21

「綺麗だな」

「そうね、すごく」


 舞は、夕暮れに包まれた橋の上に立ち尽くしている。


「二人で出掛けると、付き合っていた頃を思い出さないか?」

「ふふ、言われてみればそうね。懐かしいな……」


 舞の視線の先には、橋の向こうの景色を見つめている二人の姿がある。


「舞も立派に育ってくれたし、老後は二人で色々なところに出掛けたいな」

「あら、いいわね。国内も、海外も……まだ行けてないところ、沢山あるものね」


 舞の手から出刃包丁が滑り落ちて、からんと音を立てて橋の上に眠った。

 二人が、振り向いた。

 別人であってほしいという祈りは届くことがなくて、


 ……舞の両親が、驚いたように舞のことを見つめていた。


 ◇


「どうしてここにいるの、舞……? 今日は琴乃ちゃんのおうちに行くって言ってなかった?」


 首を傾げた咲の問いには答えず、舞はどこかへ走り出そうとする。


 右を向くと橋に刺さった出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁、左を向くと橋に刺さった出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁出刃包丁、橋の下に広がる川には浮かぶ烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸烏の死骸――――


 逃げ場は、どこにも、なかった。


 烏を殺した記憶を思い出し、舞はうずくまって顔を両手に埋める。


「舞、大丈夫……!?」

「どうしたんだ……!? もしかして、……?」


 透の言葉に、舞は目を見開いた。

 ぼたぼたと汗を垂らしながら、両手をそっと下ろして透を見上げる。


「何、で、知ってるの……?」

「何のことだ?」

「私の、衝動の、こと…………」


 虚ろな瞳で尋ねた舞に、咲が困惑したような表情を浮かべる。


「何で、って……中学生の頃、貴女、私たちに相談してくれたじゃない。人を殺したい気持ちと殺したくない気持ちの狭間で葛藤してる、って」

「え……そう、だったの……?」

「そうよ。忘れちゃったの?」


 理解が追い付かなくて、舞は少しの間黙り込む。

 それから、「……二人は」と口にした。

 表情を歪めながら、ほのかに口角を上げる。



「二人は、それを聞いて……私のこと、嫌いに、ならなかったの……?」



 舞の問いに、透と咲は驚いたように目を見張って。

 そうして、二人で舞を抱きしめた。


「嫌いになんて、なる訳ないじゃない」

「そうだ。舞が人と違うからって、嫌いになるはずがないだろう。お前は、僕たちの大事な一人娘なんだから」


 両親の言葉に、気付けば舞は号泣していた。

 そんな舞の背中を、二人は優しくさすってくれる。

 この時間が永遠であればいいのにと舞は思った。



 赤黒い蝶たちは、それを許してくれない。



 あのときのように、舞の身体は焼けていった。悲鳴を上げる舞を、両親は温かな励ましと共に抱きしめ続けてくれた。そんな時間が随分と長く続いた。舞の身体はぐじゅぐじゅになっていった。やがて限界を迎えた舞は、せめて二人に誠実であろうと思った。


「…………お父さん、お母さん、」

「どうしたの、舞?」

「どうしたんだ?」

「今から私が言うこと、信じて、くれる…………?」

「ええ、勿論もちろんよ。なあに?」

「私…………私ね…………ずっと、生きるのが、苦しかった…………」

「うん、そうよね……」

「でもね…………もうすぐ、苦しくなくなるときが、来るの…………」

「え……それは、どういうことなの?」

「二人をね…………ころせば、ね…………苦しくない存在に、変えて…………もらえるの…………」

「……………………あは、」

「あはは……………………」

「ごめんなさい…………信じられないよね、こんな、変な話…………忘れて…………」


「…………信じるわ」


「…………え」

「信じるって言ったじゃない。お父さんも、そうでしょ?」

「ああ……舞がこんな嘘、つく訳ないってわかるからな」

「う…………うう、う…………」

「ほら、これで涙拭きなさい、舞。綺麗な顔が勿体ないわよ」

「ありが、とう…………」

「あのね、舞……私もお父さんも、舞の幸せが一番なのよ。だから、舞が幸せになれるなら、生命いのちくらい安いものだわ」

「そうだぞ。もう、どうせそこまで長くない生命だしな」

「うう…………ごめん、なさい…………本当に、ごめんなさい…………」

「気にしないでいいのよ。舞、幸せになってね」

「ごめんな……僕たちが、ちゃんと幸せにしてあげられなくて」

「謝らないで…………私ね、二人の子どもとして生まれてくることができて、」



「幸せだった…………」

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