第3話

 目が覚めてすぐ、室内の気温がガクッと下がっていることに気づき、ふかふかの毛布をかけて眠っていなかったら凍え死んでいたかもなんて、そんなことを思って少し笑ってしまった。


 リビングに続くドアを開ける。外からの見た目と中には入ってからの広さが全然違くて、まだ実感がわかない。夢なのではないかと思ってしまう。


 もしかしなら魔法そのものが夢なのではないか、そんな事つまらないことを考えてそんなわけ無いかと現実を見直した。


 私は何かを握るように手を前に突き出した。


「"来て"」


 瞬間、杖がカタカタと音を立ててルミの手にスッポリと収まった。


 昨日は暖かかったこの家の気温が下がっている理由を考える。


 この家が原形をとどめているということは、ちゃんとした形があって世に存在しているものは本人の意識が夢に落ちても壊れたりはしないんだと思う。


 では、気温や湿度などの目に見えないものはどうなるのか。

 本人の意志が夢に落ちた時点でその効果が消えるのではないだろうか。


 まあ全然見当外れなのかもしれないけれど。


「"暖かくなれ"」


 杖を握った左手に魔力を込めて、昨日の家に入った瞬間の温かさを思い出しながらそう呟いた。いや、命令したと言ったほうが正しいのかもしれない。


 微かな脱力感とともに温度が変わっていくのを肌で感じた。


 どうやら、魔法は成功したらしい。


「ふう……」


 近くにある椅子に座って一息つく。


 暖かさに安心しているとドアの向こうからバタバタとした音が聞こえてきた。音から察するにベットから落ちたらしいが、すぐに立ち上がってこちらに近づいているのがわかった。


「ルミさん!」


 どん、と音が鳴った。音の方を向くとグレイスが興奮気味に息を荒くしている。


「な、なんですか?」

「昨日教えた魔法、使えたのね! すごいわ!」


 会ったときから胡散臭い顔だなと思ってはいるが、見たところ本当に嬉しそうにしているからひとまず受け取っておくことにする。


 私はするりと手を挙げた。


「聞きたいことがあるんですけど」

「何かしら?」

「昨日家に入った時は暖かかったのに、朝起きてたら寒かったのってなんでなのかなって思ったんです」

「それで? ルミさんはなんでだと思う?」


 言いながらグレイスは椅子に座って足を組んだ。


「気温みたいな目に見えないものは魔法使用者の意識から外れた時点で効果がなくなるのかなって思いました」


「なるほどね」と灰色の師匠は顎に手を当て、何かを考えるようにしながら呟いた。


「いい考えをしていると思うわ」


 でもね、と続ける。


「仮にそうだとするなら今すでに魔法の効果は消失してるんじゃないかしら」


 ルミは頭に疑問符を浮かべる。


「だってルミさん、さっき使った魔法のことを常時考えているの?」

「……考えてないです」

「でしょう? つまりどういうことだと思う?」


 目に見えないものは意識から外れたら効果が消えると言う過程は間違っていた。


 考えてみれば当たり前だなと思う。もし意識から外れたらだめだと言うならもう既に魔法は消失しているし、消えるたびに魔法を発動し直すのは魔力の消費が大きすぎる。


 だとすれば、何が条件で魔法は消えるのだろう。


「ルミさんは炎が強くなる条件を知っている?」


 唐突に言い出すグレイスにルミは困惑を隠せない。


「し、知らないです」

「炎に酸素をたくさんかけるのよ」

「……サンソ?」


 サンソとはなんだろう。かけるということは水のようなもの? だとすれば火は消えそうなものだけど。


「私たちは普段呼吸をしているでしょ? その空気の中に含まれているのが酸素よ」

「そうなんですか」


 話が見えない。だからなんだというのか全然わからなかった。そもそも質問を投げかけてきたのはグレイスなのになぜ別の話に入れ替わっているのか。


「つまりね、魔法も継続するには常時周辺の魔力を使う必要があるのよ」


 なるほど、だからグレイスの魔法はいつの間にか消えていたと。


「まあ中等部で習う内容なんだけどね。ルミさんは知らなくて当然だわ」


 ……本当に初耳だ。学校って偉大だな。


 親は幼い頃に死んだ。だから学校にも行けていないし、当たり前を教えてくれる誰かもいなかった。本当にたまたま魔法を使う才能があったから生きているだけなのだ。


「これからは師匠がたくさん教えてくださいね」


 私は期待を込めて言った。するとグレイスは優しく微笑みながら私の目を真っ直ぐと見る。


「もちろん、当たり前じゃない。だって私はあなたの師匠なのよ? 教えることが仕事だわ」


 この人が師匠でよかったなと思う。こんなに優しい師匠を持てて自分はとても幸せだと、心の底からそう思うのだ。

 この先何度立ち止まっても、この師匠がいればきっと乗り越えていける。そう思わせる何かがある。


 これはきっと運命の出会いなのだ。


「朝ご飯、食べましょうか」


 グレイスは立ち上がって外に向かって歩き出した。そして私もそれに同調するように立ち上がって後ろをついて歩く。


 その心では、朝ご飯はなんだろうなと期待に胸を膨らませていた。





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世界を旅する魔法使いの話 白那。 @shirona_

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