06
雪と蝶は電車に並んで座っていた。
蝶は雪の肩を借りながらすやすやと寝息を立てている。よく眠れていないのだろうかと雪は蝶の寝顔を見ながら考えた。確かにファンデーションが施されていてわかりにくいが、うっすらと目の辺りに隈ができている。そういえば昨晩は、壁越しに隣の蝶の部屋から微かなテレビの音が聞こえてきた。映画好きな蝶のことだから、つい夜更かししてしまったのだろう――可愛らしいなと雪は思った。
電車に揺られながら、雪は蝶の寝顔を見つめ続けている。
やがて、蝶の瞳がゆっくりと開かれた。
雪はなお、蝶の顔を見つめていた。蝶はそれに気付いた様子もなく、窓の向こうを眺めながら、そっと微笑んだ。
「……綺麗な花畑ね」
その言葉を受けて、雪は窓の外へと視線を移す。けれど、もう通り過ぎてしまったのか、花畑は見えなかった。蝶と感動を共有できなかったことを残念に思いながら、雪は「そうですね」と相槌を打った。
◇
待ち合わせの駅に着くと、改札の向こうで菜子が待っていた。
おへそが見えるくらい丈の短い半袖のブラウスと、ダメージ加工が施されたデニムのショートパンツ。高校では下ろされていたはずの金色の長髪は、今日はポニーテールに
菜子は蝶の姿に気付くと嬉しそうに手を振って、それから隣の雪に気付いたようで不思議そうに瞬きを繰り返す。雪は手を振り返す蝶の隣で、交通系ICカードをポケットから取り出して改札を通った。
「やっほー、蝶!」
「やっほー、菜子ちゃん」
「てか、二組の雪ちゃんだよね? 会えると思ってなかったからびっくり! あ、うち、式田菜子! 蝶の友達やらせてもらってまーす、よろしくね?」
楽しそうに笑いながら右手を差し出した菜子に、雪は冷めた微笑みを返す。
「龍ヶ世雪です。蝶の双子の妹です。よろしくお願いします」
雪は菜子の手を握り返す。「よろしく」する気などさらさらなかったが、別に場の雰囲気を壊すつもりもなかった。
……蝶に特別な感情を抱いていたとすれば、何らかの手段をもって
◇
「雪ちゃんってさー、何で敬語なの?」
コンビニの前で、ソーダ味のバーアイスを持ちながら菜子が首を傾げた。
雪は右手にバニラ味のバーアイス、左手にチョコ味のバーアイスを持っている。チョコの方は蝶が購入したものだったが、半分ほど食べた辺りでお腹が冷えてしまったと言ってコンビニのお手洗いに消えていった。溶けてしまうのではないだろうかと雪は心配になったが、まあそう遅くないうちに戻ってくるだろうと結論付けた。
「え……何で、ですか?」
「うん」
「人と、一定の距離を置きたいからです」
「そーなの? おもろいねー。うちは人とバンバン仲良くなりたい派!」
「そうですか。考え方が正反対ですね」
「ねー、おもろい!」
菜子はからりと笑ってから、また首を傾げる。
「てことはさ、雪ちゃんって、蝶とも一定の距離を置きたいってことなのー?」
その問いに、雪の黒い瞳が一瞬揺らいだ。
菜子の表情を見る。浮かべる眼差しは純粋だった。ほんの僅かな悪意の混じり気もなかったから、雪は安心した。
「私が蝶に敬語を使うのは、また別の理由なんです」
「そーなんだ! 何で何で? 教えてよー」
「……教えてもいいですが、代わりに一つ、教えてくれますか」
「ん? なんか聞きたいのー?」
雪はコンビニに視線を移す。まだ、蝶の帰ってくる気配はなかった。
そうして雪は、再び菜子を見た。
「…………式田さんって、好きな人がいたりしますか?」
「好きな人ー? あはは、恋バナ? うちはカレシ一筋!」
「あ……彼氏、いるんですね」
「うん! 写真見るー? あんまイケメンじゃないけどねー」
楽しそうに笑う菜子は、アイスを持っていない方の手でスマホを取り出すと、写真アルバムを見せてくれる。
「えーとね、これは海行ったときでー、これは山行った時でー」
「へえ」
菜子はもう、雪が蝶に敬語を使う理由のことなど忘れてしまったようだった。
聞かれたとしても、適当な嘘で誤魔化すつもりだったけれど。
「こんな感じー! あ、そーいえば」
菜子は何かを思い出したように、雪の顔を覗き込む。
金色のポニーテールが、ふわりと揺れた。
「蝶って、家で元気してる?」
質問の意味がよくわからなくて、雪は首を傾げる。
「元気、ですけれど……何故ですか?」
「あ、そーなんだ、それならいいの! なんか、蝶って、教室でたまに悲しそうな顔してるからさー」
「そうなんですか?」
雪の中に、そのような蝶のイメージはなかった。
いつだって蝶は、綺麗に微笑んでいるから。
菜子はからりと笑って、「ま、うちの見間違いかもしれないけど!」と言う。
雪がこくりと頷いたところで、蝶が戻ってきた。
「ごめんね、お待たせ、二人とも……!」
「ん、だいじょぶだよー!」
「大丈夫ですよ」
雪は蝶へとチョコ味のバーアイスを手渡す。
「ありがとう、雪」
そうやって微笑む蝶は、雪にとってどこまでも尊い。
……敬語を使うのは、単純な理由だった。
――――尊い人には、尊いとされる言葉を使いたいだけ。
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