ようこそ居候のわたし。
渡貫とゐち
逃げろ、天使がやってくる!
すぅ、と。
内臓の全てが浮き上がった感覚があった。
急な浮遊感で目を覚ませば、わたしは実際に浮き上がっていた。
なにこれ……。
天井がどんどん近づいてくる。
灰色の天井に額をぶつけ――ッ、と思って目を瞑れば、上昇する感覚があっても天井にぶつかることはなかった。あら?
おそるおそる目を開ければ、景色が変わっていた。と言っても似たような部屋ではあったのだけど。灰色で、薄暗くて、ひとけがなくて……冷えた場所。
このままわたしはどんどん上昇してしまうのか、と思えば、重心をずらしたら上昇が止まった。傾けると横へ移動できる。その場で右往左往。
しばらく試して慣れてくると、今度は上昇も狙ってできるようになった。つまり下降も意のままだった。
重力のない空間を泳ぐように、わたしは上側の空間を蹴る。触れるものはなかったけど、蹴ると同時に重心を下へ移動させる意識をしたことで、体が下へ向かってくれた。
同じく灰色の床があり、そのまま衝突する勢いで進む。今度は目を瞑らなかった。
わたしの顔は床に激突、せずに。
すっ――と、通り抜けた。
まるでわたしの体には質量がないみたいに。
実際、ないのだろう。
自分の両手を見れば透き通っていて、色も白い。血が通っているとは思えなかった。
胸に手を当てる。
心音は聞こえなかった。
わたしは死んでいたのだ。
だからこうして、幽体離脱している。
「死んじゃったかー……あはは…………あれ? でも下降できてるけど……?」
天国から天使がやってきて引っ張り上げるのでなく、わたしの体は勝手に上昇していた。
たとえばデフォルト設定が上昇で、わたしの意思で自由自在に行き先を変えられるなら、わたしがこのまま元の肉体へ戻れば生き返れるってことなのかな?
天使が現れたらもう生き返られないですよ、という意味で、天使がやってくることもなく、加えて自由が利くなら、まだ蘇生できる状態であると言えた。
だとしたら天使がやってくる前に自分の肉体へ戻らなければならない――こんなところで死んでたまるもんか!!
抜けた天井、つまり床を抜け戻って、わたしは真下に寝転んでいるわたしの肉体を見た。
見た……どれを?
え……わたしが、たくさんいる……。
袋に包まれるでもなく。
たくさんのわたしが……死体が、剥き出しで並べられていた。
「く、クローン……?」
わたしの。
クローンたちだ。
こうして整列しているわたしの群れの中に混ざって、オリジナルがいるとも思えないから、信じたくはないけど、わたしもクローンのひとり、ってことになるのかな……?
違うっ、記憶がある。
わたしがまだ小さかった頃から今までの記憶が――。
記憶がある、けど……クローンに関する、記憶も知識もなかった。
意図的にそこが空白にさせられているのは、わたし自身がクローンだから……?
「……戻ろう」
あとのことは肉体に戻ってからだ。
ここでちゃんと生き返って、あらためて調べて確かめればいい。
ここでいくら考えたって答えは出てこない。だから――――
「…………」
いざ肉体へ、と思って真下を見れば、クローンたちが整列しており、はて、わたしの体はいったいどれになるのかな……?
座標を考えれば、真っ直ぐ下のひとりのわたしがわたしなのだと思うけど……、本当に?
試してみないと分からないとは言え、わたしの肉体とは別の肉体にわたしが入り込んだら、いったいどうなるのだろう。後戻りできない失敗なら、ここは慎重にいくべきだった。
部屋の端から端までびっしりと詰められている。隙間なく。
テト○スだったら消えてるよね?
しばらく観察してもどれもわたしだった。わたし以上でも以下でもなく、わたしだった。
どれだろう……。
触れることができないから、目覚めさせることもできない。
目覚めたらわたしのではないと分かったのに……。
「一か八か、突っ込んでみよっか……?」
悩んでいると、ゾッとするような恐怖が背中を刺した。
慌てて振り向けば、誰もいなかった。だけど、きている……分かる。
見えた。
天井をすり抜けて下降してきたのは、白い翼を背中に生やした童顔の少年だった。
彼は、にぃゃぁ、と笑みを作り、ゆっくりと近づいてくる。
「ひっ!?」
天使。
わたしを天国へ連れていこうとしている。ん? でも、両手を組んで、槌のようにしてから真上へ振り上げ、勢いよくわたしに向かって振り下ろ――――「うぉっとぉっ!?」
小さくも勢いがついた両手の合わせ拳が、わたしを狙った。
咄嗟に横へ回避したので無事だったけど、もしもあれを喰らっていたら……。
わたしの体は真下へ落とされていた。
床をすり抜け、そのまま地獄いきだった。……天使。
天国いきなら引っ張り上げて、地獄いきなら叩きつける。
結局、審判するのは天使なのだ。
そして、天使が迫っているということは、肉体の死が近づいているということでもある。
「ちょ、ちょっとまっ――あぁダメだ待ってくれる気配がまったくない!!」
言葉が通じているとは思えなかった。
天使は機械的に、条件が合った相手を天国か地獄へ選り分けているだけだ。
配慮なんかない。
慈悲だって、もちろん。
わたしは天使に捕まる前に肉体へ入らなければならない……でもわたし、どれ!?!?
全部わたしなんだからテキトーに入っても問題ないでしょ!!
軽い気持ちで手近なわたしに突っ込む。
肉体をすり抜けることなく、わたしの幽体は無事に肉体の中へ入った。
入った、けど……?
そこは広い空間だった。
精神世界?
真っ暗闇の先に、ひとつの扉がある。人格が住む部屋なのかもしれなかった。
近づき、ドアノブを掴んで捻る。あ。ノックをすればよかった、と思った時には、扉はわたしを引っ張るように勝手に開いて――中へと引き込まれた。
前転しながら部屋に入った。
六畳間。
記憶の中にあったわたしの自室。
そこには、四人のわたしがいた。
「まーた、肉体を間違えたわたしがやってきたよ」
「どうしてこの肉体にばっかり……って、この肉体だけじゃないかもね。探せば別の肉体にもふたつみっつの人格が入っていてもおかしくないし」
「このままだとクローンの肉体の数は減っていくけど、魂は増えていくわよね……? それのなにが問題なのかってのは分からないけどさー」
「まーまー。ひとまず新参ちゃんを出迎えようよ」
四人のわたしがわたしを囲んだ。
全員わたしで……ここはミラーハウスなの?
『ようこそ居候のわたし。
共同生活するんだから、気を遣ってくれるよね?』
…了
ようこそ居候のわたし。 渡貫とゐち @josho
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