第3話

「お静かに」


 場を取り仕切る黒子が、前に出て言った。


「ようこそ、お越しくださいました。あなた方は由緒ある家柄の御嫡男──この鬼王院では、全員が神前に仕える舞手となります。私ども黒子が及ばずながら、みなさまのお世話をさせて頂きます。何なりとお申しつけください」


 黒子たちが重々しく一礼し、顔を上げる。先頭の黒子が「さて」と話を続けた。


「鬼王院は神聖な場所ですが、教育機関でもあります。お望みの方にはどのような講義でも提供することができます。音楽、教養、芸術、武闘、帝王学──それぞれに専門家を手配し、個別に講義を行うことが可能です。恵まれた環境で、存分にお望みの学問をお修めください。ただし、ここでは以下の三つの決まりごとを守っていただきます」


 静かな場を見わたし、黒子は自分のいるあたりで視線を止めた。視線の先はすこしずれていて、目の前にいる赤毛の少年を見ているようだった。先ほど飛燕子に言いがかりをつけられた少年だ。黒子は目をそらし、朗々と語った。


「ひとつ。鬼王院でのあなた方の本分は、舞うことです。神前への舞を奉納する。そのために、みなさまには欠かさず舞の稽古をしていただきます。なにをおいても奉舞を重視する。これがもっとも重要なことです」


 鬼王院について、麓で聞いてきた噂を思い出した。教育機関の体を装っているが、実態が怪しげな宗教団体だという噂だ。簡単には立ち入れない山頂に建物を造り、由緒ある家系の嫡男を集めて教育する。有力者の子供たちが通う場所なのだから、しっかりした組織ではあるのだろう。けれど、不気味ではあった。ちなみに、自分は「神」という存在を信じていない。化け物や幽霊といった、目にはみえないものはすべておとぎ話だと考えていた。今は、すこしだけ信じてもいいような気がしている。院の敷地へ一歩足を踏み入れた瞬間に、冷ややかな異様さを感じ取ったからだ。

 ここにはたしかに何かがある。その異質さを肌で感じるのだ。

 それが何かはわからない。神聖なものか、不気味なものか。今さら怯えてみてもどうしようもない。自分はすでにここまで来てしまっている。


「ふたつ。これから院内にお入りいただきますが、一度足を踏み入れると、今後一年は下界へお戻りになれません。中に必要なものはすべて揃えております。要り用のものがあれば、すぐに取り寄せることも可能です。されど、その旨だけはご承知おきください」


 ──在院期間は一年。その間、外へ出ることは許されない。

 ──鬼王院では勉学より、神前での奉舞が重視される。


 以上二点は広く知られた事実だ。聞いている側にもそれほど大きな驚きはみられない。舞は貴族の教養科目でもある。院へ入るような家柄の者なら、多少の舞踊の心得ぐらいあるだろう。そもそも、自分たちは舞うためにやってきたのだ。誰より美しく、華やかに舞えるように、これまで厳しい訓練を重ねてきた。貴族の嫡男なら、誰でも似たような暮らしをしてきたはずだ。それが政界での権威付けや、実家の繁栄につながるからだ。院で一番美しく舞えた者の実家が、院を出た後に莫大な富と名誉をえる。ここにいる者たちは、みんなそれを知っている。


「最後に。鬼王院では百八の楽器を有しております。神前で舞うには、楽器を使う必要があります。中へ入られましたら、本格的な舞の練習が始まるまでに……すくなくとも、一週間以内には、楽器を最低ひとつは見つけて、扱えるようにしておいてください。仔細はおってお伝えしますが」


 すこしだけ場がざわついた。舞手と楽を奏でる奏者はまったく別ものだ。楽器があっても、舞手がそれを演奏しながら舞うのは無理だった。楽器の素養がないものに、今から演奏を覚えろと言うのも無茶な話だ。


「なに言ってんだ? あいつ」


 狼尾が半眼で首をかしげたが、自分にもわからなかった。困惑に揺れる少年たちの頭の群れの中で、赤毛の少年が二度ほど地団駄を踏むのがみえた。彼は腹を立てているようだ。理不尽な説明に怒ったのかもしれない。


「それでは、ひとりずつご案内いたします」


 黒子に導かれ、前のほうから順に建物の中へ上がっていく。内部の暗闇に間隔を開けてひとりずつ、黒子とともに吸いこまれていく。


「瑞月」


 凛とした声に顔を上げると、飛燕子が綺麗に作られた顔で笑っていた。


「名前で呼んでもよかったかな?」

「あ、はぁ」

「後でゆっくり話そう。今は──」


 途切れた言葉の先には、どんどん少年たちが姿を消す建物の暗闇があった。ここで飛燕子と距離を取れそうだ。


「ええ、後でまた」


 遠ざかる飛燕子の背に、狼尾が舌打つ。狼尾は声をひそめる様子もない。


「あいつと仲良くするなら、今後俺に話しかけんじゃねぇぞ」

「こらえて。貴族はみんな気位が高いんだから」

「知るか」


 へそを曲げた狼尾は、さっさと前へ進んでいってしまった。後を追おうとして、ふと自分を見つめる少年と目が合った。先ほど飛燕子につめ寄られていた、赤毛の少年だ。染めでもしたのか、不自然なほど真っ赤な髪の色が、真っ先に目に飛び込んでくる。健康的な小麦色の肌に、くっきりした目鼻立ち。太陽の明るさを集めたような、凛々しい面差しをしている。紅金の着物は豪奢だが、立ち姿に貴族めいた雰囲気はない。ここには武家の名門の嫡男も来ているようだが、どうもそんな雰囲気でもなかった。武家の子なら、立ち姿や気配にはぴんと張りつめた芯があるものだ。幼い頃から狼尾を見てきたから、目の前の彼が武家出身ではないことはひと目でわかった。

じぃっとこちらを見ていた目が、何かに気づいたように険しくなる。


「っ、騙されねぇぞ」

「え?」

「いい匂いぷんぷんさせやがって。お前も、あの嫌味な貴族の仲間だろ。おいらのことを馬鹿にしてんだろ!」

「君は……貴族じゃないの?」

「おいらは銀朱ぎんしゅだ」

「銀朱?」


 ここにいるからには、彼も由緒正しい家柄の嫡男なのだろうが……。銀朱は子どもじみた仕草で地団太を踏む。


「どいつもこいつも、おいらのことを馬鹿にして! お前ら貴族も、黒子のきゃつばらも嫌いだ。誰がお前らなんかと組むもんか!」

「俺は馬鹿にしてないだろ。馬鹿にできるほど、君のことを知らないし」

 銀朱は獣のように唸り、じと目を向けてくる。

「お前は、敵じゃないのか? 名前は?」

「敵って……俺は瑞月みづきだよ」

「瑞月。敵じゃなければ、友か?」

「えっ」


 ずいぶん極端な考え方だ。「どうなんだ」と詰め寄られれば、頷くしかない。


「き、君さえよければ」


 銀朱は一瞬で満面の笑みになった。


「そうか。お前とは仲良くしてやってもいいぞ」

「ありがとう……」

「そうだ、後で他のやつにも会わせてやるよ。浅葱あさぎと一緒に来たんだけど、はぐれちまって。早く見つけないと」


 境内に人は少なくなっていた。手燭を持った黒子がひとり、建物の暗闇に待っていて、静かに急かされた。


「こちらへどうぞ。おひとりずつ、中へお入りください」

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