19

 舞は、自室で目を覚ました。

 すぐに、四回目の〈階層試練〉の顛末てんまつを思い出し――枕元に置いていた携帯を、ばっと手に取る。

 理聖へと電話を掛けた。どうか繋がってほしいと、縋るような思いで。

 でも……どれだけコール音が鳴っても、理聖が出る気配は訪れない。

 舞は歯を噛み締めながら、電話を切って矢継ぎ早に理聖へとメッセージを送る。


〈夏野先生〉

〈返事してください〉

〈お願いです〉

〈お願いですから〉

〈返事して〉

〈お願い〉


「……何を無駄なことをしているのですか?」


 振り返ると、雪蝶が背中の後ろで手を組みながら佇んでいる。

 彼女はいつものようににこにこと微笑いながら、言葉を続けた。


「舞、わかっているでしょう……? 夏野理聖はもう、死んでいるのですよ? 貴女が殺したではありませんか……早く現実を受け入れて、次の〈階層試練〉に備え」

「黙りなさいよッ!」


 舞は雪蝶を突き飛ばすと、馬乗りになる。

 それから、うごめく赤黒い衝動に身を任せるように、雪蝶の首を絞めた。

 雪蝶が苦しそうに目を細める。


「元はと言えば、全部、貴女のせいじゃない! あの蝶たちをけしかけたのも貴女なんでしょう!? あんなに痛い思いをさせてまで、夏野先生を殺させてまで、私を『幸福』にしたい訳!? 意味がわからないのよ! 大体、愛してるって何よ! 私と貴女は会ったことなんてないじゃない! ふざけないでよ……ッ!」


 言葉をまくし立てた舞は、雪蝶が目を閉じて動かなくなっているのを見る。

 雪蝶の真っ赤な唇は、幸せそうにつり上がっていた。

 舞は雪蝶から手を離すと、右手を自身の顔に添えながら早い呼吸を繰り返す。



「素晴らしいです、舞…………!」



 舞のから、雪蝶の声が聞こえた。

 今、舞のにぴくりとも動かない雪蝶がいるはずなのに。

 ばっと舞が振り返ると、



 そこには二人目の雪蝶が立っている。



 二人目の雪蝶は心底嬉しそうに笑いながら、屈んで舞の手を取った。


「ねえ、私のことも殺そうとしてみてくださいよ! お願いですから、お願いですから、お願いですから!」


 呆然としている舞の右隣から、三人目の雪蝶がひょこりと顔を出した。


「私も殺してほしいです! うふふふふふ、どうか、お願いしますよ……!」


 四人目の雪蝶が「殺してください! 殺してください! 殺してください!」五人目の雪蝶が「ねえ、私の首もあのように締めていただけませんか……!」六人目の雪蝶が「舞に殺されるときが来るなんて……ねえ、本当に、夢のようなのですよ……!」七人目の雪蝶が「舞、ありがとうございます、どうか私のことも殺してください……!」八人目の雪蝶が「できる限り痛く殺してください、ずっとその痛みを覚えていたいのです……!」九人目の雪蝶が「うふふふふ、舞、それでこそ舞、殺してこそ舞だというものです……!」と、



 ――――舞を取り囲みながら、美しい声音で、ささやき続ける。



 頭を抱えて俯きながら、舞は鋭い悲鳴を上げた。

 ぎゅっと目を閉じていると、やがて不気味なほど静かな時間が訪れる。

 恐る恐る目を開いた舞の前には、いつものように、一人だけの雪蝶が立っていた。

 雪蝶は痣のできた自身の首筋を愛おしげにつうと指でなぞってから、どこかあどけない、幸せそうな微笑みを零した。


「…………後少ししたら、何度でも貴女に、殺してもらえるのですね」


 そんな言葉と赤黒い蝶の残像を残して、雪蝶は空気に溶けるように姿を消した。

 舞は震えてしまう手をぎゅっと握りしめながら、やがて「……夏野先生、」と呟いた。

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