24

 死んでゆくってこんな感じなんだな、と舞は思った。すごく痛くて、でもそれでいて、何か大きな概念に包み込まれているかのような温かい安堵がある。私が殺してきた生命いのちもこの感覚を味わったのかな、と考えた。そうだったらいいな、もっと早くこうしておけばよかったな……


 砂浜に横たわる舞の側で、雫莉は舞の右手を握りしめている。舞の顔を覗き込む雫莉の綺麗な目には涙が溜まっていた。それに気付いた舞は、思わず微笑んでしまう。


「負の感情……ちゃんと、ある、じゃない……」


 雫莉は口角を歪める。


「わたし、わからないんです。だってあなたのこと、何も覚えていないのに。それなのに、悲しくてしょうがないんです。悲しいのは、すごく、すごく久しぶりで」

「何で、だろうね……でも、すっごく、嬉しい……」

「嬉しい、んですか?」

「うん……ねえ、雫莉……わがまま、言ってもいい……?」

「何ですか?」

「キス、して、ほしいの……」

「何でですか?」

「理由なんて……大体、決まっているでしょ……」


 泣きながら笑った舞の唇を、雫莉はそっと奪った。


「もう、一回…………」

「いいですよ」

「ん…………後、一回…………」

「はい」

「んっ…………んう、ん…………」


 絡まった舌は涙でしょっぱかった。くちづけの回数に比例するように舞から血液が失われていく。こんなに幸せな終わり方でいいのかな? と舞は薄れゆく意識の中で思った。まあ、きっと自分は地獄行きだから、今くらいは幸せでも許されるかもしれないな――そう考えながら、近付いてくる終焉しゅうえんの足音を聞いていた。


 ◇


 朝焼けが、鏡合わせになったような世界だった。

 舞はそんな場所に立ち尽くしていた。

 ゆっくりと視線を彷徨わせてから、今までの記憶を振り返る。

 こんなに美しい死後の世界に、自分が来ることが許されたのだろうか……?

 そんな思考に浸っていた舞の前に、が現れた。



 ――――雪蝶は泣き腫らした顔で、舞のことを見つめていた。



 雪蝶と涙のイメージが余りにもかけ離れていたものだから、舞は思わず目を見張ってしまう。それなのに何故か、彼女のそういう表情を、いつの日かどこかで見たことがあるような気もした。


「…………貴女は、」


 雪蝶の声は、確かな震えを帯びていた。


「貴女は……何も、変わらなかった」


 雪蝶は両手を握りしめて、表情を歪めながら舞を見つめた。


「舞う蝶ではなかった。潰えた蝶と、同じだった」


 雪蝶の穴のような黒い瞳から、一筋、涙が滑り落ちる。



「あのときの蝶の、ままだった…………」



 何も言えずにいる舞の前で、雪蝶は蝶の柄の浴衣でそっと涙を拭う。


「…………さようなら、舞」


 儚げな微笑みを浮かべながら、雪蝶はそう告げて、



 ――――赤黒い蝶に包まれるようにして、消えた。



 ひとり残された舞は、ただ瞬きを繰り返す。

 そうしているうちに、意識が段々と朝焼けに溶けていった。


 ◇


 舞の目の前に、雫莉が立っている。

 夜空の下の雪景色の中に佇む雫莉は、不思議そうに首を傾げた。


「わたしのことが、何ですか?」


 舞は唖然としながら、雫莉を見つめた。

 それから自身の身体を見て、広がる正常な世界を見た。

 わからないことだらけだった。

 でも、わかることもあった。

 舞は今にも泣き出しそうに、微笑った。




「…………私、雫莉のことが、好き」




 ――――伝えられないと思った恋心を伝える機会を、誰かに許されたということ。

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