04

 一言で表すならば、赤色と黒色を基調とした少女だった。

 腰まで伸ばされた黒い髪は、蝶をモチーフにした赤い髪留めを用いて、編み込みを伴ったハーフアップにされている。瞳は黒く、唇は艶々つやつやと赤い。冬だというのに身にまとっているのは浴衣で、赤色の布地に幾つもの黒い蝶が描かれている。肌が病的に白いからか、色彩のコントラストが際立っていた。

 舞と瓜二つだったが、舞には左の目元にある泣きぼくろは、彼女には右の目元に存在している。舞と鏡合わせのような少女だった。


「…………誰、」


 震えた声で、舞はそうやって問う。

 目の前の少女は背中の後ろで手を組むと、にこやかに微笑んだ。



「――――雪蝶ゆきちょうですよ」



 雪蝶、と。

 少女はそう名乗った。


「冬に降る雪と美しい蝶で、雪蝶です。どうぞお気軽に雪蝶とお呼びくださいね、舞」

「……何で私の名前、知っているの」

「ふふ、それは私が〈高位こうい存在そんざい〉だからですよ」

「高位の、存在? 何、それ……」


 困ったように目を逸らす舞に、雪蝶はつかつかと歩み寄る。

 それから舞の目と鼻の先で、真っ赤な唇を開いた。


「舞。私は貴女に、いい提案をしに来たのです」

「いい、提案?」

「ええ……殺害衝動を抱えている貴女が、幸せになれる道標を示しに訪れたのですよ」


 雪蝶の言葉に、舞はひゅっと息を吸い込んだ。

 知られている。自身が周囲に隠しているはずのことが……


「何で、知って……」

「〈高位の存在〉だからですよ」

「だから、それは……何なの?」

「うふふ、ご安心くださいね。今からちゃんと説明しますから」


 雪蝶は舞から顔を離すと、口元に手を添えながら笑った。

 それから、「〈高位の存在〉とは、端的に言うと」と目を細める。



「誰のことでも自由に殺すことができる存在です」



 舞は、目を見開いた。

 雪蝶はにこにこと微笑みながら、舞の返答を待っている。

 舞は彼女へ、「……馬鹿馬鹿しい」と首を横に振った。


「そんな存在が、いる訳ないじゃない。人を馬鹿にするのも、いい加減にして……」

「ふふ、信じられないならばお見せしますよ」


 お見せする…………?

 その言葉の意味を、舞が深く考える前に。

 雪蝶は塀の上ですやすやと眠っている白猫を指さした。


「うふふ、可愛らしいですね」


 雪蝶の言葉に導かれるように、舞の視線が白猫へと移動した。



 ――――瞬間、白猫の身体が破裂する。



 白猫は一瞬にしてに変わり果てた。白色の毛、桃色の肉片、赤色の血液がそこら中に散らばっていた。

 その光景を見た舞が最初に覚えた感情は、どうしようもない高揚だった。

 そして、そのことに数秒後気付いて、舞は思わず泣き出しそうになる。


 可笑おかしい……恐怖も哀情も怒気も何も覚えることができないなんて可笑しい……


 そう思いながらも、高揚は止まらない。

 それほどまでに、彼女にとって綺麗な死骸だった。

 雪蝶は赤色の唇をつり上げた。

 それから、親指と人さし指を用いてぱちんと音を鳴らす。



 ――――白猫が眠っていた。



 舞は、目を見張る。

 何もかもが、元通りになっていた。見えていたはずの脳漿のうしょうも、内臓も、血液も、全てが内側に仕舞われていた。白猫はやがて目を覚まし、ふわあと大きな欠伸をしてどこかへと歩いていく。雪蝶がうふふと笑う。


「ね、本当だったでしょう? 私たち〈高位の存在〉はね、生物の死を操ることができる存在なのですよ」

「そん、な…………」

「あ、一応伝えておきますと、だからと言ってぽんぽん殺したままにしていい訳ではないのですけれどね……そんなことをしたら、から……でも、壊した後に直しさえすれば大丈夫なのですよ。ね、舞。貴女にぴったりだとは思いませんか?」


 雪蝶の言葉に、舞は黙り込む。



 誰のことでも自由に殺すことができる存在。



 仮に、自分がそうなることができたとしたら。

 それは舞にとって、途方もなく魅力的に映った。


 殺したいという気持ちを抱えながら生きることは本当に辛い。舞は常識的な感覚も持ち合わせている性質だから尚更だ。そして、仮にそれを人間に実行してしまった際の末路を想像すると恐ろしくて堪らない。それなのに衝動はずっと、ずっと、ずっと育ち続けている。舞はいつか自分が人を殺してしまうだろうと心のどこかで直感していた。辛くて、苦しくて、未来に期待を持つことは全くと言っていいほどできなかった。

 気付けば舞は、ぽろりと言葉を零していた。


「…………ぴったり、かもしれない」

「そうでしょう、そうでしょう。うふふ、わかっていただけてとても嬉しいです」


 雪蝶は両手を胸の前で組み合わせながら、本当に嬉しそうに微笑う。

 舞は顔の辺りに手を添えて、「……でも」と言った。


「わからないこと、だらけよ。正直、非現実的な話ですぐに受け入れるのに苦労するし……それに、貴女が私にそんなに都合のいい話を持ち掛けてくれるのは何故?」


 舞の疑問に、雪蝶は数度瞬きしてから微笑む。


「そんなの、決まっているではありませんか……私が、舞を愛しているからです」

「愛している……? え、だって、私たちはさっき初めて会ったばかりじゃない……」


 舞の言葉に、雪蝶は一瞬表情をなくす。

 穴のような真っ黒の瞳は、ただ舞だけを映し出していた。

 それから雪蝶は、目を伏せて微笑んだ。


「そうかもしれませんね……でも、? 貴女はただ、〈高位の存在〉に――一時いっとき殺戮さつりくを許される存在になりたいかどうかだけを考えればよいのです。さあ、舞……貴女の率直なお気持ちを、私に聞かせてはくださいませんか?」


 ほのかに首を傾げた雪蝶に、舞は少しの間沈黙して。

 そうして、口角を歪めながら、告げる。



「…………なれるものならば、そうなりたい」



 それが、舞の出した答えだった。

 これからも異常な人間として、もがき苦しみながら生き続けるよりも。

 その「異常」を「正常」と許してもらえる存在へと変貌へんぼうできるとすれば、その方が、ずっと楽だし幸せだ――そういう風に、舞は考えていた。


 雪蝶が、ずいと身を乗り出す。

 幸福そうに微笑う彼女は、どこかあどけない雰囲気を残していた。


「なれますよ……貴女は、ですから」

「……それは、貴女から、ということ?」

勿論もちろんそうですが……もっと別の方々からも、ですね」


 雪蝶はどこか遠くを見つめながら、そう口にする。

 それから再び、舞のことを見据えた。


「舞。〈高位の存在〉になるためには、〈階層試練かいそうしれん〉で結果を出す必要があるのですよ」

「階層、試練……? 具体的には、何をすればいいの?」

「ふふ、簡単なことですよ」


 雪蝶は口角を柔らかく上げてから、唇を開く。



「舞――貴女には、私が選定した七人の人間を殺していただきます」

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