第6話

 翌朝は晴天で、澄んだ山の空気が流れていた。ぼんやり窓を開けて外を眺めていると、戸を叩く音がした。解錠の音とともに現れた黒子は、朝餉を運んできた。


「一刻後、お迎えにあがります。舞装束の準備をしてお待ちください」


 必要最低限のことだけを伝えて黒子は去り、湯気をたてるみそ汁や白飯、焼き魚に冷たい水が残される。すでに身づくろいを済ませていたから、そのまま朝餉に手をつけた。思えば、昨晩は何も食していなかった。心配ごとが多く食欲もなかったが、あらためて食べ物を前にすると空腹を思い出した。急いで朝餉をかきこみ、再び身づくろいを済ませた頃、見計らったように黒子が現れた。廊下へ出ると、昨日見た少年たちがすでに集まっていた。遠く飛燕子や、狼尾の姿もある。


「これから皆さまを楽器のもとへご案内いたします。いかんなく舞を披露いただき、お好みの楽器をお選びください」


 最前列にいた少年が声を上げた。


「楽器を選ぶとはどういうことだ? 私は演奏などできんぞ」

「ご覧になればわかります」


 黒子はそれ以上の質問を拒み、歩き出してしまう。しかたなく無言でついて歩くと、外回廊へ出た。建物と建物をつなぐ屋根つきの回廊で、両側は広い庭園になっている。玉砂利が敷かれ、松の木や池が人工的に配された庭だった。植木職人がていねいに手を入れているとわかる美しさがあり、時間があればじっくり眺めたいほど見事だ。

 木影に少年がいた。

 作務衣姿で箒を手にした少年は、集まった自分たちと同じくらいの年齢だ。黒目がちの目が大きく見開かれ、視線が合うとにっこり微笑まれる。


「あ──」


 歩くうちに、庭園には存外多くの人影があることに気づいた。

 人工的に作られた朱塗りの橋で、青年がぼんやり佇んでいる。

 広葉樹の枝の上に、猫のように少年がまどろんでいる。

 じゃりじゃり音がすると思ったら、反対側の庭園の玉砂利の上を子どもたちが駆けまわっていた。美しく整えられた玉砂利が無残に荒らされ、模様を消してしまっていたが、先導する黒子たちは注意もしなかった。まるで見えていないかのように振り向きもしない。

 庭園で思い思いに過ごす者たち──その全員が、外回廊を進むこちらを意識し、視線で追っている。目が合うと、ほんのり見つめ返してくる。微笑むものもいれば、値踏みするような目つきのものもいる。

 なんだろう、これは。

 幼子から青年まで、鬼王院にこれだけの人がいることが意外だった。彼らも黒子、だろうか? それにしては装束が華美だし、あまりに自由な振舞いをしている。

 回廊の突き当たりで黒子は足を止めた。

前から順に、少年たちの手首に結わえた鈴を見て、指示をくだしていく。


「どうぞ、右へお降りください。次の方、鈴を。……どうぞ、扉の内へお進みください。次の方……どうぞ、右の庭へお降りください」


 どうやら庭へ降りる組と、正面にある木扉へ進む組とに分けられるらしい。基準が何かはわからないが、狼尾が前のほうで手首を見せていたので、様子を窺った。


「これは……」


 言葉をのむ黒子に、狼尾がそっけなく告げた。


「別にいいだろ、鈴はちゃんとつけてる」


 黒子が手にしていたのは、狼尾が手首に結わえた小袋だ。ぱんぱんに膨らんだ袋の口を黒子が開くと、中から大量の砂と鈴が転がり出てくる。狼尾は冷たく笑っているようだった。


「うるさくてしかたない。音を消しただけだ」


 小袋に大量の砂をつめ、そこに鈴を入れていたらしい。黒子はその行いを責めるでもなく、淡々と袋に鈴を戻した。


「どうぞ、中へお入りください」

「ふん」


 いかにも気に食わないといった風に、狼尾が正面の木扉の中へ消える。間にいた数人が振り分けられて、自分の番がきた。


「どうぞ、中へお進みください」


 鈴を一瞥するなり黒子は木扉を開き、中を示した。入ると薄暗い廊下で、奥にはさらに一枚扉がある。先に入った少年たち、十名ほどが集まっていた。黒子が先頭に立っている。後ろで扉が閉まり、黒子は顔ぶれを確認すると頷いた。


「お待たせいたしました。みなさまには、これから楽器をご覧いただきます。当院での奉舞には、楽器が必要となります。一週間以内に、お好みのものを見つけ出してください」

「貴様の言っていることの意味がわからない」そう鋭く告げたのは、前方にいた飛燕子だ。「昨日の非礼といい、我慢していれば。順を追って説明しろ!」


 はっきり物を言える高慢さが今はありがたかった。全員の心を代弁している。黒子は怯まず、淡々としていた。


「昨夜はご不便をおかけし、申し訳ございません。楽器とみなさまの出会いをできるだけ公平にするために、初日はあのような形になっております」

「出会い?」


 飛燕子が怪訝そうな声になる。「出会う」とは、人と人との対面に使われる言葉だ。モノである楽器に対しては、「選ぶ」とか「探す」という言葉が適切ではないか。黒子の説明に全員が耳を澄ませた。


「鬼王院にある百八の楽器。そのすべてが人形(じんけい)をとり、境内に棲みついております。万が一、彼らと顔を合わせてしまえば、不快に思われるやもしれませんので。昨夜はお部屋内にこもって頂きました」

「貴様、何を言っている。私が聞いているのは──」

「舞うには、まず楽器に選ばれること」


 目の前の引き戸を黒子が開く。


「ご覧にいれましょう。こちらが当院にございます、最上級の楽器たちです」

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