小話② 無自覚な空軍中将
この数日、リアンは悩んでいた。
軍部の力関係とか、政治の中枢である貴族院との駆け引きに苦悩しているわけではない。そういう日頃からの煩わしい軋轢には慣れきっているので、今更そこに苦慮したりはしない。
最近頭を悩ませているのはごく個人的な、かつ誰かに相談することも憚られるほどの馬鹿馬鹿しい問題だった。
「リアン様、どうかされましたか?」
燕の中にある会議室で、会議が終わっても席から立ち上がらないリアンを気にしたローレンが声をかけてきた。座ったまま見上げると、ローレンの真っ白な髪は室内灯に照らされると透けるようにきらきらと輝く。それは一見飛竜の銀髪のようにも見えるから、しばらく顔を合わせていない同胞を見たような気持ちになって束の間和んだ。
「いや……。大丈夫だ」
「大丈夫だというお顔ではありませんが。先ほどの話し合いの中で何か気になることでも?」
食い下がってくるローレンを瞬きして見上げる。
この副官はリアンが海に落ちて行方不明になってから、少し人が変わった。それまではリアンの言うことに口を挟むような真似は一切しなかったし、一歩下がって静かに控えているのが常だった。
しかしあの事件の後からは、彼はリアンの心身にそれまで以上に気を遣ってくれる。近頃ではリアンが無理して休まないでいるとローレンの方から物申してくるようになった。
人と親しい人間関係を築くのが苦手なリアンからすると、その変化は信頼の証のようで嬉しい。ローレンが以前よりもリアンを身近に感じてくれているのだと思える。
軍部では恐れられ浮いている自分も、もしかしたらそのうち士官達と自然に話ができるようになるかもしれない。
それを海蛇を訪れているときに何かの弾みでヴァルハルトに話したら、奴は何故か物凄く不機嫌になり、壁際に追い詰められて凄まれた。
『俺言ったよな? あの白髪頭があんたに妙な気起こすなら海に沈めるって』
『……お前はどうしてそう短絡的なんだ。今の話をどう解釈したらそんな結論になる。ローレンが以前よりも私に気を遣って心配してくれる、という話をしているだけだろう』
『いーや気に入らねぇ。あんたが副官に隙を見せんのも、そのちょっと照れたみたいなクソ可愛い顔を空軍の奴らに拝ませんのも我慢ならねぇ』
『かわ……? お前は何を言っている』
『あんた自覚ねぇんだろ。今まで空軍のヒュドラなんて呼ばれてた氷の女王様が、士官達と少しは馴染めるかも、なんて言いながら伏し目がちになって照れてたら兵卒は全員惚れちまうだろうが』
『何故それで惚れるんだ。意味がわからない。私はヒュドラでも女王でもない。そもそも雄だ』
『やめだやめだ。あんた絶対にその話白髪頭の前でも司令部の中でもするなよ。俺は心が狭い。そのうちあんたを燕に隠そうとする奴らが出てきたら迷いなくミサイル撃ち込むからな』
『……お前、気は確かか?』
絶句して奴の顔を見上げたら、ヴァルハルトは低く唸ってリアンに覆いかぶさってきた。
そこからの回想は会議室で思い出すにはいかがわしいので頭を軽く振り、脳内から記憶を追い出す。
相変わらず、あの男の頭はおかしい。
番に対して多少狂っているというのが海竜の本性であるとわかってはいるが、日に日に悪化している気がする。最近リアンの階級が中将に上がり、ますます忙しくなって海蛇を訪れるのが二日か三日に一回になったから、おそらくそれも奴の暴走に拍車をかけている。毎回やりすぎるなと釘を刺すのに、行けば必ず精魂尽き果てるまで貪られる。そして次の日に響く。ヴァルハルトは明らかに以前よりも野獣味が増してきた。
それがごく最近の個人的で、かつ阿呆らしい悩みの種だった。
「リアン様?」
ローレンの声で我に返り、慌てて椅子から立ち上がった。
「すまない。最近、ますますおかしくなったバカのことを考えていた」
「ヴァルハルト様ですか?」
「そうだ。あいつはなんというか、少し執着が過ぎる」
こんな話をローレンにするなんて以前なら絶対にあり得ないが、ローレンにはヴァルハルトと番になったことも、先日の一連の事件も目撃されているので隠す必要がない。
リアンがぽろりと漏らしたセリフを拾って、ローレンが小さく頷いた。
「おそらく、心配なのではないかと。リアン様は最近変わられたので」
「……変わった? 私が?」
扉まで歩こうとして足を止め、ローレンを振り向く。
彼は紫色の瞳でリアンを見つめ、不思議そうな顔をしたリアンと目が合うと表情を和らげた。
「はい。空軍の中ではもっぱらの評判ですから。多分、尉官達を通して海軍や陸軍にも噂が広まっているんじゃないでしょうか」
「噂? 何のだ」
「リアン様が以前よりも柔らかくなられたと。リアン様の方から声をかけてくれるようになったと、皆喜んで陰で盛り上がっています」
そう言われて、驚いたが腑に落ちた。
「最近、士官達の行動がおかしいと思っていたが、それが関係していたのか」
「おかしい、ですか?」
首を傾げたローレンを眺めながら、腕を組む。ここ数日のことを回想しながら口を開いた。
「近頃、妙に士官達から視線を感じると思っていた。以前なら私が艦内を歩いていても皆目を逸らしていたが、ここ最近は何故か私の姿を目で追ってくる」
リアンの言い分を聞いて、ローレンが意を得たというように頷いた。
「リアン様の雰囲気が柔らかくなられて、歩く姿を直視できるようになったので、皆目に焼き付けようと必死なんだと思います」
「……? 階級章が曲がっていたり靴が汚れている者を見つけて注意したら、皆涙目になって震えるから怯えられているのかと思っていたが」
「リアン様に話しかけていただけて、感動に打ち震えているんだと思います」
「では尉官の訓練計画の打ち合わせに佐官達の休憩室に行くと、頼みもしないのにサーベルや靴を磨かれ、コーヒーや茶菓子が山のように出てくるが、あれも私が恐れられているわけではないのか」
「佐官の皆さんも、ようやくリアン様に
「は……?」
一体空軍の兵士達はどうしたんだ……?
立ち止まってローレンの顔を見たまま、数秒思考が停止した。
軽やかにボールを打ち返すような受け応えをするローレンの説明も、よくよく聞くと少しおかしい。
空軍の内部は落ち着いたと思っていたが、先日の事件の影響でやはり皆どこか精神の安定を欠いているのではないか。そう懸念を口に出そうとしたとき、ローレンが微笑した。
「皆、以前からリアン様に憧れていました。ですが、リアン様はグラディウス家の飛竜ですから、何者も寄せつけないというような孤高のオーラがありました。前大将と中将の目もあって、表立ってリアン様を見つめられなかったんです。最近リアン様は私や佐官達にも気安く話しかけてくださいますから、それで皆も態度に出しやすくなったのではないかと」
話を聞いてまた驚いた。
てっきりローレンの態度が軟化したのだと思っていたら、自分の方も少し変わっていたらしい。
そう言われると、確かに心当たりはある。
海蛇でのヴァルハルトは、海軍の佐官や尉官に気安い。恐れられ、緊張感があるのも軍隊としては必要なことだが、ある程度の信頼関係も大事なのだと海軍の様子を見て実感していた。空軍にはもう飛竜がほとんどいない。なおのこと竜と人間が信頼を築くのは重要だろうと思い、探り探りだが最近佐官達には用事を作って自分から話しかけるようにしていた。言葉にすれば一言程度だが、それが周りから見たらリアンの雰囲気が柔らかくなったように見えたらしい。
「……そうか。私は皆から浮いていると思っていたが、怯えられているのではないなら、よかった」
しみじみと呟くと、リアンの顔を見ていたローレンは目を丸くして、それから微笑んだ。
「きっとそのうち、私がしている細々した仕事を皆が奪い合うようになりますよ。リアン様の外套を預かるとか、鞄持ちとか」
苦笑しながら話すローレンに、少し考えてから首を横に振った。
「誰に渡せばいいのかわからなくなるのは不便だから、それは引き続きローレンがやってくれ」
「……はい」
満足そうに目を細めたローレンを連れて、今度こそ会議室の扉から通路に出る。司令部に戻ろうとしたら、ちょうどその方向から尉官が一人走ってきた。
「グラディウス中将! こちらを」
そう言って差し出されたのは、司令部に置いてきた携帯用の通信機だった。
「ああ、わざわざご苦労」
「クルト中佐より、先ほど通信機が鳴っていたとのことで、急ぎお渡しするようにと」
「ありがとう。……緊急ではないだろうから問題ない。すぐに司令部に戻る」
通信機の画面を確認し、そこに表示された相手側の通信機の番号を見て断言する。
ヴァルハルトの番号だ。
おそらく全く緊急ではない。会議中に鳴るのが嫌であえて司令部に置いておいたが正解だった。
用もないのにかけてくるのをやめろと言っているのにあの竜は、と冷ややかな顔になったリアンを見て青ざめた尉官は姿勢良く敬礼すると、通路の端に避けて壁に背を向けた。
司令部に向かおうと足を進めたが、ふと途中で止まる。
「そういえば、昨日の戦技訓練を見た。少尉のドッグファイトは圧巻だった。君はいいパイロットになるだろう。期待している、ルース少尉」
敬礼したままの尉官にそう言うと、相手は目を大きく見開いた。
「私の名前を……?」
「? 空軍の尉官なのだから、当たり前だろう」
驚愕している少尉の顔を見てこちらが困惑すると、硬直していた少尉はぱっと頬を紅潮させた。
「光栄です! 微力ながら、グラディウス中将のお役に立てるよう今後も尽力いたします!」
「ああ、よろしく頼む」
「はっ」
もう一度びしっと敬礼した少尉に頷くと、通路を先に向かって歩を進めた。
後ろについて来ているローレンが小さく嘆息したので、何かあったのかとちらりと斜め後方を振り返り視線を向けると、目が合ったローレンは苦笑した。
「これでまた、少尉達は我先に出世しようとするでしょうから、空軍の士気が高まってなによりです」
「……よくわからないが、意欲のある者が増えるのはいいことだ」
先ほどの少尉は、リアンを見てかなり緊張していたが、怯えているようではなかった。
グラディウスの品位を守れと命じられていた以前の自分なら、あんな声かけはしなかっただろう。
士官達に声をかけるだけで士気が高まるなら、軍を統率する上ではグラディウスの栄光を誇るよりもよほど有用だ。それに遠巻きにされてすれ違うたびに目を逸らされていた頃よりも、先ほどの少尉の反応の方が居心地もいい。
そう思っていたら、手に持っていた通信機が鳴った。
画面を見ると、またヴァルハルトの番号だ。
「だからあいつは何故用もないのにかけてくるんだ」
歩きながら愚痴を呟き、仕方がないので受信のボタンを押す。
途端に不機嫌そうな番の声が喧しく響いたが、それに言い返そうとして途中で思い立った。足を止めて通信機を見下ろす。
「ヴァルハルト」
『あんた次はいつこっちに……って、え? 今なんて』
「お前に一つ言っておきたい。空軍には将来有望な若者が揃っている。ミサイルを撃ったところで無駄だ。全て迎撃する」
『は?』
「明日以降私を誘き寄せようとしても無駄だということだ」
『……ちょっと待て。なんであんた急に燕に立て篭もろうとしてんだ?!』
「お前が毎回毎回私の言うことを聞かずに好き放題やるからだろう。しばらく海には下りない」
『いや、ちょっ、ちょっと待てって! 何だそれ?!』
「反省しろ。来週の定例会議の日は海蛇に行ってやる」
『おいリアン!!』
ブチっと通信を切った。
間髪を容れず通信機の電源を落とす。
清々した。
奴には一度わからせねばならないと思っていた。これでしばらくは仕事に集中できる。悩みの種が一つ消えたな。
ふん、と鼻を鳴らして通信機をしまい、再度足を踏み出した。
「リアン様、大丈夫なのですか?」
「構わない。本当の緊急事態が生じれば海軍大将から通信が入る」
「いえ、そういうことではなく……」
「ローレン、今日の案件が片付いたら久しぶりに晩酌に付き合わないか」
振り返らずに告げると、何か言いかけていた副官はすぐに返事をした。
「はい、もちろんです」
「偶には非番の大佐達も呼ぶか。来たいという者がいたら呼んでおいてくれ」
「わかりました。皆さん喜んで来られると思います」
心なしか嬉しそうな声のローレンを連れて、艦艇の中を歩く。
来週王宮で顔を合わせたら、ブチ切れたヴァルハルトと殴り合いになるだろうが、自分も溜まったストレスの解消になるからちょうどいい。
言うことをきかない野蛮な竜に仕置きをするのも、番の役目だ。
そう思ったら久しぶりに爽快な気分になり、あの男の不機嫌そうな顔を想像して口角を上げた。
荒くれ竜が言うことを聞かない 遠間千早 @e-chihaya
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