僕が守るべきもの

黄黒真直

僕が守るべきもの

 この事件は、ジョンの弁護士人生において、間違いなく最大の事件となるだろう。

 留置所の狭い面会室で、ジョンは被疑者の到着を待っていた。パイプ椅子に腰かけ、アルミのテーブルの上で手を組む。古いエアコンが低い音を鳴らしながら、弱々しい冷気を垂れ流している。組んだ手の内側に汗がにじんだ。

 ハンカチで汗を拭いていると、鉄の扉が開き、二人の男が入ってきた。軍服を着た男と、白いTシャツを着た色黒の男だ。軍服の男は扉の前で待機し、Tシャツの男がジョンの正面に座った。男は不精ひげを生やし、疲れた表情だったが、ジョンに対して友好的な様子だった。

 ジョンは手を差し出した。

「初めまして。あなたの弁護を担当することになりました、国際弁護人のジョンです」

「どうも、ラジャールです」

 ラジャールはジョンの手を握ると、愛想笑いを浮かべた。

 ジョンは奇妙に感じた。事件の内容から考えると、被疑者がこんなに穏やかな人物であるとは思えない。

 なにしろ彼は、テロリストなのだ。

「早速ですが、あなたのことや事件のことについて確認させてください。現在あなたには、A国のハッサン外務大臣を殺した容疑がかかっています。その容疑内容を認めますか?」

 ラジャールは即答した。

「はい。ハッサンを殺したのは僕です」

 ジョンは驚いた。容疑を認めたことにではない。外務大臣の名を呼ぶとき、声に親しみがこもっていたことに驚いたのだ。

「これから弁護するにあたって、あなたのことはなるべく多く知っておきたい。あなたとハッサン大臣は、どういう関係なんですか?」


***


「そんなところで何してるの?」

 九歳のラジャールは、木の枝をナイフで削っている少年に声をかけた。自分より何歳か年上の少年だ。道端の石に腰かけ、楽しそうな顔でナイフを操っていた。

「あん? お前こそ、こんなところで何してんだ」

「道に迷っちゃって」

 舗装などされていない道に、土とレンガでできた家々が無秩序に並んでいる。それは、ほとんど迷路といってよかった。

「もしかして、お前も最近ここに来たのか?」

「うん、三日くらい前にイージから」

「へぇ。俺はデカタから来た。十日くらい前に」

 二人は、B国との戦火から逃れるため、家族とともに疎開してきたのだった。それがわかり、ラジャールは少年に親近感を抱いた。

「それで、それは何をしてるの?」

「武器を作ってんだ」

「武器? そのナイフじゃダメなの?」

「バカ。奴らは銃を持ってんだぞ。近付いただけで蜂の巣だ。だから……よし、こんなもんかな」

 少年はY字の枝に、パンツから取ったゴム紐を結び付けた。そして小石とゴム紐を一緒に引っ張ると、地面に向けて手を離した。

 パァン、と音がして、小石が地面にめり込んだ。

「わっ、すごい!」

「へっへ。これで、B国の兵士に風穴開けてやるんだ」

 ラジャールはキラキラした目で、少年を見た。

「僕はラジャール。君は?」

「ハッサンだ。よろしくな」

 これが二人の出会いであった。


 幸いなことに、疎開先での生活は長くなかった。B国の軍はデカタを壊滅させたあと、イージを襲い、すぐに去った。

「もうすぐ着くからね」

 ラジャールの母親が息子に言った。オンボロのジープには二人の他に、ハッサンと彼の母も乗っていた。

「すみません、私達まで……」

「いいんですよ。この子達も仲良くなったようだし、私も……ラジャールと二人きりだと、正直心細くて」

 四人は一度、デカタへ向かった。しかしハッサンの家どころか、町そのものが、見る影もなく崩れていた。消沈するハッサンと母を見て、ラジャールは提案した。

「僕たちの家に住めばいいよ。四人で暮らそうよ。ね、いいでしょ、ママ」

 そういうわけで、彼らは四人でイージに向かっていた。

「見えてきたよ」

 ラジャールの母が、運転しながら前方を指差した。レンガ造りの家々が見える。イージの町だ。

 ジープが町に入る。家々は壊されているが、デカタほどではない。まだ十分、人が住める状態だ。デカタよりも金品の類が少ないため、あまり荒らされなかったようだ。

 なかでもラジャールの家は、ほとんど原型をとどめていた。

「よかった、修理の必要もなさそう」

 母親は喜んだ。ハッサンの母と並んで、無傷の木のドアに手を伸ばす。

「いらっしゃい、わが家へ」

 そう言ってドアを開けたとき。ラジャールは、たしかに聞いた。「ピン」という、甲高い短い音を。

 瞬間、ラジャールは、ものすごく嫌な予感がした。

「マ……!」

 しかし、制止の声は届かなかった。

 木のドアが吹き飛んだ。同時に、二人の母親の体も吹き飛ばされ、ジープに叩きつけられる。家の中から、巨大な火柱が上がった。

「ママ!」

 二人の体中に、ドアの破片が突き刺さっていた。胸にも、顔にも。

「ハッサン! 手伝って! 助けなきゃ!」

「無理だろ」ハッサンは冷静だった。「どう見ても即死だ」

 燃え盛る炎の熱が、ラジャールの背中をじりじり焦がす。

「なんで、こんな……今のは、なんなの?」

「B国の爆弾だろ。向こうの兵士が仕掛けたんだ。いたずらで。……よくあることだ」

「……」

 ハッサンは、燃える家を睨みつけていた。


 その数年後、B国との戦争は唐突に終わった。停戦協定が結ばれたと、テレビが告げた。

「これで、終わったの? もう誰も殺されない?」

 ラジャールの質問に、ハッサンは苦虫を噛み潰したような顔で答えた。

「そんなわけねえよ。今度は冷戦が始まっただけだ。何かきっかけがあれば、また殺し合いが始まる」

 ハッサンは拳を握った。

「ラジャール。俺、政治家になるよ。それでこの国を引っ張って、もう誰も殺させない」

 決意のこもった目を見て、ラジャールは言った。

「ハッサンならできるよ」ラジャールは目を輝かせていた。「頭良いもん。きっとすぐに立派な大臣になれる」

「ありがとう。お前はどうする?」

「僕は……たぶん、大きなことはできない。でも、平和のために、できることならなんでもやりたい」

「そりゃよかった。俺達は一心同体だ」

 ハッサンが握った拳を突き出す。ラジャールは、同じく拳を突き返した。


 二人の言葉は実現した。ハッサンはA国の外務大臣となり、積極的平和外交に全力を注いだ。B国との間にはいまだ緊張状態が続くが、諸外国との関係は良好で、A国の地位を確かなものにしていた。その功労者として、ハッサンはメディアにもよく出演していた。

 ラジャールはNPO法人を立ち上げ、国境付近の地雷撤去作業に従事していた。B国が設置したもので、A国の軍の進撃を阻止する役割があった。実際、戦時中はここで多くのA国兵が負傷したし、また、ここでの戦闘も繰り返し発生した。

 ほとんど砂漠のような場所だった。土と砂が混じった大地が広がり、まばらに草や、背の低い木が生えている。

 長いハサミで、草木を慎重に刈り取る。そして地面の上に金属片がないことを確認する――かなりの確率で、銃弾や爆弾の欠片などが見つかる。場合によっては、小型の爆弾そのものが見つかる。それらが見つかったときは専用の旗を立て、あとで装甲車ですべて回収する。

 地面の上に何もなければ、金属探知機を使う。そこで反応があればまた旗を立て、反応がなければ、ようやくその箇所の安全を保障できる。これを30cm四方ごとに繰り返した。

 炎天下での作業を終え、ラジャールはテントの中で一息ついた。同僚たちも汗を拭き、雑談をしたり水を飲んだりしている。

 ラジャールも汗を拭こうと、私物のバッグを開けた。ついでに中古のスマホを見ると、メールが届いていた。ハッサンからだった。

 二人は友人付き合いを続けていた。いや、それ以上の付き合いだった。ハッサンはラジャールに公的な支援を行っていたし、ラジャールもハッサンの要請に可能な限り応えていた。

 届いたメールは、業務上のものだった。

『爆弾はどのくらい回収できた?』

「回収には時間がかかるからね。生きた爆弾は、今週はまだ十五個だ」

『人を派遣をしようか?』

「多ければ早く進むというものでもないよ」

 ハッサンは常々、B国の軍事行動はいつか糾弾されるはずだと言っていた。そのときのための証拠として、そして歴史史料として、B国の地雷や爆弾を可能な限り保存したいと頼んだ。

 ラジャールは二つ返事で了承した。生きた爆弾の保管は難しいが、不可能ではない。そのための設備もハッサンが用意してくれた。

「今日もこれから、装甲車で爆弾を回収しに行く。順調にいけば三個は集まる。地雷もいくつか見つかるだろう」

『ありがとう。くれぐれも気を付けてくれ』

 ラジャールは休憩を終え、同僚たちと再び出発した。今度は装甲車とともに、見つかったものを回収していく。地面に埋まっているものは慎重に掘り起こす。ほとんどは銃弾で、生きた地雷である確率は低いが、ゼロではない。油断すると、命を落とす。

 ラジャールは、疎開先での生活を思い出していた。あのときは戦争中だったが、今よりも安全だったかもしれない。自分たちはずっと守られていたのだ。だから、今度は自分たちが、危険を冒してでも守らなきゃいけない。


 ハッサンから呼び出され、ラジャールは都市に出向いていた。この数年で、A国も急速に発展した。都市部にはコンクリートのビルが立ち並び、地面はアスファルトで舗装されている。この立派な街の治安維持に、自分の業務が少しでも貢献していることを、誇りに感じていた。

 ラジャールは洋風レストランの個室に通された。ハッサンはSPとともに既にいた。ラジャールに気付くと手を挙げ、それからSPを退出させた。

「いいの?」

「お前のことは信用してる」

 食事を終えると、ハッサンが切り出した。

「B国との緊張状態が高まっている。今はまだ表面化していないが、遅くとも十年以内にまた戦争が起こる」

「え……で、でも、ハッサンなら止められるんだよね?」

「今までずっと止めてたんだ。だが、限界が近い」

「そんな……」

 あのハッサンが苦し気な表情をしている。メディアには決して見せない顔だ。

「爆弾が欲しい。保管庫には、いま五百個以上の爆弾があるだろ。それを全部、渡して欲しい」

「何に使うの?」

「B国を攻める。地雷はB国に埋めて、爆弾はB国の基地に撃ち込む」

「そんなことしたら戦争になる!」

「するんだよ」

 ハッサンは本気だった。

「今はまだ、B国の準備が整っていない。いま叩けば、A国が圧勝できる。我が国の被害を最小限に留められるんだ」

「で、でも」

「忘れたのか? あいつらは、民間人である俺らの母親を、爆弾で吹き飛ばした。だから今度はこっちが、奴ら自身の爆弾を叩きこんでやるんだ」

 それは私怨だった。あの冷静なハッサンが……。いや、冷静だからこそ、何年もかけて準備を続けられたのか。

「少し考えさせて」

 ラジャールはそう答えるのが精いっぱいだった。


 ラジャールはA国とB国の状況を調べた。たしかに、ハッサンの言うことは正しいように思えた。

 戦争は、再び始まる。ラジャールとしても、それは止めたい。だがハッサンが無理と言うなら、それは無理なのだろう。ハッサンは次善の策として、奇襲を選んだ。

 だがその場合、ハッサンはどうなる。冷戦状態とはいえ、奇襲は国際法違反だ。何年もかけて培ってきた栄光は崩れ去り、ハッサンは戦争犯罪者として歴史に名を残すことになる。

 それだけは許されない。ハッサンはこの国の立役者として、立派な名を残せるはずなのだ。だったら、いっそ……。


***


「それで僕はハッサンを現場に呼び出した。僕らがどれだけ苦労して爆弾を撤去しているか視察させて、心変わりをさせたい……という建前で」

 ジョン弁護士は、ラジャールの言葉の先を続けた。

「しかし実際には、地面に埋めておいた地雷で、ハッサン外務大臣を爆殺した」

「そうです」

 ジョンは眉間をつまんだ。今の話は本当か? あの平和主義で有名なハッサン外務大臣が、戦争を目論んでいた? 馬鹿な……。

「その話を裏付ける証拠は?」

「ありません。ハッサンはそんなヘマはしない」

「それじゃラジャールさんは、ただのテロリストになってしまう。しかもハッサン外務大臣が死んだことで、B国とのバランスが大きく崩れた。数年先の予想だった戦争が、明日にも起こるかもしれない状況になってしまった。あなただって、それは望んでなかったんでしょう?」

「そうです、望んでいなかった。でもそれ以上に、ハッサンが犯罪者になるのを止めたかった」

 ラジャールは本気だった。

「僕は、彼を守りたかったんです」

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