七章 恋
20
墨人の葬式に行くことのできなかった舞は、夕方になっても自室で布団を被りながらぎゅっと目を閉じていた。
左手に握られている携帯の画面には、理聖とのメッセージ画面が表示されている。
それだけ単語を連ねても、理聖からの返信が来ることはなかった。
――――何を無駄なことをしているのですか?
雪蝶から告げられた言葉を思い出し、舞の口角が歪む。
全てから逃避するかのように、口を開いた。
「後、二回…………〈階層試練〉を、乗り越えれば、私は…………」
今も舞の心中を赤黒い衝動が激流のように
衝動の肥大化は、〈高位の存在〉へと近付いている証拠だという。
自分はもう普通の人間ではないのだろうと舞は思った。その思考の明らかな矛盾に気付き、自嘲するように笑う。元々自分は、普通の人間ではなかったじゃないか。最初から、明確な異常を抱えながら生まれてしまった、化け物じゃないか――――
「…………消えちゃい、たい」
掠れた声で、舞は呟く。
窓の外のベランダに呼ばれているような気がした。その願いを叶えてあげるよ、と。
そんな思考を、どうにか振り払ったときだった。
インターホンの音が響いたことに、気付く。舞の部屋はリビングから近くにあるので、音が問題なく届くのだ。
無視しようかと思った。
けれど、少しの間隔を空けて、もう一度インターホンの音が響いた。
舞は、目を見開いた。
直感で、気付いたのだ。
このインターホンを鳴らしているのは、雫莉だということに。
舞は布団から飛び出して、玄関へと走った。玄関には沢山の肉塊が落ちていた。それを気に留めることもせず、鍵を開けて勢いよく扉を開く。
制服姿の雫莉が、立っている。
彼女は色素の薄い綺麗な瞳に舞を映すと、淡い微笑みへと表情を移ろわせた。
「舞さん、こんにちは」
「雫莉……どうして」
「明日までに提出しなければいけない大事なプリントがあったので、届けに来たんです。忌引きで休んでいた授業分の他のプリントも、ついでに持ってきました」
雫莉はそう言って、肩に掛けている鞄から花柄のクリアファイルを取り出すと、数枚のプリントを舞へと差し出した。
舞はおずおずと、それらを受け取る。
「ありがとう……」
「気にしないでください。そういえば、明日は学校に来るんですか?」
期待のこもった眼差しで、雫莉は問う。
答えようとして……舞は、言葉に詰まってしまった。
だって舞は、後二度の〈階層試練〉を今日に終える予定だ。
そうすれば、もう、人間ではなくなる。
数多の苦しみと、それを鈍くするように輝く少しの幸福に彩られていた日々は、終わりを告げるのだ。
「もしかして、明日も休みですか? だとしたら、来週が楽しみです」
何も知らない雫莉は、無垢に微笑う。
「…………けないの」
「え?」
「もう、高校には、行けないの…………」
舞は表情を歪めながら、俯いた。
そんな彼女を、雫莉は心配そうな面持ちで覗き込む。
「どうして、ですか? 転校しちゃうんですか?」
「ちが、う」
「そうしたら、学校で何か嫌なことがあったんですか? だとしたら、わたしに相談してほしいです。舞さんは、わたしの大事な友達ですから」
ともだち。
その四文字に、舞は心を刺されたかのように思う。
わかっていた。
特別な感情を抱いているのが、自分の方だけだということくらい。
でも……今はそれが、無性に辛かった。
溢れ出そうになる涙を堪えながら、舞はぼそりと言う。
「…………私は、雫莉を、友達だって思ってない」
「え」
雫莉が、美しい目を見張る。
何も言わないでいる舞に、雫莉はどこか寂しそうに微笑んだ。
「そう、だったんですか。だとしたらわたし、今まで、……うざかったですよね」
――――違う。
「ごめんなさい。わたし、前も話した通り、舞さんの色々なところが好きだったんです」
――――そんな顔をさせたかった訳じゃない。
「でも、これだけは言わせてください。わたしはいつだって、舞さんの一番の味方です」
――――私はただ、貴女の、ことが。
雫莉はきゅっと桜色の唇を結んでから、舞に背中を向ける。
曇天の見える通路を歩き出して、少し経ってからそっと振り向いた。
「……またね、舞さん」
そんな言葉を残して、雫莉は去っていく。
雫莉の姿が見えなくなり、暫くしてから遠くの方でエレベーターの到着音が聞こえた。
舞はゆっくりと玄関に戻り、扉を閉めて、
――――
◇
「…………貴女は、どうしていつも、そんなにも……気高い、の」
幾つもの肉塊に囲まれながら、玄関に座り込んだ舞は泣きながら雫莉への想いを零す。
「こんなにも汚れている私に、どうして、優しくしてくれるの……」
貴女は少しも汚れてなどいませんよ、舞――そんな声が、背後から聞こえた。思わず舞は悲鳴を上げる。
〈階層試練〉の時間が訪れたことに気付き、理聖の
逃避しようと立ち上がろうとするも、身体はぴくりとも動いてくれなかった。
「貴女は私が知っている数多の人間の中で、最も気高い人ですよ……嘘ではありませんよ、本当ですよ、うふふ、ふふふふふ……」
雪蝶は笑いながら、舞へと腕を回す。
一匹の赤黒い蝶が、舞の目の前を舞って……すぐに玄関は、数多の赤黒い蝶で満たされた。
舞の涙が肉塊へと落ちて、弾けた――――
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