第7話
まぶしさに目を細め、開いたときには圧巻の光景が広がっていた。
広い空間だった。高い天井につるりとした板張りの床。室内なのに外にいるような開放感がある。運動をするために作られた建物かもしれないが、それにしても広すぎる。武家の家にある道場が、五十個はゆうに入るだろう。白い光に満ちた室内には、舞台が点々としつらえられていた。六畳間くらいの小部屋ほどの舞台が、間隔をへて二列に並んでいる。
一番手前の左にある舞台を見て、全員が息をのんでいた。
炎だ。舞台の上が文字通り、燃えている。
一般的な「舞台」とは、板ばりの床のことだ。多少様式に差はあっても、だいたいは正方形に切り取られた小さな空間で、舞うときにはそのつるりとした台の上にのぼる。木で作られた四角い床、それがよく知る舞台だった。
けれど、目の前にある「舞台」はまるで様相が異なった。左にある舞台の上では、紅蓮の炎が荒れ狂っている。正方形のぐるりは注連縄で囲われ、舞台の上の空気は、目には見えない壁で区切られているようだ。舞台の上から天へ伸びる透明な直方体、その内側では炎が火柱を上げている。透明な壁にぶつかると炎は跳ねかえり、熱はすこしも外に漏れてこない。逆巻く火炎が上へ渦をまいている。荒れ狂う炎の舞台だ。
反対側の舞台に目をやれば、そちらもまたおかしなことになっていた。舞台の中が真っ白だ。まるで、長方形の白い寒天が上に伸びているようだった。目をこらし見れば、舞台上を白くちらつくものは氷吹雪だった。冷たさは微塵も感じないが、舞台の床や手すりは凍りついている。荒れ狂う強風に雪が乱舞する吹雪が、舞台の中では起こっている。
他にも、奥へ続く舞台はいずれも普通ではなかった。水が満ちていたり、植物が繁茂していたり、土で完璧に埋まってしまっている舞台もあった。誰もが唖然と魅入っていた。静けさを破ったのは、事務的な口調の黒子だ。
「左手にございますのは、
はじめはみんな恐る恐る歩いていたが、しだいに思うほうへてんでばらばらに散った。
つられておそるおそる、手前から順に舞台を見て回った。
炎の舞台のひとつ向こうにあるのは、霧の立ちこめる不思議な舞台だ。
木作りの台の上は白霧に満ち、見つめるうちに霧の色が油膜のように七色に変化する。色の変化は一瞬で、きらめき光ると、また白い濃霧に戻ってしまう。霧であるのに手でつかめそうな濃さと質感があった。じっと眺めていると、舞台の最奥、濃霧の奥に人影がみえた。影はしだいに色濃くなり、服の輪郭や髪の長さまでも見えるようになってきた。白霧の中に人の姿があった。誰かいる。
「お試しになられますか?」
ぎくりと振り向くと、舞台の脇に黒子が立っていた。いつからそこにいたのだろう。気配もない黒子たちには、まだ好感がもてない。
「試す……?」
「どうぞ、舞台の内へお上がりください」
「上がると、どうなるんです?」
「御内に入られますと、楽器が演奏をはじめます。奉舞には楽器が必要ですが、相性もございましょう。まずはあなた様が舞われ、楽器がそれを良しとすれば、その楽器があなた様を今後、お支えすることになります」
舞台の上を窺うと、人の輪郭がいよいよはっきりしてきた。
青年だった。
つるりとした黒絹の着物を優雅に着こなし、黒目がちの瞳でじっと見つめてくる。青年は突然、にっこりと笑った。その笑顔に、彼が生きて動くという事実に愕然とした。わけもなく、彼は人形のように動かないものだと思っていた。
「彼は……?」
黒子は舞台を示した。
「楽器『
「彼が、楽器? よく、わかりません。いったいこれは……?」
黒子はそれきり口を閉ざした。ただ舞台へ入るようにと、手で促している。濃霧の中では、楽器『
無意識に足を踏み出しかけたそのとき、後ろから肩を叩かれて飛び上がった。
「なにしてんだ?」
銀朱だった。建物に入る前、飛燕子に言いがかりをつけられていた少年だ。後ろでまとめた赤毛を揺らし、舞台とこちらの顔を見比べている。赤茶の瞳が濃霧の上をすべり、意図的に逸らされた。
「行こう。あっちにもっといい楽器がある」
「えっ、でも」
「いいから」
去り際に振り返ると、舞台にいた青年はすこしだけ表情を歪め、瞬く間に姿を消した。薄霧が、風のひと吹きで宙に溶け消えるように。
「あんなのに騙されんなよ。瑞月は馬鹿だなあ」
「どこに行くの?」
「いい楽器ってのはたいてい奥にあるもんさ。連れてってやるから──浅葱のやつ、どこに行ったんだろ」
せわしなく周囲を見る銀朱に、そういえば彼が人探しをしていたのを思い出した。表情から疑問を読み取ったのだろう。銀朱が教えてくれる。
「一緒にここに来たやつを探してるんだよ。おいら、はぐれちまって。早く見つけないと」
両側に並ぶ色とりどりの舞台に、少年たちが上がり始めている。銀朱が歩みを止めないのでつぶさに見られないが、舞台上ではすでに舞っている姿もあった。音もない不可解な舞台で少年たちは、何かに急き立てられるように回転し、扇手をかえしている。その表情はほとんどが苦しげだ。難しい舞を披露しているのだろうか。銀朱の歩みが早いせいでそれすらわからない。
「待って。ちょっと……待ってってば!」
腕を引くと、銀朱は「ふうん?」と首をかしげた。
「この辺の楽器がいいのか?」
「そうじゃなくて! 教えてほしいんだけど、俺はここで何をすればいいの?」
「簡単な話だ。舞手はどうしたって楽器が必要になる。だから協力してくれる楽器を探すんだよ。ああやって、舞台の上でお前の舞を見せて、組手になってくれるように楽器にお願いすればいい」
「楽器って、あれ? 彼らのこと?」
銀朱は答えず、斜め前にある空っぽの舞台を眺めた。他の舞台には必ず人影があり、注連縄で区切られた空間には炎や水など、不思議な現象が起こっていた。色とりどりの鮮やかな舞台の並びの中で、なにもないぽっかりとした空間はやけに目立った。黒子がふたり、慌ただしく話し合っていた。
「
「申し訳ありません。すこし目を離した隙に」
「顔合わせの席にはいるように伝えておいただろう。探せ!」
「すぐに」
横目で見ていた銀朱がうっそりと笑う。
「この辺の楽器は気難しいだろうな。その分、質もよさそうだけど」
「君は、鬼王院に詳しいの?」
「おいらはここに住んでるんだ。浅葱もそう」
「え」
思考が完璧に停止したのを見て、銀朱は「ああ」と瞬く。
「外の人間は知らないんだろうな。ここには内部生がいるんだよ。赤子の頃に拾われて、年頃になったらお前ら外のもんと一緒に入内させられる。おいらは、ずっと浅葱と一緒にいたんだ。なのに入り口ではぐれちまったから」
「知らなかった……」
鬼王院に入れるのは、由緒ある家柄の貴族の嫡男のみ。ずっとそう聞かされてきた。まさか内部生がいて、入内時に一緒になるなんて考えもしなかった。銀朱はだから、自由であけすけなのだろう。彼は貴族でも武家でもない。鬼王院で育てられ、ここから一歩も外に踏み出したことがなさそうだ。
広間の奥が突然騒がしくなった。少年たちと黒子が集まり、何かを熱心に見つめている。
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