四章 歪み

08

 ――――朝、目を覚ました雪の視界には生首があった。


 血走った目をした男の生首だった。黒い髪はぼさぼさで、顔の下には凝固した血液がこびり付いている。流石の雪もこれには小さな悲鳴を上げてしまう。

 しまったと思うも既に遅かった。生首は嬉しそうに口角を上げる。


「みえて、いるんですね」


 雪は答えずに、どうしたらいいかを考える。

 その間にも、生首は雪へと語り掛けてくる。


「きのうね、すごく、きれいな、けしきを、みたんです、とても、きれいで、にんげんの、はがされた、かわが、ずっと、ずっと、ずっと、えいえんに、どこまでも、つづいている、けしき、だったんです、ね、あなたも、みたいと、おもいませんか、かわ、かわ、かわ、かわ、かわ、かわが、あまたのにんげんのかわが、ならぶ、けしき、を!」


 雪は、口を開いた。


「何だ……虫かと思ったら、壁の染みか……」


 生首はくるりと振り向いた。生首の視線の先の壁には、確かに黒ずんだ染みがある。生首はつまらなさそうに、「かわ、かわ、かわ」と呟きながら部屋の扉をすり抜けてどこかへと飛んでいった。


 雪ははあと溜め息をついて、ベッドから降りる。

 かれらを朝から見るなんてついていないなと思う。けれど、よく考えてみると、最近かれらを見掛ける頻度が増えた気がした。その理由はよくわからなくて、雪は取り敢えず朝ご飯を食べるために扉を開けてリビングへと向かった。


 ◇


 雪は、蝶の部屋の扉をそっと叩く。

 けれど、幾ら待っても返事はなかった。明かりは点いているようだったし、部屋にいるのは間違いないと思われるけれど、もう一度叩いてみても反応は返ってこない。もしかすると、昨日電気を点けたまま寝落ちしてしまったのだろうか……?


 ふと、蝶は雪の部屋から何やら音が聞こえることに気が付いた。耳をそばだててみると、それがテレビの発する音だとわかった。ぐちゅ……ぐちゃ……ぐちゅ……そんな不穏な響きがして、雪は不思議そうに目を細める。


「暇なの?」


 隣から突然声がして、雪は驚いて身体を震わせた。

 そこには板チョコレートを齧っている悪食が立っている。チョコレートが割れて、ぱきんと小気味のいい音が響いた。雪は「こっち来てください」と小声で言うと、悪食を自室に連れて行く。

 雪はばんと扉を閉めて、じとっとした視線を悪食に向けた。


「廊下で話しかけないでくれますか? 怪しまれるでしょう?」

「ああ、ごめんごめん。で、暇なの?」

「暇ですけれどそれが何か?」


 悪食は嬉しそうに笑って、「それじゃあ」と口にする。



「僕とデートしてよ」



 雪は数秒固まってから、冷ややかな表情を浮かべて「は?」と言った。


 ◇


「わあああ、美味しそうなチーズケーキ!」

「静かにしてくれますか?」


 呆れた目をする雪の前で、悪食はテーブルの上に置かれたチーズケーキをうっとりと眺めていた。

 夏休みだからか、カフェは混んでいた。勉強している大学生、楽しそうに談笑しているカップル、何やら騒がしい中学生のグループ――様々な人たちで賑わっている。雪と悪食は隅っこの方の席にいた。


「それじゃ、いただきまーす」


 悪食はそう言って、フォークを使ってチーズケーキを食べ始める。彼はいつも無造作にお菓子を口にしているイメージがあったので、何だか新鮮だった。


「ちなみに」

「ん、どうかした?」

「貴方って、私以外の人から見えているんですか?」

「見せることも見せないこともできるよ。面倒事が嫌いだから、基本的に見せないようにしているけど」

「……となると、他の人からはチーズケーキが怪奇現象のように見えているのでは?」

「そこら辺は流石に調整しているさ。言った通り、面倒事が嫌いなの」


 悪食はくすくすと笑って、またチーズケーキを口に運ぶと表情を緩ませる。

 そうしていると普通の人間みたいだな、と雪は思った。


「そういえば」

「何?」

「気になっていたんですが、〈高位の存在〉を増やす理由って何なんですか?」

「ああ、簡単な話だよ。〈神々かみがみ〉がそれを望んでいるからさ」

「……〈神々〉?」


 訝しげな顔をしながら首を傾げた雪に、悪食は「俗に言う神様と同じだよ」と微笑う。


「〈高位の存在〉よりも、さらに『高位の存在』。それが、〈神々〉」

「はあ……なるほど」


 頷いた雪に、悪食はチーズケーキをぷすりとフォークで刺しながら、説明を続ける。


「〈神々〉は数多の〈並行世界〉を管轄かんかつするために、言っちゃえば雑用係である〈高位の存在〉を必要としているの。でも〈高位の存在〉は誰でもなれる訳ではなくて、だから〈神々〉は〈高位の存在〉となる適性を持つ者を探している。適性のある者は〈神々〉に見つかると、ことになるんだ。愛されるとその証として、他の生物よりも『死』という概念に近付くのさ」

「……死という概念に近付く、とは?」

「身に覚えがあるんじゃない?」


 悪食はそう言って、再びチーズケーキを食べ始める。

 考えてみると、すぐに思い当たった。幼い頃から自分がかれらを見ることができたのは、「愛され」ていたからなのだと思うと、雪はぞくりとした。

 ふと、雪はあることに気付いて、口を開く。


「……貴方も、昔は人間だったんですか?」

「ああ、そうだよ?」

「どんな人間だったんですか?」

「そうだねえ……異常者、かな」


 そう告げて楽しそうに笑ってから、悪食は一言付け加えた。



「……でも、今よりもずっと、正常」

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