第一章 霊草不足のポーション

(1)少女の焦燥と霊草

「これが、私の切り札──」


 その言葉が耳に届いた瞬間、嬢ちゃんの姿がゆっくりと変わり始めた。金髪は銀色に輝き、風に揺れて闇に光の筋を描く。碧眼は深紅に染まり、炎のような力を宿している。その姿には、酒場で見た無邪気な少女の面影はもはやない。


 銀髪と赤い瞳が醸し出す圧倒的な威圧感。空気までもが変わり、彼女の周囲に漂う力が肌に刺さるようだった。


「さあ…始めましょうか。」


 低く響くその声が静寂を切り裂く。まるで夜そのものが彼女の代弁者となったかのようなその声が、これから始まる戦いを告げていた。俺は無意識に拳を握りしめる。彼女の放つ圧倒的な力に、背筋がぞくりと震えた。もう、あの頃の嬢ちゃんではない──目の前にいるのは、力を覚醒させた新たな存在だった。


 時は少し遡る。

 あれは墓地のゴースト退治から、一週間ほどが経った時のことだっただろうか─


 ─


 冒険者たちで賑わう酒場。ダンジョン帰りの者たちが戦果を誇り、失敗を笑い飛ばしながら酒を酌み交わす。笑い声と乾杯の音、楽器の調べが入り混じり、古びた酒場を活気で満たしていた。


 その喧騒をよそに、カーライルはカウンターの隅で静かにビールを味わっていた。ジョッキを片手に、ぼんやりと目の前の賑わいを眺めている。揺れる灯りがカウンターの木目を照らし、ジョッキの表面で淡く光っていた。


 話題は自然と墓地での出来事へと移っていた。


「領主様の娘さん、すごい魔法を使ったらしいな。まるで光の女神が降りてきたみたいだってさ。」マスターが感心したように呟き、手際よくグラスを拭いている。


 カーライルはジョッキの縁を指でなぞりながら、その言葉を聞き流した。頭の片隅に蘇るのはアルマの姿。けれど、彼は表情一つ変えない。


「ゴーストも出なくなって、街の予算が助かるらしいな。」マスターが軽く付け加えると、カーライルは苦笑を浮かべてビールを飲み干した。


 そのとき、店の扉が勢いよく開き、冷たい夜風が酒場を駆け抜けた。ざわめきが止み、全員の視線が入り口へ向かう。


 立っていたのはアルマだった。月明かりに照らされた金髪が輝き、碧眼には怒りと焦りが宿っている。その小柄な体から放たれる威圧感が、場の空気を引き締めた。


「カーライル!また私の愚痴を聞いてよ!」アルマはカウンターへ進むと、銅貨を勢いよく放った。


 銅貨はカウンターの上を転がり、カーライルの前で止まる。彼はそれを指で転がしながら呆れたように言った。「またかよ、嬢ちゃん。今度は何だ?」


「ポーションの材料、霊草が全然届いてないの!」アルマは鋭い声で言い放つ。


 カーライルの脳裏に、冒険者や工房の職人たちの愚痴が蘇る。霊草――豊富なマナを宿しながらも、扱いが難しく、調合を失敗すれば爆発する厄介な素材だ。


「このままじゃポーションが作れなくなる。冒険者だけじゃない、街全体が困るわ!」アルマの声は酒場を静めるほどの力強さを持っていた。


 カーライルは静かにジョッキを置き、アルマを見つめた。「確かに、ポーションなしでダンジョンに潜るなんて自殺行為だな。」


「工房で働いてる友達も、このままじゃ仕事を失うって…!」アルマの瞳には焦りと切実さが滲んでいた。


 カーライルはしばらく黙り込んで銅貨を見つめ、やがて息を吐いた。「悪いが、今回は愚痴を聞くだけにしておこう。今の俺には有益なアドバイスは出せそうにない。」


 冷淡な言葉にアルマは表情を曇らせ、かすかに震える声で問い返した。「どうして?」


 カーライルは肩を落とし、静かに答えた。「情熱は認めるが、焦りだけでどうにかなる問題じゃない。」


「焦ってなんかない!」アルマの声には揺らぎがあった。


「俺はただの愚痴聞き屋だ。助けたい気持ちはあっても、できることには限界がある。」カーライルの言葉は冷静だったが、その奥に含まれた優しさが、アルマの胸に突き刺さった。


 アルマは一瞬言葉を失ったが、再び声を振り絞る。「それでも…だからこそ頼りたいのよ!」


 カーライルはその言葉にわずかに眉をひそめ、やがて立ち上がった。「分かったよ。俺にできる範囲で手伝ってやる。ただし、無茶はするな。」


 その言葉にアルマの表情がぱっと明るくなった。「ありがとう!」


「礼を言うのは早い。まずは情報を集めろ。それが最初だ。」カーライルは苦笑しながら続けた。


 アルマは力強く頷き、意志を取り戻した瞳で答えた。「分かったわ。調べてみる!」


 彼女が酒場を飛び出していく後ろ姿を見送りながら、カーライルは静かに息を吐いた。


「霊草か…調べる価値はありそうだな。」低く呟き、再びジョッキを手に取った。冷たいビールの感触が、これから始まる新たな波乱の予感をわずかに和らげていた。

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