03

 ベッドの上で惰眠を貪っていた雪は、こんこん、という扉の叩かれた音でゆっくりと目を覚ます。

 目を擦りながら、ベッドを後にして扉を開けた。


 そこには、蝶が立っている。


 着替えるのが面倒で部屋着のままだった雪と違って、蝶はワンピースを着ていた。性格の違いを感じながらも、蝶が余りファッションに興味がないということも雪は知っていた。相違点の中に共通点が見えたとき、雪はどろりとした蜂蜜のような幸福を感じる。それと同時に、双子であることがもたらす恋の弊害を憎くも思う。

 蝶は雪の姿に、申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「ごめんね、寝ていた?」

「まあ、そうですね……でも別に、全然起こしてくれていいですよ。暇なだけなので」

「そうなのね。そうしたら、一緒に映画を見ない?」

「映画館ですか?」

「ううん、部屋」

「なるほど。いいですよ」


 蝶は映画を見るのが好きだった。だから雪は、彼女からよく映画鑑賞に誘われた。雪は映画自体にはそこまで興味がないけれど、蝶と過ごす時間には興味があるので、いつも誘いを受けていた。

 雪の言葉に、蝶はぱっと顔を輝かせる。


「嬉しい! 雪は何が見たい?」

「蝶の見たいやつですかね」

「もう、いつもそれしか言わないんだから……」


 可笑おかしそうに微笑う蝶に近付こうとするかのように、雪はそっと微笑んだ。


 ◇


 雪の部屋が昔から殆ど変わっていないのに対して、蝶の部屋は昔に比べると随分華やかになった。ふわふわのぬいぐるみ、洒落しゃれたルームフレグランス、真っ白な帽子――けれどそれらが蝶の購入したものではないことを、雪は知っている。雪と違って蝶には沢山の友人がいて、誕生日にそういうものを貰ってくるのだ。雪はそうした蝶へのプレゼントが余り好きではなかった。蝶が自分だけのものではないということを証明されているような心地がして。


 でも――蝶の部屋には、大好きなものもある。


 それは一つの写真立てだ。そこには、かつて両親と幼い雪と蝶が訪れたチューリップ畑の写真が飾られている。両親に挟まれるようにして、小さな雪と蝶は手を繋いで笑っていた。雪はその写真が好きで、そして蝶がその写真を好きでいてくれていることが嬉しかった。ぬいぐるみも、ルームフレグランスも、帽子も、その写真の歴史に敵うことはない。その事実に、雪はどうしようもなく安堵する。


 雪は写真立てを見つめながら、いつものようにクッションに腰を下ろした。隣にはもう一つのクッションに座っている蝶がいて、リモコンを使ってテレビを操作している。映画好きの蝶は毎月のお小遣いから映画系のサブスクリプションにお金を払っていて、彼女がそういう確かな趣味を持っているところも雪は好きだった。


「どれにしようかな……雪、明るいのと暗いのだったらどっちがいい?」

「蝶の見たい方」

「もう、そればっかり」


 蝶が可笑おかしそうに微笑う。その微笑みだけで充分だと、雪は思う。


「そうしたら……今日は、明るいのにしようかな。暗いのを見ると気持ちが沈んでしまいそう」

「じゃあ、暗い作品はいつ見たいんですか?」

「とても元気なときか、とても落ち込んでいるとき」


 そう言って、蝶はリモコンで一つの映画を選択した。


 ◇


 甘ったるい恋愛映画だった。世の中に存在する砂糖菓子を全て一つの箱にまとめて、押し潰して混ぜ合わせたような味わいだなと雪は思った。

 たまに蝶の方を見ると、彼女はころころとその横顔に浮かべる表情を変えていた。あるときは楽しそうな笑顔を、あるときは真剣な顔付きを、あるときは切なそうな眼差しを……蝶だけを見ていたかったが、流石にやめた。

 クライマックスになって、主人公の女の子と同級生の男の子のキスシーンが挟まる。



「…………いいなあ」



 蝶が零したそんな言葉が、雪の胸を刺した。

 反応せずにいることができなくて、雪はぽろりと疑問を口にする。


「……蝶は、彼氏が欲しいんですか?」


 蝶はきょとんとした表情で雪を見てから、くすりと笑った。


「恋愛に憧れはあるけれど、恋愛感情はまだわからないの」

「そうですか……」


 雪は体育座りしている自身の脚に、そっと顔を埋める。

 贔屓目ひいきめを抜きにしても、蝶は魅力的な女性だと雪は思う。容姿端麗、文武両道、品行方正。きっといつか蝶には恋人ができてしまうのだろう、と雪は考えた。痛い、心が痛くて堪らない。



 ――――どうして私は、蝶の妹なのだろう?



 考えすぎると苦しくなってしまいそうだから、雪は自分の思考をどうにか真っ白にした。

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