第2話

 建物の前には、同じ年頃の少年たちが暇そうにたむろしていた。

 みんな名のある貴族の嫡男なのだろう。色鮮やかな舞装姿で、思い思いに時をつぶしている。和やかに談笑する者もいれば、ひとり不機嫌に黙りこむ者もいる。舞の手順を律儀に確認する華やかな者の姿もあった。木の下で暇そうに座りこんでいる少年を見つけて、そちらへ歩いていった。見知った顔だった。


狼尾ろうび


 呼びかけると、幼い頃からの友は眠たげに顔をあげる。すでに気づいていたらしい。ひらひらと手を振られた。


「よう。遅かったな」


 狼尾は退屈そうに、腰元の刀飾りをいじっていた。俊敏だが、普段は眠っている獣。鋭い牙に似た意志と怒りを秘めている。それが、彼を見るたびに抱く印象だった。いつも通りにあくびをする友を見て、首をかしげてしまった。


「君は……なんでここに?」

「志願したのさ」

「志願?」


 狼尾は有名な武家の子だ。蘭家とは家同士が近く、昔から暇があればよく遊んでいた。だから、互いの家の内情もよく知っている。狼尾はひとりっ子だが、鬼王院へ嫡男を差し出す義務は、武家にはない。鬼王院へくるのは貴族の嫡男ばかりだ。過保護な彼の両親が、我が子をひとりでこんなところへ進んで送り出したとは思えなかった。友の鋭い猫目がしてやったりと笑みでつる。


「ここには鬼がいるんだと。鬼王院に入れば、それを斬る機会がある。となれば、来るしかない」

「家の人たちは了承を?」

「さあな。そんな顔するなよ」


 犬歯を見せて笑う狼尾は、自分の事情を知っている。偽物の嫡男であること。蘭家の病弱な蘭涼のかわりに遣わされた孤児であることも──秘密を吹聴するような性格ではないが、大声で話してよいことでもない。自然と声量は下がっていく。


「……君は、ここに鬼を斬りにきたの?」


 武人らしく明朗な笑みを狼尾はのぞかせた。


「まさに。お前の邪魔はしねぇから」

「俺は、邪魔だなんて。ひと言も」

「安心しな。蘭家ご当主の目論見通り、舞いに関してはここじゃお前が一番だろう。俺は素人だしな」

「よく言う」


 あっさりしたもの言いに苦笑してしまう。狼尾は紺の舞装束の腰に黒鞘の太刀を下げてきていた。白銀の刀身を使った彼の見事な剣舞は、息をのむ迫力と美しさなのだ。狼尾が得意とするのは武闘舞だった。猛々しさや敏捷性に特化した足運びは、武家にとって重要な格闘にも通じる。優雅さや華やかさを追求する貴族舞とは根本的に異なるが、それが鬼王院でどのように評価されるかはわからない。

 うんと伸びをして、立ち上がった狼尾が遠くに目を留めた。


「お前と舞で張り合えるのは、ああいう奴らだろうな」


 視線の先を追うと、いかにも貴族然とした少年たちが集まっていた。なかでもひときわ美麗な赤毛の少年が、複数人に囲まれている。健康的で、陽によくやけた小麦色の肌をもつ少年で、弱りはてたように取り囲む少年たちを見ている。声は舌たらずで、子供のように幼く聞こえた。


「だから、知らないってば」

「知らぬはずないだろう。おい、無視するな!」

「無視なんかしてないよ。はぁーぁ」

「なんだその態度は!?」


 どうやら複数人の貴族の子息が、ひとりを囲んでもめているらしい。遠目にも言いがかりをつけているのは囲んでいるほうだが、とりわけ豪奢な衣装をまとった少年が、今にも殴りかかりそうな勢いでつめよっていた。


「私が誰だか知らんのか!」

「知らね」

「鎮守府、六国行吏りっこくこうりの嫡男だぞ!」

「だから知らないって。おいら、貴族じゃないからさぁ」


 顔から火を噴きそうな貴族の少年が、怒りで息をのむ音まで聞こえてきそうだ。いつの間にか周囲は静まり、この騒動を恐々と眺めている。狼尾がくすりと笑い、身をよせてきた。


「誰だあれ。どこの阿呆どもだ?」

「狼尾」


 聞こえる。小声でたしなめたのは、もめるには厄介な相手だったからだ。

 六国行吏りっこくこうり。行吏とは、国の最上官職だ。太政官の下に行吏は十二人。彼らが国の行政を担っている。すべての行吏とそれを担う貴族家の名くらい、この場に集う者なら当然知っている。少年の告げた「六国行吏」は、今もっとも時流に乗っている六国家のことだ。自分のいる蘭家も行吏の一翼を担っているが、六国家に比べると勢力は弱い。面倒にならなければよいのだが──その願いむなしく、狼尾の悪口はしっかりと本人たちへ届いたらしい。気の強そうな六国家の少年が歩いてきて、狼尾を睨みつける。


「貴様。その服は武家だな?」

「だったらなんだ」

「武人のくせに。犬ころが盾つく気か」

「あ?」


 狼尾がゆっくりと恐ろしい笑みを浮かべた。その額には青筋が立っている。ふんぞり返る六国家の少年は気づいていないが、狼尾はわずかに腰を落とした。勢いよく踏み込み、殴りかかる前の構えだ。相手が居丈高に口を開きかけるのを見て、とっさに割り入った。


「すみません。彼にはあとで礼儀を教えますから」

「瑞月。入ってくんなよ」


 狼尾が真横で目をひん剥いたが、無視した。


「貴殿は──」

「蘭家嫡男、瑞月です」


 かすかに視線を上げると、六国家少年の華やかさが目に飛びこんでくる。

 橙と金の豪奢な舞装束と、それに見劣りしないくっきりした目鼻立ち。色白で、微笑めばさぞ愛らしいだろう顔立ちに、貴族らしい気の強さがみえる眉。ただそこにいるだけで衆目を集めてしまう少年だった。残念なのは、その愛らしい顔が今、ひどく不機嫌に歪んでいることだった。少年はその大きく丸い瞳を、夜の湖面に浮かぶ波のように揺らした。それからひたりと焦点をこちらに絞った。まるで肉食獣が、狩る前の獲物を眺めるように。


「蘭家──蘭行吏か」


 少年の顔からあからさまな敵意は消えたが、不自然なほどに抑えられた声の抑揚には、もっと根の深い敵対心を感じた。同じ貴族だからこそ、敵視されることもあるのだ。どんな嫌味が飛んでくるかと思ったが、少年は一転してにこやかな笑みを浮かべた。狼尾が横で嫌そうに顔を歪める。華やかさの影にひやりとしたものを感じて、思わず顔が引きつった。昔からの旧友に出会ったように、少年の態度は変わっていた。


「いや、申し訳なかった。私は六国家嫡男、飛燕子ひえんしだ。貴公の噂は聞いている。すばらしい舞手だとか──よろしく頼む。それから、ここでは付き合う相手は選んだほうがいい。犬ころと付き合うと、君まで品性を疑われてしまう」


 飛燕子は、ちらりと狼尾に視線をやる。当の狼尾は半眼で棒立ちになっていた。やりとりに飽きたかうんざりしたか。きっと両方だろう。

 自分はといえば、とっさに反応すらできなかった。これまで家を出たことがなく、狼尾以外の同年代とろくに話したことがない。それに、相手は六国行吏の嫡男だ。機嫌を損ねるのはまずい。

 友好の微笑みが返ってこないことに気づかれる前に、折よく鈴の音が聞こえた。建物の入り口は一段高くなっていて、そこから黒子たちがぞろぞろ出てくる。黒装束と黒い面覆いをつけた異様な集団の登場に、場がざわついた。

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