な予感があった。ギルド長が裏で何かを企んでいるのなら、これからの展開が単なる対話で終わるとは限らない。


ふと、カーライルは疑問を抱いた。「アルマ嬢ちゃんは、どうしてポーション工房で聞いた話を領主様に伝えていないんだ?」彼女が一人で動いている理由には何か深い事情があるのだろうか。もしギルド長との話し合いがうまくいかなければ、街全体を巻き込む大混乱が起こるかもしれない。それとも、大人たちが耳を貸さないからこそ、彼女は自分一人で解決策を見つけようとしているのか?


カーライルは彼女の選択に対してわずかな不安を抱いたが、その時、アルマが低い声で呪文を詠唱し始めた。その声には確かな力が宿り、昼間の陽光の下で不思議な緊張感をもたらしていた。


「虚ろなる影の帳が、光を捻じ曲げ、真実を欺き、かの物の姿を永遠に覆い隠さん。隠蔽魔法イル・リース!」

彼女の声が空気を切るように響いた。


カーライルはその詠唱を聞きながら、肩の力を抜いた。心配なんて無駄だ。どうせ俺には銀貨が手に入って、美味い酒が飲めればそれで十分。そして肴になる面白い話がついてくれば、アルマ嬢ちゃんがどう考えていようが、知ったこっちゃない。


カーライルは自分の中に沸き上がる不安を押し殺し、考えるのをやめた。


昼間の明るい光が二人の道を照らし続け、ギルドへの道のりが次第に近づいてきた。彼らの前に待ち受ける真実は、まだ誰にもわからないままだったが、昼下がりの静かな陽光が、何かしらの答えを与えるかのように二人の背中を押していた。

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愚痴聞きのカーライル ~冒険者酒場から始まる街づくり~ チョコレ @choco1113

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