第25話

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「うまくいっているみたいだね」


 紫微は顔を上げる。舞台で瑞月と練習していたら、清光鴻しんこうこうが下から呼びかけてきたのだ。

 動きを止める瑞月に「そのまま続けろ」と言い残し、舞台を降りた。

 清光鴻はいつも通りのきらびやかな笑みだった。その視線の先には、舞の動きを確認する瑞月の姿がある。


「清光鴻、ちょっと来い」

「ふん?」


 清光鴻を外へ連れ出した。瑞月の姿が見えないところまできて、向き直る。


「あいつに手を出すな」

「なにもしてないよ」

「お前は節操がない」

「おや。随分とお気に入りみたいだけど、大丈夫かな?」


 くつくつ笑う清光鴻は、通りすがった舞手と目が合うと微笑んだ。舞手は恍惚と清光鴻を見つめたが、隣にいた楽器に引っ張られ、歩いていく。その舞手と組んでいる楽器の怒りなど、清光鴻は気にもとめない。いつもそうやってあちこちの舞手にちょっかいをかけ、面倒事を起こすのだ。


「お前の舞手はどうした?」


 よその舞手に構わずに、自分の舞手がいるだろうに。清光鴻はあっさり頷いた。


狼尾ろうびのこと? 彼は面白いよ。今日はひとりで練習してる」

「面白い? お前こそ珍しいな」

「私に篭絡されない人間は珍しいからね。狼尾は君にずっとご執心だ」


 静かに微笑む楽器は、両目に剣呑な光をちらつかせる。敵意は自分へ向けられたものだった。そもそもあまり仲は良くない。楽器同士なんてそんなものだ。舞手を選んだあとの、桟代試験の前などは特に──。

 清光鴻は微笑みを作りなおした。その美貌には魅惑の毒が含まれている。舞手がこの誘惑から逃れることは難しい。だから瑞月には近づけたくなかった。


(あいつはぼーっとしているからな。舞えれば何でもいいと思っている節もある)


 瑞月を盗られるかもしれない。そう考えるだけで、目の前の楽器を殴り倒したくなる。内心何を考えているのかしらないが、清光鴻は悠然としている。


「私は、狼尾を大鬼の儀に出してやりたいんだ。彼を至高の舞手にして、望みを叶えてやりたい」

「望み?」


 微笑む清光鴻は答えないが、それで十分だった。自分と瑞月を敵とみなした。そう言いたいのだ。大鬼の儀に出られるのはただひとり、至高の舞手だけだ。三日後の桟代試験で、その候補者が数名選ばれる。


「紫微、君は試験に参加しないんだろう?」

「何を言っている」


 参加するに決まっている。そのために練習しているのを見たはずだ。眉をひそめると、清光鴻は柔らかな慈愛の顔になる。


「言い方を変えるよ。桟代試験には参加しないほうがいい。君に選ばれた子はいつも可哀想だ。そうは思わないかい?」

「ッ、──!」


 ぐさりと胸に衝撃を受けた。言い返そうにも言葉が出てこない。唇をかみ、せめてと睨みつけると、空気がぱりぱりと微細な電気を帯びてきた。動揺のあまり雷を抑えられなくなっている。清光鴻は哀れむような目をした。その意図するところも、言葉も悪意にまみれている。なのに、眼差しは慈愛に満ちていた。まるで相手のことをさも気遣っているという風に──本当はなんとも思っていないくせに。歯ぎしりするような声が口からもれた。


「……私が出るなと言ったところで、瑞月は聞かない」

「小鬼斬りの舞台にも立たせないのに? 鈴も落とさせないで、そのまま守り切れると?」

「関係ないだろう」

「どうかな。桟代試験のことだから。それに……君を見ていると哀れになるんだよ。君は素晴らしい楽器だけど、優しすぎる。だから滅多に舞手を選ばない。演奏のことだけを考えていればいいのに、君ときたら」


 楽器なら、誰しも楽奏のことを第一に考える。舞台で音を鳴らし、舞手の動きと一体化させる──それを何よりの喜びとする。楽器とはそういう性質なのだ。

 舞手はいずれ鬼王院を出て行く。楽器がいくら尽くしても、いずれ彼らに使い捨てられる。どんなに心を開いても、やがて離れると分かっている。だから、そういう目で自然と舞手を見る。


(当然だ。楽器の寿命は永遠だが、人の命は儚い)


 まばたきに近い一瞬を舞手とともに過ごすだけだ。毎年舞手は入れ替わる。いちいち肩入れしていては身が持たない。鬼王院で赤子から舞手を育て、どっぷり肩入れする楽器もいるにはいる。そういう楽器たちにしても、いずれくる別れを最初から念頭に置いている。

 人に肩入れするのは愚かだ。だから楽器はきらめく一瞬をこよなく愛する。楽奏のことだけを考え、舞台での快楽を享受する。その他はなにもいらないと考える。舞手のことも未来のことも、鬼王院のことも。なにも憂える必要はない。楽器とはそういう生き物なのだ。けれど、楽器にとってのその一瞬は──。


「君にとっての一瞬が彼らの死だ」


 清光鴻の眼差しは哀れんでいた。

 同じ楽器なのに、どうしてこれほど考え方が違うのだろう。いっそ割り切れたらよかったのに。脳裏をよぎるのは、これまで関わってきた舞手たちの笑顔だった。名前も笑みも鮮やかに記憶している。幸せなときや、舞台での高揚感、舞手たちの妙技──……。

 きつく奥歯をかみしめる。彼らがどうなったか。

 断末魔。悲鳴。恨みつらみの叫び声。誰も生きてここを出られなかった。自分が執着したせいだ。


「……瑞月は守る。守ってみせる」


 背を向けると、清光鴻はそれ以上の言葉をよこさなかった。そのまま角を曲がると、仏頂面の少年が立っていた。気配がまるでなく、危うくぶつかりそうになる。清光鴻と組んでいる舞手だった──たしか、狼尾という名だ。


(聞いていたのか)


 すらりとした立ち姿は重心が安定していた。武道の心得があるのだろう。以前、自分の舞台へ挑んできたときにも、彼の動きは素早かった。そのまま立ち去ろうとすると、背後から鋭い声が飛ぶ。


「逃げるのか。お前に見合うのは瑞月じゃない。この俺だ」

「お前には清光鴻がいるだろう」

「お前と組むまではな」


 ぎらつく眼差しと目が合った。なるほど、彼は清光鴻の魅力に惑わされてはいない。よほど強靭な精神力の持ち主なのだろう。珍しい舞手だ。狼尾は自分と組むことを望んでいる。きっと強い願いがあり、大鬼の儀でそれを叶えたいのだろう。彼のような舞手と組めば、なにも憂えずに舞台を楽しめるのだろうか。


(瑞月には欲がない。瑞月にあるのは舞だけだ)


 いつもそういう相手を選んでしまうのだ。楽器として割り切れもせず、舞手へ中途半端に心を寄せながら。

 鋭い視線を振り切り、広間へと足早に向かった。瑞月が待っている。



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