三章 あなたからの愛

05

「ああ、たまにいるんだよね」


 悪食はそう言って、雪の部屋の扉にもたれかかりながら、棒付きのキャンディーをぺろりと舐めた。


「〈裏側の並行世界〉に意識を移したとき、その負荷に耐え切れなくて死んじゃう子。死に方が人それぞれでさ、面白いんだよねえ」


 ふふっと悪食は笑う。

 雪は険しい目付きで悪食を見つめた。


「そういうことは先に言ってくださいよ」

「ああ、ごめんごめん。、だからさ」


 悪食はまた、桃色の舌でキャンディーを舐める。そんな彼に、雪ははあと溜め息をついた。


「まあ、ラッキーだったじゃん。不戦勝みたいなものでしょ?」

「それはそうですけれどね」

「ちなみに、十六人のうちその死に方をしたのは結島ゆいしまつむぎただ一人だから、次回以降はそういうラッキーなことは起こらないよ」


 結島つむぎという響きには聞き覚えがあった。

 あのとき見せられた紙の上に、確かに存在していた名前だった。


「そうですか。別に構いませんよ……私なら、難なく〈高位の存在〉になれると思うので」


 淡々と言い放つ雪に、悪食はキャンディーを彼女の方に向けながら問う。


「どうしてそんなに自信があるの?」

「簡単なことですよ。人間を殺すことに抵抗のない人間なんて殆どいません。そして、私はその『殆ど』に該当しないので」

「なるほどね。やっぱり雪は変な子だ」


 そう言い残して、悪食は姿を消す。

 雪はぼそりと「……自分が変なことくらいわかっていますよ」とひとりごちた。


 ◇


 この前は蝶の方から誘われたから、自分から誘うことは何も不自然ではない――そう自分に言い聞かせながら、雪は蝶の部屋の扉をノックした。

 はーいという声がして、少ししてから扉が開かれる。

 立っていた蝶の顔にはうっすらと化粧が施されていた。どきりとすると同時に、雪は心の中でがっかりしてしまう。蝶が化粧をするのは、きまって友人に会いに行くときだから。


「雪、どうしたの?」

「いえ……お出掛けですか?」

「うん。菜子なこちゃんに会いに行くの」


 ――――式田しきた菜子。


 蝶の高校のクラスメイトだ。雪と蝶は別のクラスだけれど、雪は菜子のことを知っている。染めた金色の長髪をゆるく巻いた、俗に言う「ギャル」と呼ばれるタイプの少女だ。雪は菜子と話したことはないけれど、蝶が「とてもいい子」「明るくて話が面白い」「一緒にいるのが楽しい」とよく褒めるものだから、きっと善良な人間なのだろうと思っていた。


 ……だが、善良であることと好ましいことはまた別の問題だ。


「私も付いていっていいですか?」


 気付けば雪はそう口にしていた。

 蝶は目を丸くする。雪もまた、自分の発言に少しばかり驚いていた。

 以前は、蝶が他の女性と二人で会うことくらい許せていたはずなのに。

 それができなくなるほどに、自分の感情は今も育ち続けているのだろうと気付き、雪は微かに口角を歪めた。


「いい、けれど……雪、菜子ちゃんと面識あったっけ」

「……今日、面識をつくります」

「そうなの? まあ、菜子ちゃん賑やかなの好きだし、ちょうどいいか」


 蝶は微笑みながら頷いてくれる。

 よかった、と雪は心の中で呟いた。


 ◇


 夏風に吹かれて、二人の黒髪がさらさらと動く。

 顔に滲んだ汗を雪は手で拭う。遠くの地面の上で陽炎かげろうが揺らめいていた。


「そういえば雪、今週の土曜日は空いている?」


 土曜日……今日が火曜日だから四日後か、と雪は思う。

 残り三回の〈階層試練〉は明日、三日後、五日後に行われるから、四日後の土曜日は丸一日空いているはずだ。そう結論付けて、雪は蝶へと頷きを返す。


「空いていますよ」

「本当? よかった。そうしたら、私と夏祭りに行かない?」

「夏祭り、ですか……?」

「うん、そう。隣町で毎年大きな夏祭りがやっているでしょ? 幼い頃に家族で行ったきりだったから、もう一度行きたいんだ」


 懐かしそうに目を細める蝶に、雪は少しの間黙り込んでから、ぼそりと言う。


「……私で、いいんですか?」


 そんな言葉に、蝶はぱちぱちと瞬きしてから、可笑おかしそうに微笑う。



「雪が、いいの」



 不意に告げられた言葉に雪は思わず泣き出しそうになってしまう。堪えた、だってこの恋愛感情が一方的なものだなんて既にわかりきっているから。

 雪はぐっと手のひらに爪を立てて、心から気持ちの一部分だけを剥がして零した。



「…………私も、蝶がいいです」



 蝶は幸せそうに微笑んだ。その微笑みを側で見ることができるだけで満足しなくてはならないと、雪は己に語り掛ける。


「たすけてください…………たすけてください…………たすけてください…………」

「…………たすけてください…………たすけてください…………たすけてください」


 曲がり角にいつもいる女性の声が今日は何故か重なり合っている気がして、雪は反射的に視線を持っていった。

 真っ白なワンピースを着た女性は二人になっていた。垂れ下がった真っ黒の長髪の隙間から濁り切った目がほのかに見える。ぎょっとしたのを悟られないように、雪はすぐさま目を逸らした。何事もなかったかのように通り過ぎようとする。



「「――――たすけてくださるのですか?」」



 聞こえてきた言葉を雪は何とか無視して、代わりに蝶へと話し掛けた。


「夏祭りに行ったら、何をしたいんですか?」

「そうね……久しぶりにりんご飴食べたいな。後、綿飴と、それからたこ焼きも!」

「食べてばっかりですね」

「ふふっ、それがお祭りの醍醐味だいごみじゃない」

「まあ、そうかもしれませんが」


 もうかれらの声は聞こえなかった。その事実に密やかに安堵しながら、雪は蝶と夏祭りの会話に花を咲かせた。

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