12

 舞が教室に着くと、黒板の側にいた雫莉が笑いかけてくれた。

 内なる衝動を殺しながら、舞は雫莉に手を振る。


「おはようございます、舞さん」

「おはよう、雫莉」

「あれ、目の辺り、何だか腫れぼったくないですか?」


 雫莉は不思議そうに首を傾げる。舞は困ったように微笑んだ。


「あはは、気にしないで……」

「気にしないでって、もしかして何か悲しいことがあったんですか?」

「……悲しいというより、嬉しいことがあったの」


 舞の言葉に、雫莉は「なるほど、それならよかったです」と頷いた。


「それでは、わたしが舞さんをもっと嬉しくしてあげます」

「もっと嬉しく、って……どういうこと?」

「少し待っていてくださいね」


 雫莉はそう言って、舞の元を離れていく。そのまま自席に戻り、掛けてある鞄から何かを取り出した。それを背中に隠すようにして、小走りで舞の元へ戻ってくる。

 きょとんとした様子の舞へ、雫莉は「どうぞ」と言いながら笑顔でそれを差し出した。



 透明な袋に、人間の指が幾つも入っている。



 舞は小さな悲鳴を上げて退いた。


「え、舞さん?」


 雫莉が目を丸くしている。


「し、雫莉、何で、それ…………」

「えっと、もしかして舞さん、マカロンは苦手でしたか?」


 マカロン?

 舞はゆっくりと、雫莉の持っている袋へもう一度視線を移す。

 可愛らしいレース付きのリボンでラッピングされた袋には、ピンク、白色、茶色のマカロンが二個ずつ入っていた。舞は呆然と、六つのマカロンと目を合わせる。


「すみませんね、苦手だとしたらわたしが食べます。気にしないでくださいね」


 少し残念そうに笑っている雫莉に、舞は首を横に振った。


「違うの……マカロン、すごく好きよ」

「そうだったんですか? なら、先程はどうして」

「……多分、泣いた影響で目が疲れていて……マカロンが一瞬、変なものに見えたの」

「変なもの、ですか?」


 雫莉は興味を示しているようだったけれど、舞は彼女に詳細を語る気にはなれなかった。


「何でもないの……とにかく、ありがとう。食べたら感想伝えるね」


 舞の言葉に、雫莉は綺麗な目を細めて「楽しみです」と微笑んだ。


 ◇


 チャイムが鳴り、朝のホームルームが始まる。

 舞は一時間目の日本史の教科書、資料集、ノートを机の上に並べ終え、担任の渦岡うずおか先生の方を見た。

 そこで、違和感に気付く。

 渦岡先生は若い男性教師で、とても明るく普段から笑顔を絶やさないのだが、そんな彼が今日は神妙な面持ちを浮かべているのだ。舞のクラスメイトも不思議に思ったらしく、元気な女子生徒が「うずっち、どうしたのー」と言ってからりと笑う。

 渦岡先生が、ようやく口を開いた。


「……皆には、落ち着いて聞いてほしい。非常に残念なことに、四組の安住美乃あずみよしのさんが昨日亡くなった」


 突然告げられた訃報ふほうに、教室の中がしんと静まり返る。


「葬儀はご親族のみで行われるそうだ。……それでは、哀悼あいとうの意を込めて、一分間の黙祷もくとうを捧げたい。皆、起立してくれ」


 渦岡先生の言葉に、生徒たちはゆっくりと席を立つ。

 全員起立し終え、渦岡先生が「黙祷もくとう」と一言告げた。

 舞は目を閉じながら、自分が何かを忘れているような心地に包まれていた。

 そっと呼吸を繰り返して、記憶を辿る。



 ――――『それでは、のことは知っているのですか?』



 心臓を掴まれたようだった。

 赤い唇を動かしながら、昨日雪蝶が告げた名前。


 あずみことの。


 舞は指先を震わせながら、渦岡先生の告げた名前を思い出す。


 あずみよしの。


 少しだけ、違う。

 でも、よく似ている。


「……それでは皆、目を開けて着席してくれ」


 渦岡先生の言葉がどこか遠い国の言語のように聞こえた。舞はのろのろと椅子に座りながら、手のひらにぎゅっと爪を立てた。

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