妖怪アンテナ

「髪の毛の話、ッスか」


 前掲の、百舌屋さんから聞いた話(「おしぼり様の件」参照)を、氏にさわりだけお伝えしたところ、以下の話が返ってきた。


 アーティストである氏が個展を開くというので、準備の手伝いがてら、アトリエにある彼女の作品を拝見していた。ひと通りを終えて、息をついた雑談の最中だ。

「あー、例えば今日の、このヘアスタイル」

 うのみ氏は自らの頭部を指さした。見るたびに変わる彼女の髪型であるが、今回は盛り髪というのか、高い位置でまとめた複雑な形状をしていた。この形状を保つために、複数のピンが入っているらしいのだ。

「だから、ガッチガチに固まってて、崩れないんすよ」

「え、はぁ」

「髪がこう、にならないようにコントロールしてるっつーか」


 そうしないとなぁ、って話なんすよ。

 うのみ氏は銀色のグリルを覗かせて微笑んだ。



 体験者を仮に、江坂さんとしておく。現在は40歳間近の男性である。

 江坂さんには「木村くん」という友達がいた。その木村くんについての話である。


 2人が知り合ったのは小学3年生、それまでも面識はあったが、ここで初めて同じクラスになったのだ。

「あー、髪の毛、はねてるでー」

 4月のある朝、登校してきた江坂さんを見るや、木村くんは寝癖を指摘してきた。江坂さんの側頭部の一部が、大きくはね上がっていたのだ。

「えっ、はっず! ありがとー」江坂さんが自分で手をやるよりも早く、木村くんの指が、そのはねた毛を押さえた。


「気をつけへんとー、クセッ毛になるでー」

 江坂さんの髪を押さえながら、木村くんはへらへらと笑った。

「クセッ毛?」

「おんなじとこばっかり立つんよー、気をつけへんと」


 こんなことを教えられたから、江坂さんは、後に親に指摘されるまで、しばらく癖毛くせげの意味を誤解していた。

 この出来事をきっかけに、だったかどうか記憶は定かでないが、2人は時々遊ぶ仲になった。家の方向も同じだったので、下校も共にするようになった。


「『白うねり』はー、古い雑巾が化けた妖怪でー、すっごく臭いんやってさー」


 木村くんはその年齢の割に、妖怪に詳しかった。当時、テレビでは『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメが放送されていた――現在で言うところの「第4シリーズ」だ。江坂さんも毎週それを観ていたから、木村くんの話は面白く聞いた。

 ただ、その詳しさというのが、後から考えれば妙な態度で――妖怪が好きだとか、好奇心があるとか、そんな心根から来ているわけではなさそうだった。なんというか、ある一定以上のこだわりというのがない、そんな印象だった。


「『ぬらりひょん』ってのはー、妖怪の大ボスでー、夕方の誰もいない時間帯にこっそり家に忍び込むんやでー」

「なんでそんなコソコソした奴が大ボスなの?」

「知らなーい」


 3年生の秋頃だった。

 下校中に2人は、近くの家が最近飼い始めた犬を見に行ったために、普段は使わない池のそばの道を通ることになった。

「この池には昔、河童が出たんやってー」

 木村くんは親から聞いたという、河童のことを話題にした。

「へぇ、詳しく――」池から木村くんに視線を動かして、そこで気づいた。


 木村くんの頭頂部あたりの髪の毛が、何本かまとめて、ピンと逆立っている。


「あっ」江坂さんは思わず噴き出した。

「髪の毛、立ってんで!」

「うん、そやなー」木村くんは、わかっている、という風に頷いた。


「妖怪アンテナみたい!」江坂さんは思いついたことをそのまま言った。

 よく知られているように、『ゲゲゲの鬼太郎』で、主人公・鬼太郎の髪の毛は、妖気を探知するアンテナの役割を持っている。妖怪が近づくと、髪の毛がピンと立ち上がるのだ。

「そーやねん」木村くんは、少し困ったように、しかしいつも通りへらへらと笑った。

「それ、みたいやねんなー」


 江坂さんは当然、冗談だと思って笑ったが、だが風もないのに立ち続けている木村くんの髪が、そう言われるとだんだんと不気味に見えてきた。

「まぁ、でも、こうなるだけやから――あ、痛、たたた――」

 髪の立ち方が強くなったというか、心なしか、よりキュッと固まったように見えた。

「あー、あかん」と木村くんの表情が、苦笑いの度を増していく。そして彼はその場に立ち止まってしまった。

「あのなー、先、帰った方がええわー」そんなことを言うのだ。

「え、なんで……」

「あ、痛たたた。悪いけどー、また明日ー」

 頭を押さえだした木村くんに、ぞわぞわと恐怖感さえ覚えて、「う、うん、じゃあな」と江坂さんは別れを告げた。

「ばいばーい」手を降る木村くんを残して、江坂さんは駆け足で家路を急いだ。


 翌日、ごく普通に登校してきた木村くんをつかまえ、なんだったのか、大丈夫か、と問いかけた。

「いやー、時々ああなんねん」とはぐらかす木村くんに対し、折に触れて江坂さんは問いただそうとした。やがて数日後、根負けした木村くんは、こんなことを話した。


 木村くんにはお父さんがいないのだが、幼い頃、大人の男性に何度か語りかけられた記憶が残っている。少なくとも一度ではなく、その男はたびたび、木村くんの髪の毛――あのとき逆立った頭頂部のあたり――をつまんで、何事か言ったのだ。憶えているのは、大体次のような内容だ。

「あー、髪の毛が立ったなぁ。近くにオバケがおるかもなー。怖いでー」

 脅すような言い方ではなく、戯れかかる微笑みと共に言われたので、怖かったわけではない。恐らく3~4歳の木村くんの背に合わせて男はしゃがみ、髪の毛をつまんでいたという。

 長じて、そのことを母親に話したが、何かの勘違いだろうと言われた。木村くんは父親に会ったことはない。その男にあたるような男性、親戚だとか母親の恋人と、複数回、話す機会はなかったはずだ。

 「妖怪アンテナ」のことは、再放送で見た前作の『鬼太郎』アニメ(「第3シリーズ」)で後から知った。アニメを持ち出して、子供と戯れ合った……そんな風景に思えるのだが、記憶だけがおぼろげに残っているに過ぎない。それで。


「だからかなーと思うんやけど、いつの間にか、髪の毛が立つようになってたんや」

「だから?」

 正直に言って、江坂さんにはよく理解できなかった。

「何かがと髪の毛が立つんよー。大体は別に、それだけなんやけど。たまにこの前みたいにときがあって、そうなると厄介でー、しばらく様子を見ないとあかんねん。ほら、あそこ、河童がおるって言うたやろー。やっぱり河童ってちょっとヤヤコシイんやなー。でもしばらくじっとしてたら、いなくなるから……」


 その話を信じたか、というと、鵜呑みにしたわけではない。ただ、事実だとしてもからかわれているにしても、心安く付き合いにくくなってしまって、江坂さんはしばらく木村くんと距離を取るようになった。


 付き合いが再開されたのは、中学1年で同じ塾に通い出してからだ。小学生の頃のことは、あまり気にしないように努めた。まだ「中二病」という言葉はなかったはずだが、要するにだかだか、そういうものだと思ったのである。

 ただ残念なことに、その解釈は誤っていた。すぐにわかったことだが、相変わらず木村くんの頭頂部の毛は、しばしば逆立っていたのだ。江坂さんにそれを目撃されるごとに、木村くんは照れ臭そうに笑ったものだ。


 そして、ある晩の塾帰りのこと。2人で夜の坂道を登っているとき、それが起こった。

「あっ」木村くんが小さく呻いて、立ち止まったのだ。街灯は少し離れた場所にあって、だから明瞭に見えたわけではないのだが、髪の毛が立っていた。

 江坂さんは一瞬、躊躇したが「――の?」と尋ねた。


「うーん」木村くんは数秒、黙った後。

「あ、大丈夫」と言った。

 髪の毛が、ぺたり、と寝たようだった。なんだか腹痛の波みたいだな、と江坂さんはぼんやり思ったという。

「なんか、大変なんやね」

「うーん、もう慣れたなー」木村くんは、やはりへらへらと笑う。小学生のときは、彼のそんな態度に釈然としなかったが、先ほどまでの緊張感から解放された安心が勝り、江坂さんは軽口をたたいた。

「でも、便利なことない? オバケかなんか知らんけど、危険を察知できるんなら」

「いや、危険を察知っていうかなー。もう、そこにおるわけやから、察知も何も」


「ん?」江坂さんは、そこで2つのことに気づいた。

 ひとつは、自分が勘違いしている可能性。

「あれ、なんか俺、変なこと言った?」

「いや、あれ? 前に言わんかったっけ。髪の毛が立ってるときは、そこにオバケがおって、つまみ上げてるんよ、俺の毛を」


 「妖怪アンテナ」ではなかった。周囲の「妖気」を感知するものではなかった。それは、何かが彼の髪の毛に触れているしるしだったのだ。

「俺の肩あたりに乗って、つかまれてるんやから、逃げられるとかそういうんじゃないんよ。飽きてどこかに行ってくれるのを待つしかなくてー」


 要はな、クセがついたんよ。子供の頃に、何回もつまみ上げられたやろ。「近くにオバケがおるかもなー、怖いでー」って、知らんオッチャンに。そうすると、クセッ毛になるらしいねん。向こうからすると、つかみ易くなるらしいねん。ずっと困ってるんやけど、でもオッチャンがやってくれたことやから。


 木村くんが話し続けるのを、江坂さんは半分ほどしか聞いていなかった。江坂さんが気づいたもうひとつのことは、目の前の木村くんの髪の毛が、再び逆立ってきたことだった。

「あ、また来た。あ、痛い、い、たたた……」

 相変わらず薄暗く、はっきり視認できないが、あの時のように「強い」状態のようだった。それはつまり、何ものかが強い力で髪を引っ張っているということだ。


「あ、あ、OK、OK」木村くんは顔を強張らせながらも、笑みを浮かべ続けた。

「こういう夜の坂道にはな、確か大入道おおにゅうどうの妖怪が出るらしいわ。正体はキツネとかタヌキらしいけど、それかもなぁ」

 木村くんの妖怪知識を久しぶりに聞いたが、どこか上滑りしていた。今、我が身に起こっていることから目を逸らし――髪をつかみ上げているものを、そんな妖怪だと思い込むために。そのために喋っているのだ。

「い、痛い――」木村くんは頭を押さえ始めた。それは、ひと際「強い」ようだった。

 だが、ことここに至っても、彼は笑みを浮かべ続けていた。さすがに苦い笑みだったが、江坂さんに気を遣っているのか、自分の状態を正常だと認識したいのか。


 そこで取った行動について、江坂さん自身もあまり記憶していない。覚えているのは、こう叫んだことだ。


「普通に怖がれ!!」


 鞄を振り回したのだと思う。それから、いつの間にかペンケースから取り出したカッターナイフで、木村くんの「アンテナ」もとい何かがつかみ上げている部分の髪を、中ほどで切り裂いた。


 木村くんはしゃがみ込んで、しばらく自分の頭髪を押さえていたが、やがて立ち上がった。「なんか、大丈夫みたい」

「お、おう」2人とも言葉をなくして、そろそろと坂道を登った。その道に河童池のようないわれはなくて、江坂さんは以後もそこを通い続けたが、とりたてて何かが起こることはなかった。


 ただ、江坂さんが受験を見据えて塾を変えた関係で、木村くんとはまた疎遠になってしまった。時々顔を合わせると挨拶くらいはしたけれど、新しい人間関係にかまけて、交流は途絶えた。


 今から数年前、30歳を過ぎた頃に、中学の同窓会が開かれ、そこで再会した。

 木村氏は――柔和な笑顔は変わらず、しかしどこか快活な人柄になっていた。

 頭は、綺麗に剃り上げていた。

「いや、あれで済んだわけじゃなかったよ」トイレの前で2人きりになる機会があり、木村氏はそう苦笑した。

「伸びてきたら、また。クセになったのは、なかなか戻らなくて。でも、20歳過ぎたあたりから、あそこの部分だけ禿げ出してさ、思い切ってスキンヘッドにしちゃった。今は、どうだろね。まだ寄ってきてるかも知れないけど、つかむところがなくて困ってるんじゃないかな」

 笑って言うが、直後に木村氏は眉を寄せて、困ったような表情を見せた。

「いや、今も時々、怖い気持ちになるけどね」

 しっかりと怖がれるようだった。

「あの時のこと、感謝してる。今日はお礼が言えて良かった」


 現在も元気にしているようだ。



 ――ガチン。


 グリルのはまった歯を打ち鳴らして、うのみ氏は語り終えた。

「今回も教訓のある、ためになる話をしてしまったッスね」

 捻挫と髪の毛はクセにならないように気をつけろ、ですねー。氏は投げやりに言った。

 氏が髪型をしょっちゅう変えているのは、もしかしてそういう意図なのだろうか。私は思ったが、とやかく探るのも失礼なので、尋ねるのはよした。


 しばらく、寝癖ができるたびに不安を抱いたのは、言うまでもない。

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鵜呑抄(うのみしょう) 酢豆腐 @Su_udon_bu

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