―Hope―

Prologue

Prologue

 黒い髪をした幼い少女が、母親と手を繋ぎながら赤信号を待っている。

 少女はふと、車道で猫が鳴いていることに気が付いた。

 にゃあ、にゃあ……まるで「助けて」と告げるかのように、猫は鳴き続けている。

 少女は母親から手を離して、車道の方へと走り出した。

 母親の叫び声を聞きながら、少女は猫を助けなければならないと思う。段々と、猫が近づいてきて――――


 ――――側に駆け寄った瞬間に、ふっと消えた。


 目を見張る少女に、大型のトラックが近付いてくる。

 怖くて、ぎゅっと目をつぶった。

 ……結局少女を襲ったのは、予想していたよりもずっと小さな痛みだった。

 恐る恐る目を開いた少女に、「よかった……」という言葉が降ってくる。



 少女の前には、彼女と瓜二つの少女がいた。



 違うのは、泣きぼくろが右目の下にあるか、左目の下にあるか、それくらい。

 二人は先程までいた歩道とは向かい側の歩道に横たわっていて、彼女たちの母親は安堵したのかへたり込んでしまっている。

 瓜二つの少女は上体を起こすと、困ったような咎めるような、そういう表情を浮かべる。


「あぶないよ、ゆき。どうして、とびだしたの?」

「ごめん、ちょう……ねこが、いたから……」

「ねこ? ほんとに?」


 瓜二つの少女――ちょうは、少女――ゆきが指さした車道の方を振り返って見る。

 でも、そこには、何もいない。


「いないよ?」

「なんでだろう……」

「ゆき、たまに、そういうこというよね」


 可笑おかしそうに笑った蝶が、両手と両膝を擦りむいていることにようやく雪は気付く。

 真っ赤な血と、黒い汚れ。

 赤黒い擦り傷が、幾つもあった。


「ちょう、けがしてる……!」

「え? あ、ほんとうだ」

「だいじょうぶ? ごめん……わたしの、せいで……」


 申し訳なさそうに俯いた雪に、赤黒さを帯びた蝶は優しく微笑みかける。



「ゆきが、たすかったから。それで、いいの」



 そういう言葉を紡いでくれた蝶を、雪はただ見つめていた。

 蝶は、雪をぎゅっと抱きしめる。


「ゆき、だいすきだよ」


 雪はぱちぱちと瞬きを繰り返してから、頬を緩めた。




 多分、このときから、雪は。




 ――――赤黒い蝶が、だいすきだった。

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