16
舞は両親と共に車に乗っていた。
「それにしても……思ったより、早かったよな。亡くなられるの……」
「そうね……私も、びっくりしたわ。あっという間だったから……」
運転席の透と助手席の咲の会話をぼんやりと聞きながら、舞は手元の携帯を眺める。SNSを見ても面白いとは思えなかったけれど、何もしないで
そのとき、メッセージの通知音が鳴る。
雫莉からだった。
〈舞さん、見てください〉
そんな言葉と共に、一つの動画が送られてくる。
何かと思って開いてみると、灰色と白色の混ざり合った毛並みが美しい猫が、クッションの上で丸まって眠っていた。確か、雫莉の家で飼っている猫だ。
一分ほどの動画だったけれど、何か特別なことが起こるでもなく、ただ猫が眠っているだけだった。舞は動画を見終えると、雫莉にメッセージを送る。
〈可愛い〉
〈でも、どうして急に?〉
すぐに、雫莉からの返信が来た。
〈ただ、舞さんに見てほしかっただけなんです〉
雫莉の言葉は、いつものように真っ直ぐで、純粋で。
流れきったと思った涙が溢れて、一筋、つうと舞の頬を伝う。
無性に雫莉に会いたくなった。ただ、彼女の清らかな白さに触れていたかった。どろどろの赤黒い衝動に塗れた自分を、一瞬でいいから忘れてしまいたかった。
気付けば〈今から会えない?〉と送っていた。
断られるかと思ったのに、優しい雫莉は〈いいですよ〉と伝えてくれた。
◇
自宅に帰った後両親に事情を話し、舞が最寄駅に到着する頃には、既に雫莉の姿があった。
普段は鈴蘭の髪留めで一つに
その綺麗さに、舞は一瞬見惚れてしまった。
雫莉は舞の姿に気付くと微笑みながら手を振って、舞の方へ小走りで近寄ってくる。
「こんばんは、舞さん。こんな夜中に会えるなんて嬉しいです」
「雫莉……こちらこそ、急に来てくれて本当にありがとう」
「いいんです。舞さんがわたしを必要としてくれたみたいで、とても嬉しかったです」
そう言って、雫莉は両手で舞の左手をそっと包み込んだ。
雫莉の可愛らしい笑顔に、舞はどきりとして、そして、……殺してしまいたくなった。
それに気が付いて、消えてしまいたくなった。
どうして私みたいな異常者がこの世界に生まれてきてしまったんだろう?
そんな疑問が舞の心を浸していく前に、雫莉の体温が舞を包んだ。
抱きしめられていることを、舞は少し遅れて理解する。
「舞さんは、出会ったときから、時折苦しそうな顔をする人でした」
雫莉の澄んだ声が、耳元で聞こえた。
「時折、でした。けれど最近は、よく苦しそうな顔をしています。何かあったんですか?」
雫莉は舞の背中を丁寧にさすってくれる。
舞は涙を堪えて、「……色々、あった」と伝えた。
「やっぱり、そうなんですね。でも、心配しないで大丈夫です。わたしはどんなことがあっても、舞さんの一番の味方ですから」
雫莉の言葉に、どうして、と舞は口にしてしまう。
「私は、雫莉が思っているよりもずっと、どうしようもない人間なのよ……なのに、どうして、そうやって言ってくれるの……?」
雫莉は、そっと舞から身体を離す。
それから、一切の曇りのない綺麗な瞳で、舞と目を合わせた。
「…………わたしが、空っぽな人間だからです」
その言葉の意味がよくわからなくて、舞は何度も瞬きを繰り返す。
雫莉は寂しそうな微笑みを零した。
「わたしは何にも秀でていません。勉強も、運動も、それ以外の様々な能力も、全て人並みなんです。強いて言えば、美味しいお菓子がつくれますけれど、本当にそれだけです。でもわたしは、努力をする気がちっとも浮かばない。面倒なんです」
それだけではありません、と雫莉は自嘲するように笑った。
「不思議なことに、わたしは負の感情が殆ど浮かばないんです。小学生の頃に飼っていた猫が死んでしまったときも、中学生の頃にクラスの人たちから無視されたときも、半年ほど前に長らく大事にしていた財布をなくしたときも、何も感じませんでした。幼かった頃は、人並みにそういう感情もあったと思うんですが、あるとき、面倒だと思ったんです。そう思ってしまってから、わたしはロボットのようになってしまいました」
そこまで言って、雫莉は優しく微笑んだ。
「……だから、わたしにないものばかり持っている舞さんが、わたしにはとても綺麗に映るんです」
雫莉はそう言って、桜色の唇を閉じた。
「…………雫莉、」
「はい、何ですか?」
「抱きしめても……いい?」
舞の言葉に、雫莉は驚いたように少し目を見張ってから、「ええ、
舞はそっと、雫莉の
絶対に傷付けないように、絶対に壊さないように、絶対に苦しめないように……
「……あのね、雫莉」
「何でしょう」
「雫莉もね、私にないもの、沢山持っているのよ……だから私は、そんな雫莉が羨ましくて、尊くて、大切で……いられるものならずっと一緒にいたいと思ったりもして……私、私ね、雫莉のことが…………」
――――雫莉のことが、
好き――――
心の中に、思いが溢れた。
ああ、そうだったのか、と舞は思った。どうして今まで気付かなかったのだろう。いや、本当は気付いていたのかもしれない。その感情に名前を付ける機会がなかっただけで、舞は随分と長い間、雫莉のことを愛してしまっていたのだ。
「わたしのことが、何ですか?」
雫莉の問い掛けに、舞は少しの間
そうですか、という雫莉の声は何だか残念そうだった。
想いを伝える訳にはいかない、と舞は思う。
だって舞は、後三度の〈階層試練〉を終えれば、人間ではなくなってしまうのだから――――
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