三章 デート
08
睡眠と覚醒を何度も繰り返した日曜日が終わり、訪れた祝日。
まだ約束の時間の二十分前だったけれど、既に雫莉は待ち合わせ場所である公園の時計台の側で佇んでいた。
白いもこもこのダウンコートにオフホワイトのスカート、グレーのタイツにベージュのブーツ。首にはいつも巻いているふわふわの白のマフラー。まるで雪国に暮らす小動物のような可愛らしさがあった。
雫莉は舞に気付くと、そっと手を振ってくれる。
「おはようございます、舞さん。今日も素敵ですね」
「素敵、って……貴女の方がずっと素敵な格好だと思うけれど……」
ファッションへの疎さを自覚している舞は、困ったように微笑う。現に彼女が持っている冬のコートは、今も着ている黒のダッフルコートただ一着だった。
雫莉は、くすりと笑った。
「舞さんは美しいので、どんな格好でも綺麗に見えるんです」
「え、いや、そんなことない……!」
動揺を見せる舞に、雫莉はまた笑う。
「照れているんですか? 相変わらず舞さんは可愛いです」
「ちっ、ちが……! もう、雫莉、あんまりからかわないで……!」
「少しもからかってなんていないのに」
どきどきする。どうしようもなく、どきどきしてしまう……
ころしたくなってしまう。
浮かんだ思考に舞は目を見開いた。
衝動が普段よりも鮮やかな気がした。振り払うように、舞は首を横に振る。
「……舞さん? どうかしましたか」
そう声を掛けられて、舞は雫莉の方を見た。雫莉は不思議そうにしている。
「あ、いや、ごめん……何でもないの。本当に、何でもないから……」
「そうですか? それならいいんですが」
「う、うん! 本当に、気にしないで」
「わかりました。そうしたら、早速行きましょうか」
そう言って、雫莉は舞へと手を差し出す。
え、と声を漏らした舞に、雫莉は優しく微笑んだ。
「折角の休日ですし、舞さんと手を繋ぎたいです」
「あ……いい、けれど……」
舞は少しばかり
柔らかな感触に、思わず出刃包丁を突き刺したいという気持ちがよぎった。
舞はその気持ちを透明な出刃包丁で形が何一つ残らないように何度も何度も何度も何度も何度も突き刺した。
◇
気温はいつものように低かったけれど、風が余り吹いていないからそこまで寒くなく、歩くのに適した日だった。
「そういえば……集まるの、本当に公園でよかったの?」
舞の質問に、雫莉は「
「久しぶりにブランコを漕ぎたい気分だったんです」
「ああ、そうなのね……何だか、童心に返れそうね」
「そうでしょう。ほら、見えてきましたよ」
繋いでいない方の手で雫莉が指さした先には、古びたブランコがある。
「早く行きましょう、舞さん」
雫莉は子どものように純真な微笑みを零して、舞の手を引きながら走り出す。
きゃっと声を漏らしてから、舞は幸福そうに少しだけ目を細めて、駆け出した。
ブランコは二つとも空いていて、雫莉は左側のブランコに腰を下ろした。
その様子を側で眺めている舞へと、雫莉は首を傾げる。
「舞さんは漕がないんですか?」
「あ、私? うん、そうね……どうせなら、雫莉が漕ぐところを見ていたくて」
「へえ。だとしたら、しっかり見ていてくださいね」
どこか
しかし、ブランコは中々速度を増さない。
暫くして、雫莉はどこか不服そうに唇を尖らせた。
「むう。上手くいきません」
「何でだろう……もっと速くなりそうなものだけれど」
「そういえば幼い頃も、余り上手く漕げなかった気がします。才能がないのかもしれません」
そう言って、雫莉は溜め息をつく。
ブランコに随分と真剣になっている姿が微笑ましくて、舞は思わずちょっとだけ笑ってしまう。
それから舞は、一つの提案を思い付いた。
「雫莉」
「何ですか?」
「そうしたら、私が背中を押してあげようか」
舞の提案に、雫莉はただでさえ綺麗な瞳をより一層きらきらさせて、深く頷いた。
「ぜひともお願いします」
「了解」
舞は雫莉の後ろに回り込むと、「いつでもいいよ」と声を掛けた。
「ありがとうございます、では」
言い終えると同時に、雫莉がブランコを漕ぎ始める。
そんな彼女の背中を、舞はゆっくりと強い力で押していく。
「お、いい感じです。あははっ、楽しいです」
聞こえてくる楽しそうな声に、舞の表情も自然と緩んでいく。
舞はふと、自分が今衝動を忘れていたことに気付いた。気付いてしまえば衝動は沸々と湧き上がる。それを忘れようと、ただ舞は今流れる温かな時間に強く縋った。ずっとこうしていたいと思った。
でも〈高位の存在〉となってしまえば、それはもう叶わないのだろうか……?
舞は淡く目を見張る。
誰かを殺すことができるというその一点に強く惹かれてしまったために、殆ど考えていなかったことだった。〈高位の存在〉となれば、最早人間ではない。人間として生まれたために享受していた日常は、きっと全て消えていくこととなる――――
「…………舞さん?」
振り向いている雫莉に声を掛けられて、舞は自分の手がぴたりと止まっていたことに気付いた。
雫莉はブランコから立ち上がると、舞へと近付く。
それから、舞のことを優しく抱きしめた。
「え…………雫莉、どうしたの」
「舞さんがとても寂しそうな顔をしていたから」
雫莉の手が舞の背中に伸びて、そっとさすってくれる。舞にはその優しさが途方もなく嬉しくて、そしてそんな優しい彼女を、……ころしたくなってしまう。
自分の異常性に一瞬視界がぼやけた。
だめだ、と思う。こんな自分がずっと雫莉の隣にいたいだなんてそんなのは
舞はゆっくりと唇を開いて、「ありがとう、雫莉……」とだけ言葉にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます