恋なんてするものか。

 私が小学生一年のとき、Fくんが引っ越した。理由は治療のため。

 そんなF君に僕は言った。

「また一緒に遊ぼう」と。

「じゃあまたね」と。

 わざわざ僕の家にまで来て。

 辛かっただろうに。痛かっただろうに。

 その後、一話に書いたように色々とあった。


 ここからは大学時代について話そう。

 一話で述べたように非常にセンシティブな話題になる。心するように。


以前、大学頃にA子さんと知り合い、一年生のときにA子さんはB君と付き合い始めました。

A子さんがB君から告白されたとき、C君に相談をし「好きな人がいなければ付き合えば?」と提案されたそうです。

ということは私はフラれたということなので、しばらく傷心の時期を過ごしました。


 大学二年の時に僕をいじめてきたG君が自殺した。いじめたことを後悔したらしい。

 そのことでH君が糾弾してきたが、それはいい。

 僕が生まれてきたせいで死んだことに代わりはない。

 僕が小学五年の時に残したタイムカプセル。その中の手紙で「生きていますか?」と書いたのが原因と想像がつく。

 加えて、僕は会話を恐れ無口になった。

 そんな僕が普通にしゃべったのも手伝ったのだろう。

 だが僕は『自殺するくらいなら始めからいじめるな』と言いたい。

 そして今いじめている人がいるなら、やめて欲しい。


 三年から四年の間にD子さんに好かれているというのを知り、徐々に仲良くなっていたのですが、とある時、A子さんからアプローチされたのです。でもA子さんには彼氏のB君がいます。

 私はそのアプローチを断ったのです。

 四年生(四回生)になったとき、D子さんが私にアプローチしてきたのですが、そのあとすぐにD子さんが「この前、サークルの先輩(男性)をアパートに呼んで遊んだ」と言い、私には気がないと知りました。おうちデートです。

 ですが、そのあとも何度かアピールしてくるD子さん。

 私は精神的に疲弊していたこともあり、寄り添いたいと、D子さんと少しだけデートしました。結果的には告白したけど「ごめん」とフラれました。

 そのあと、A子さんが私に近づき、B君のことは好きじゃない。となりました。さらに言えば、A子さんはB君と付き合っていた頃から浮気をしていました。

 怪訝に思った私はB君と別れたら付き合うことも考えていいと答えました。

 それでもB君と付き合い続けるA子さん。私にアピールも続けるA子さん。

 とある日、私はじれったいA子さんに告白をし、B君と別れる経緯になったのです。

 が、A子さんに告白した数分後、罵倒を浴びせられました。

「夕日くんは人殺し」

 そう言われ疲弊した私は嘔吐し、それでもA子さんは、

「人を殺しているよ」

「二人も殺しているでしょ?」

 と。一人はいじめてきた奴が自殺をしたことだろう。

 だが、A子さんは『Fくんも自殺した』と言ったのだ。

 僕はそのことにショックを受けた。

 Fくんのことを殺したのだ、A子さんが。

 僕の中から殺したのだ。

 その後に知ったが、Fくんは死んでいない。嘘をついたのだ。

「人格破壊者」

 僕がガンダムSEEDを面白いと言っただけで、これだ。

「B君との性〇為は気持ちいい」

 そこで大人しくなった私をみて、

「ようやく普段の夕日くんらしくなったね」

 そんなことを言われて私は記憶障害になりました。

 A子さんに告白したことも、A子さんにアピールされたことも全て忘れていました。

 ショックだったのです。


 そのあと、記憶障害もありE君とトラブルがあり激情し、友達にも攻撃していました。 トラブルとはE君のパソコンをシャットダウンしたのですが、そのときE君のデータが三十分ぶん消してしまいました。そのことは僕に非があるのです。

 友達を傷つけるのが怖くなり、私は友達と離れることにしました。

 そうするとE君は「友達まで見捨てるんだね」と言いました。

 でE君は「俺は友達のために怒っているんだ」と言っていました。

 その姿は後輩が近づけないほど、怖く、辛辣だったと記憶しています。

 さらに数日後E君は「夕日がはっきりさせないのが悪い」と言いました。

 E君は高校のときいじめにあっていた、と言ったのに、これではE君が僕をいじめていたことになります。

 会うたびに嫌味や攻撃的な言葉を言ってきたのです。


 卒業論文の発表のあと、僕はA子さん、D子さん、E君と会ったのです。

「まさか覚えていないの?」

「なにあいつ」

 と言われ僕を見下した目でみてきたのです。


 そのあと、卒業頃にこの話を聞いていた先輩から「キモい」「頭おかしい」と言われました。


 そんなに僕は悪いのですか?

 どうしていじめるのですか?

 僕には理解できませんでした。


▽▼▽


 卒業後、二年経ってA子さんが電話してきました。

 そこでも罵倒を浴びせられました。

 僕が失敗したエピソードをA子さんは揶揄してきたのです。

 例えば、状況にそぐわない変なことを言ったとか。

 あとはまた「人殺し」とか。

 その他にも

「離婚したの信じられない。なんで引っ越していないのに離婚できるの?」

「男の人って傷つくの?」

 と理解不能なことを言ってきました。

「記憶を失ったのはA子さんのせいか」

 と僕が言い続けて、

「責任とれよ」

「うん」

 と嬉しそうに言うA子さん。

「じゃあ、百万な」

 と言うとA子さんは「え」と言い困惑していました。

「責任とれって結婚しようって意味じゃないからな?」

 マンガの見過ぎです。

 頭おかしいです。

 言わなかったけど、そんな気がした。

 そのあと、

「私と会いたいでしょう?」

「人殺しって言われて会いたいと思う?」

 という会話をし、

 A子さんは

「思わない。あっ」

 とそこで初めて自分の言っている意味に気がついたようです。

「もういい」

 それはこっちのセリフ。

「じゃあまたね」

 というとA子さんは

「会わなくちゃいけなくなるでしょう?」

「じゃあ――」

「だから!」

 A子さんは怒りました。

「じゃあ、さようなら、って言おうと思ったのに」

「……さようなら」

 こうして電話を切ったあと、

 一日後には自殺をしてしまいました。

 僕はどうして自殺を止められなかったのか悔やんでいます。


▽▼▽


 その後、数年後にこの記憶を思い出し、僕は病気になりました。

 今は妄想型統合失調症です。


 このエッセイと同じことを障害者支援の方や精神科の先生に打ち明けたところ、よくぐれなかった。よく生きてくれていた。

 と言われました。


 僕はこの世の理不尽と戦っています。


 理不尽と戦っているのは僕だけじゃない。

 みんな戦ってください。


 自殺はしないでください。





                ~とりあえず、完~

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人生ハードモード! 僕の辛いお話エッセイ。でも僕は生きている。 夕日ゆうや @PT03wing

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画