その力は糧となる3

夢を見ていた。


走馬灯のように、今日までの人生が映像となって雪崩れてくる。

全てが、何もできなかった自分と、努力しなかった自分を映し出していた。

俺は、結局一人では何も出来ないのだろうか。


フィルは隠れていろと言っていた。今の俺では足を引っ張るだけだと。

全くその通りだった。少女を助けるために、飛び出したのはいいものの、タイミングが悪ければ俺は既に死んでいた。


現実世界に戻されなければ。


あそこで、フィルの声が飛んでこなければ。


枸琅の一撃は確実に俺に届いていただろう。

それを思うと、自分の弱さを痛感する。いくらバイトで忙しいとはいえ、今日まで、毎日が死ぬほど切羽詰まっていたわけではない。自己研鑽として、体力づくりをする機会はいくらでもあったし、妄想力に関係なく鍛えようと思ったことは一度や二度じゃない。


けれどいつも、色々理由を付けて逃げてきた。

トレーニングだけじゃない。


勉強からも、伊織からも。逃げ続けてきたんだ。

その結果がこの有様だ。


だけど、俺の現状に関係なく、枸琅は間もなく攻めてくる。

俺と伊織の命を奪いに攻めてくる。


今更、やってこなかったことを悔やんでも仕方がない。

持ち合わせている、自分の能力と、伊織を守りたいという気持ち。

この二つで戦っていかなくては。


決意と共に、意識が覚醒する。


目覚めて、最初に目に入ったのは伊織の顔だった。今度は、黒髪で、黒い瞳。俺の知っている、伊織だった。俺が愛していて、彼女である、伊織だった。

どうやら、俺は伊織のベッドで寝かされていたらしい。


「一志、大丈夫?家の前で倒れてたんだよ。格好も変だったし。季節外れのクリスマスのバイトでも始めたの?」


和やかに話しかけてくる。

聞きなじんだ声。それが耳に心地よい。


「いや、まあ。そんな感じかな。倒れている近くに、何か落ちてなかった?」

「ううん。何もなかったよ。一志だけがその恰好で倒れてたの。お父さんもお母さんも一緒になって心配してたんだから。何か落とし物でもしたの?」


問いかけてくる顔は、まるで聖母のようだった。


「そうだったのか。ならいいんだ。心配かけてごめん。ちょっとバイトしすぎたみたいだ」


武器類は、一緒に戻ってこなかったのか。

いや、俺はそもそも何で伊織の家の前で倒れていたんだ?

あの世界に行く前は、自宅にいたはずだ。


それが、戻ってくる時に座標がずれて、道端で倒れることになってしまったのか。

フィルがここにくる原理を話していたのを思い出す。真剣に聞いてはいなかったが、聞いておくべきだっ

た。いや、原理はどうでもいいか。


倒れていた分、枸琅が迫ってきているはずだ。

ここにいては、危ない。逃げる必要がある。でも、何処へ?どうやって?


枸琅は俺たちの居場所は特定してると言っていた。

一秒でも早く、家からは出る必要があるだろう。


なぜ俺は意識を保っていられなかったんだ。屋上で倒れた時よりは、ダメージは少なかった。それなのに。改めて、自分の体の貧弱さが嫌になる。気絶しなければ、もっと時間をかけてアイデアを出せたのに。守らなくちゃ、フィルは今ここにいない。俺が、俺が頑張らなくちゃ。


「一志。何か悩みがあるなら、相談してよ。私、これでも一志の彼女だよ」


不意に、手を握られた。


焦る思考を止めてくれたのは伊織だった。

俺は、起き上がって、伊織と顔を合わせる。

上体を起こそうとするとき、枸琅に蹴られた腹が随分と痛んだ。


「そんなに思いつめた顔しないの。辛い時こそ、笑わなくちゃ」


伊織は俺の口端をつまんで、ニッと無理やり笑顔を作る。

ああ、そうだ。


俺は、一人じゃない。


困ったなら、苦しいなら、彼女に相談すればいい。

一人で考えても分からないなら、二人で考えればいい。


風呂場で、伊織には力のことや枸琅のことは話してある。伊織なら、受け入れてくれるはずだ。

どうするかは、彼女に話してから検討しても遅くはないはずだ。


話を、することにした。


「いやはや、凄い状況なんだね」


俺たちは何故か命を狙われていること、逃げなくてはいけないこと。

フィルが、どうにか解決するまでの時間稼ぎをする必要があること。


落ち着いて、説明していく。


伊織は、うんうんと頷いて、感心するようにそう呟いた。


「私そっくりの人がいたなんて、信じられないこともあったけど…。一志が言うなら本当なんだろうね。不思議なこともあるんだね」

「驚かないの?前も言ったと思うけど、かなり可笑しな話をしていると自覚はあるんだ」

「私が信じているのは、話の内容というよりは、一志自身だよ」


俺の手を握って、目を見つめてくる。


「彼氏が困っているっていうなら、助けたいじゃん」


涙が出そうになるのを、必死にこらえる。

それから俺たちは、今後どうするかを話し合った。


外に出て、方向を確認する。

時刻は夕刻に差し掛かろうとしていた。


落ちていく日の光が、オレンジ色に建物を染め上げていく。

結論として、俺たちはひとまず山に向かうことにした。


この町は、東側に駅があり、西に行くほど居住区が広がる構造になっている。

そして更に西に向かうと県境になっている山がそびえていた。


伊織のご両親にも迷惑はかけたくないし、かといって見知らぬ住民を巻き込むのも忍びない。

人が住んでいない上に、街灯も少ないから出入りも少ない山。

山には、町を一望できるスポットがある。


通常の整備された登山道や道路では辿り着くのは難しい場所。

幼少期に社や伊織と、偶然発見した思い出の地。

枸琅も、簡単には見つけられないだろう。一方で、俺と同じ思考回路を持つフィルなら、確実に行きついてくれる。そういう選択をしたつもりだ。まあ、アイデアを出してくれたのは、伊織なのだが。


他人を巻き込むことがなく、俺たちだけが知る場所。

そこに逃げ込むのが、二重の意味でベストだと思った。


そうと決めたら、とにかく走る。伊織の手を引いて、一秒でも早く。

足でアスファルトを踏みつけるたびに、腹が痛む。


もしかしなくても、骨が折れている。内臓に刺さっていないというだけで、一般人の俺には、ほとんど致命傷に近かった。


あのとき、俺は枸琅から二発しか食らっていない。


その二発が、それぞれ右と左の骨を確実に折っていたんだ。

その威力が、俺の頭を捉えていたという事実。それだけで、恐怖が蘇る。


せめて、血が出なかったことに感謝だ。いくらサンタの赤い服とはいえ、流血まではごまかせない。

発見されたとき、救急搬送でもされていたら、伊織を守ることはできなかった。


彼女と繋いでいない、反対の手で腹を抑えて痛みを軽減させようとする。

あまり効果はなかったが、やらないよりはマシだ。

痛みと恐怖に耐えて、俺が走っていられるのは、繋いだ右手のおかげだ。


伊織がいなければ、俺はとっくに倒れていた。

そんな伊織も、付いて来ようと必死になって走っている。


俺が妄想力なんて力を体得しなければ、こんな目には合わなかった。それを思うと自責の念で押しつぶされそうになる。


いくら、伊織が大丈夫と言っても、自分を責めるのは辞められない。

だから、せめてフィルが来るまでの間は、俺がどうにかしなければ。


必死の思いで、距離を稼ぐ。

今にでも、枸琅が現れて、俺たちを殺しに来ても不思議ではない。


数十分走り続けて、ようやく山のふもとに辿り着く。夕日は更に傾き、伊織の家を出た時よりも、オレンジは深くなっていた。


二人とも、汗で服がぐっしょりしている。

一度手を放して、立ち止まる。小休憩を挟んで、すぐに登り始めなければ。

そして後ひと踏ん張りしたら、本格的に休もう。


そうしなければ俺も彼女も倒れてしまう。


「伊織、ここまで来たらあと少しだ。頑張ろう」

「うん、そうだね」


声を掛け合って、励まし合う。

その二つの背中に、


「移動されると計画に支障が出るから困るのだが、今回はこっちとしては助かる限りだ」


最も聞きたくない、声がかけられた。

振り返るまでもない。枸琅、その人だった。

突如として発生した威圧感に、身が引き締まる。


「伊織!」


俺は、伊織に向かって叫ぶ。

彼女は大きく頷くと、脇目もふらずに駆け出した。

そうだ。これでいい。家を出る直前、俺たちは一つの約束を交わしていた。


内容は、枸琅が現れたら、俺を置いて先に逃げること。俺一人なら、戦闘に集中できるし、殺されるのも俺一人で済む。当然、軍服が来ていたら、一人で行かせる方が危険だ。だが、軍服が来るときは、フィルが敗北したことを意味する。


フィルが負けたのであれば、最早勝機はゼロだ。

だったら、勝っていること前提で物事を進めなくては。


その提案をしたとき、伊織は一緒に逃げると、反対していた。けれど、必死の説得のおかげで、納得してもらえた。危なくなったら、絶対に逃げるという条件で。


俺は危なくなっても、敵前逃亡はしない。


約束は破ることにはなるが、絶対に枸琅を倒すか止めるかしてみせる。

それが、フィルに伊織を任された俺の責務だ。


伊織の背中が見えなくなったことを確認する。

ここで、ようやく振り返って、敵と対峙する。


「伊織を、殺させはしない…!」


俺の、戦いが始まった。

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