09

 綺麗な星空の下を、雪と悪食は歩いている。

 悪食は大きく伸びをしながら、満足げに笑った。


「いやあ、楽しかった。雪とデートできて嬉しかったよ」

「そうですか」

「あはは、つれないなあ」


 悪食は寂しそうに微笑みながら、駄菓子屋で買った風船ガムをポケットから取り出すと、ひょいと口の中に放り込んだ。


「そういえば、さ」

「何ですか?」


 悪食は雪の方を見て、問う。


「雪はどうして、蝶のことが好きなの?」


 その疑問に、雪は淡く目を見開いた。

 それから、どこか自嘲するように冷たく微笑む。


「……気付いたら、好きでした」

「へえ。理由とかはないの?」


 首を傾げた悪食に、雪はぴたりと立ち止まると、どこか寂しそうな面持ちを浮かべた。



「……異常な恋には、正常な理由がないと許されませんか?」



 悪食は少し先で足を止めて、闇のように真っ黒な瞳で雪を見る。

 雪は表情から寂しさを消して、そっと歩き出した。

 悪食も、彼女に倣うように並んで歩く。

 二人の間には静寂が訪れて、時折悪食の膨らませた風船ガムがぱちんと弾ける音がした。


 ◇


 消灯された部屋で、雪はベッドの上で布団から顔を覗かせていた。

 早く明後日にならないだろうか、と思う。蝶と二人で夏祭りに行くことができると思うと、どうしようもない幸福感が雪の心を包んだ。

 それが終われば、きっと自分は〈高位の存在〉となるのだろう、と思った。


 雪には自分が殺し合いで死ぬ未来がちっとも想像できない。たとえ相手がどれほど強い人間だったとしても、最終的には勝つことができるだろうと予想している。それは自身の異常性を深く自覚しているから。


〈高位の存在〉となれば、今のような蝶との時間は失われてしまうだろうけれど、雪はそれでも人間をやめたかった。蝶の生命いのちを救い、蝶の全てを知り、蝶と永遠を共にする――ちっぽけな人間でいるよりも、そういう生き方の方がずっと幸せなような気がした。


 ごろりと寝返りを打つ。……ふと、天井の辺りに気配を感じた。

 雪は視線を、天井の方へと移す。



 ――――数多の青白い手が天井から生えていた。



 数え切れないほどの腕がにゅるにゅると伸びてくる光景を、雪は息を呑みながら見つめていた。手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手、かれらは狂気的でいてどこか幻想的だった、口などないのに雪へと語り掛けてくる、「ゆき」「こっちにおいでよ」「さびしいよ」「かなしいよ」「つらいよ」「くるしいよ」「でもね、」「それが、」「「「「「「「「ここちいいんだよ」」」」」」」」「「「「「「「「ほら、」」」」」」」」「「「「「「「「はやく…………」」」」」」」」


 うるさい、邪魔しないでくれと雪は思う。私はそちら側ではなくてもっと崇高な場所へ行くのだ、だから邪魔しないでくれ…………


 蝶は頭から布団を被って目を閉じる。無視するだけでも段々と疲れてきて、その疲労が幸いしたのか雪は夢の世界へといざなわれていった。

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