六章 大切
17
早朝、目を覚ました舞の視界に、正面の壁にもたれかかっている雪蝶が映り込む。
「舞。準備はよろしいですか?」
「随分、急なのね……今日、お葬式があるから?」
「それもそうですが……〈階層試練〉は事情により連続では行えませんので、一日で三度行うとなると、早い時間から始めてしまった方が都合がよいのですよ」
「……そう。なら、始めて……」
舞の言葉に、雪蝶はにこやかに頷いた。
それから雪蝶が浴衣の裾をひらりと持ち上げると、赤黒い蝶がぶわりと中から踊り出た――――
◇
…………舞は夕暮れの中の保健室に立っていた。
舞が何度も訪れたことのある保健室だった。
赤茶色の髪をした女性が、舞に背を向けている。
窓の向こうの美しい夕焼けを眺めているようだった。
嘘……でしょ……舞は、そう口にした。
舞の存在に気付いた女性が、ゆっくりと振り向いた。
――――夏野理聖が、立っていた。
◇
理聖は不思議そうに瞬きしてから、舞へと歩み寄ってくる。
「ええと、卒業生の子かしら……?」
舞は何も言うことができずに、近付いてくる理聖を見つめていた。
理聖は目の前に立って、舞の顔をじっと見つめると、自身の両手を合わせる。
「ああ……思い出したわ、龍ヶ世さんね! すぐに思い出せなくてごめんなさいね……それで、どんなご用事かしら?」
にこやかに首を傾げる理聖に、舞は違和感を覚える。
こちらの世界では、自分と夏野先生は余り深い関係性ではなかったのだろうか……?
そんな疑問は、舞があるものに気付いた瞬間、霧散するようにどこかへ行ってしまった。
理聖の後方にある机に、出刃包丁が置かれている。
見ただけで、その出刃包丁に心を突き刺されたかのように思う。
現実から逃避するように、舞は保健室中に視線を
もう、認めるしかなかった。
舞は四回目の〈階層試練〉で、理聖のことを殺さなくてはならない。
そのとき、舞の挙動から推測したように、理聖が口を開く。
「龍ヶ世さん、何か探し物……? あ、もしかして、卒業した後に何か忘れ物に気が付いたとかかしら? もしそうだとしたら、わたしも探すのを手伝うわ」
そう言って微笑みかけてくれた理聖に、舞は口角を歪めた。
理聖と過ごした記憶が、優しい笑顔が、温かな言葉が、舞の心を激流のように伝っていく。
――――わたしも、龍ヶ世さんがとっても大事。かけがえのない人よ。
理聖がそう伝えてくれたことを思い出した。
気付けば、舞は走り出していた。
「りゅ、龍ヶ世さん……!?」
理聖の言葉を聞きながら、舞は窓の方へと走る。
無理だ、と思った。私は夏野先生を殺したくない。殺すことなんてできない。だって殺してしまえば、夏野先生は本当の世界でも――――
気付けば舞の前に、幾つもの窓がある。
ここから逃げ出そうと思った。
舞は、窓の鍵へと手を伸ばす。
赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!赤黒い蝶!
……窓の外は、数え切れないほどの赤黒い蝶によって埋め尽くされていた。
赤黒い蝶は重なり合って、切れ目などなくなっていく。窓の向こうは一気に、赤黒い世界へと
――――逃げることは許されませんよ?
まるで、雪蝶からそう告げられているかのようで。
舞は呆然と、窓の前で立ち尽くす。
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