第5話

 蔵の最奥の、来たときとは別の扉が開いた。黒子がひとり手招きをしている。外へ出ると、そのまま宿舎へ案内された。木の階段を数階分のぼっていく。ずいぶん大きな施設だと気づかされた。板張りの廊下には十以上の扉が並んでいる。


「今宵は各自、お部屋からお出になれません。風呂、用足しはお部屋にございます。御用の際は、あちらにおります者にお申しつけください」


 廊下の角にふたりの黒子が控えている。視線に気づき、遠く一礼してくる。案内された部屋へ入った瞬間、外から鍵がかけられた。閉じこめられた。ぎょっとしてふり帰っても、もう遅い。扉についていた小窓を開けると、廊下に控えていた黒子がやってきた。


「いかがされました?」

「あの、鍵が……」

「安全のためです。明朝には開きますので、ご安心を」

「安全?」


 部屋の外に出てほしくないなら、口でそう言えばいい。こんな風に、外から鍵をかけて閉じ込めるなんて非常識すぎる。応対した黒子は廊下の端へ戻ってしまった。しかたなく小窓を閉め、長く息を吐き出した。狼尾や飛燕子、他の少年たちも同じように閉じこめられているのだろうか。鬼王院の入り口は賑やかだったのに、聞こえる範囲で人の声や物音はしない。とても静かだ。あの不思議な声とやり取りをして、訳もわからず個室に押しこめられたのだとしたら、意気もそがれるだろう。


 与えられた個室は豪勢なつくりだった。上質な寝間着にふかふかの寝具、文机に紙と筆、風呂も文句なく清潔そうだ。財ある蘭家で育った自分の目から見ても、この個室には文句のつけようがない。他の貴族たちにしてもそうだろう。けれど、どうして閉じ込めたりするのだろう。安全のためとは?

 寝具に座りぼんやりしていると、小石がぶつかるような音が聞こえた。窓からだ。窓の外をみてぎょっとした。


「狼尾!?」


 窓を開くと、猫のようにしなやかな動作で友が滑り入ってくる。


「静かにしろ」


 閉めろ、と言われて窓を閉める。ついでに外の様子を窺ってみた。この部屋は三階にある。外壁は木製で、突起も何もない、わずかに窓の桟が出っ張っているだけだ。狼尾は両腕を回している。


「情けねぇ顔だな。臆してんのか?」

「どうやってここに?」

「見たろ。壁を伝ってきたんだ」

「無茶なことを……」

「俺を閉じこめようとするからだ。むかつく」


 鼻息荒い友は、どうやら閉じ込められた腹いせに危険をおかしてきたらしい。


「君も、話した?」


 ひくりと鼻にしわを寄せ、狼尾は嫌そうに犬歯をのぞかせる。


「あの蔵にいた女か」

「女? そうだったかな」

「女の声だったろう。化け物め」


 ふん、と息つく狼尾が体験したのは、どうやら自分とは違うやり取りのようだ。話を聞くと、おおよそこういうことだった。

 真っ暗な蔵で狼尾を待っていたのは、甲高い女性の声だったという。


 ──其は何を望むか──


 問われ、狼尾は豪語した。


『俺は妖を斬る武家の末裔だ。お前が人でないなら覚悟しておけよ。お前を斬りにきたんだからな』


「お前、なんてことを……! 蔵にいたのは神、主上かもしれないんだぞ!?」

「わからねぇだろ」

「だって、明らかに」


 人じゃなかった。じゃあ何だと問われても困るが、黒子たちはあの蔵で「来訪を主上へ報告するように」と告げたのだ。狼尾は半眼になっている。


「人でなく、人に害をなすなら、神でも鬼、妖でも同じことだ」

「全然ちがう」


 神とは崇め奉るもので、鬼や妖は忌むべきものだ。その点、武家である狼尾と、蘭家で育った自分の考えは異なるのかもしれない。貴族は妖や鬼を汚物として忌むが、武家は率先してそれらを狩る。人を喰らう化け物が出たと聞けば、現地へ赴き捕縛するのは武家の仕事だった。武家は崇めるべき神を「鬼でないだけ。人を害さないなら良し」と考える傾向がある。


「あの声の女も似たようなこと言ってたな。だから言ってやった。『俺たちが狩った鬼や化け物は全部、鬼王院におさまる。外では捕縛までだが、ここでは実際に斬れると聞く。だからわざわざ来てやった』と」


 開いた口が塞がらなくなる。狼尾は神かもしれない相手に「お前を斬る」と喧嘩を売ったのだ。狼尾はけたけた笑っている。


「それであの女、なんて言ったと思う?」

 

 ──其は、人殺しか?──

 狼尾は違うと答えた。

 ──其は、人を殺したいか?──


「なんて答えたの?」


 笑みを吐きだし、狼尾は肩をすくめる。


「『わからない』……そんな顔するなよ」


 昔、狼尾が蘭家の敷地内で、ごろつきとやり合ったときのことを思い出した。まだ武人として未熟な友が、自分の何倍もある大男に立ち向かったことがあった。諍いの原因は、ごろつきたちが盗みを働いていたからだが、大人を呼ぼうとした自分を差し置き、狼尾は「俺が行く」と言ってきかなかった。あのときにふと思ったのだ。

狼尾は人を殺したいのかもしれない、と。

 実際、ごろつきたちは子ども相手と加減したが、狼尾のほうは殺す気でいたと思う。大人相手にボロボロになり、それでも倒れない友の目は殺気に濡れ、生き生きとしていた。血まみれで犬歯をむき出しにする姿は、今でも目に焼きついている。本人が気づいているかはわからないが、正義という看板があれば、狼尾は容赦なく人を殺すだろう。


「勘違いするなよ。俺は強くなりたいだけだ。強くなるには、強いものの相手をするのが一番だからな。その点、鬼や妖は人より何倍も強い。ここで狩りができれば、俺はもっと強くなれる。だから、一番強い奴を俺は狩るつもりだ」

「──それが、神たる主上でも?」

「さあな。そもそも、神なんて本当にいるのか?」

「わからないけど」


 ここでは注意して動いたほうがいい。そう諌めようとしたときには、友は窓を開け外へ半身を出していた。呼ばれて振り返る顔は、自信にあふれた笑みだった。音もなく壁を伝い、ふたつ隣の部屋へ移動していく。そのしなやかな動きを、はらはらしながら見送った。

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