その力は糧となる2

「フィル、妄想力の鍛錬をしてくれないか?」


夜、俺はフィルにそう提案する。

昼間、枸琅についての話を聞いたとき、思いついことだった。


「昼、フィルが言ってくれたことなんだけど、俺も強くなる必要があると思うんだ。正直、フィルだっていつ消えてしまうか分からないだろ。そうなったとき、枸琅から伊織を、俺自身を、守れるのは俺だけだ」


俺とフィルは、親父のような恰好でアイスを食べていた。

Tシャツ一枚に、中途半端に丈の短いズボン。フィルは見てくれは美少女であるから、妙に艶っぽいが、中身のおじさん感が漏れ出ていた。それを指摘すると、失礼な、俺はまだ中年と呼ばれるほど老けていないと反論していたが。


だらしない服装で、真面目な話をする。


「そんなに焦らなくても、大丈夫だとは思うぞ」


垂れそうになったアイスを舐めながら、フィルが言う。


「そう断言できるだけの証拠もないだろう」

「確かに、そうかもな。だけど、俺は奴らの拠点を見つけ出した。数日以内に潰しに行くつもりだ。そして、それが可能なくらいに、俺は強い。消える前には全て片が付いているはずだ」


食べきったアイスの棒を口に咥える。


「でも、アイツらは組織なんだろ?枸琅だけ倒しても意味がないんじゃ?」

「だから、アジトごと潰すと言ったんだ。それも同時に済ませるつもりだ。」

「だから焦る必要もないってことか…凄いな、その自信。俺らしくないくらいだ」

「伊織と付き合えなかった俺は、鍛える時間が山ほどあった。妄想力は想像力と、体力を鍛えることが強くなる秘訣。つまり、筋トレでもしてランニングを続けることが、今のお前が強くなるのには、一番早い道だ」

「一朝一夕じゃ、どうにもならないってことか」


フィルは、アイスを食べきったらしい。アイスの棒をこちらに向けてくる。


「地道な努力と、継続が結局は大切なんだ」


やはり、最後にたどり着くのはそういう部分なんだ。勉強だろうと、スポーツだろうと、妄想力だって、人の技である以上根は同じということ。


「それに、一志が目指すべきは伊織と共に幸せになることだ。方法は、別に妄想力に頼らずとも、どうにでもなる。今出来ることを、目の前のことを全力でやっていればいんだよ」

「親みたいな台詞だな」

「よせよ、まだそんな年でもない」

「でも、力の上限を知っておくのも面白いかもしれないな」

「力の上限…?」

「まあ、説明より、体験する方がいいな。見てろ」


フィルは、目を瞑って集中し始める。

座って胡坐をかいて、仏修行でもするような姿勢で固まった。


薄緑のオーラが彼の体を覆い始め、服がいつものサンタクロースに変化する。包み込むオーラの光は巨大に膨れ上がり、部屋全体を包み込んでいく。


俺の服も、いつの間にか男物のサンタのそれに変わっていく。

丁寧に帽子まで被されて、髭もついてきた。


髭だけはくすぐったかったので、すぐとってしまったが。

次に、オーラが霧に置き換わっていく。俺が最初に妄想力を発動させた時と同じ霧。

それが部屋中に立ち込めていく。


絵面だけ見れば、火事でも発生したかのようだ。

霧に視界を奪われ、フィルも家具も何も目に映らなくなっていく。

ホワイトアウト、正にそう表現するのに相応しい光景。


そして、真っ白に染まった部屋の中が、徐々に再び形を取り戻していく。

と、思ったら。


「…なんだ?」


テーブルがあった位置に、別の輪郭が浮かんでいる。

ファンタジー小説に出てくるような、不自然な色をした巨木。


同じ調子で、ソファも椅子も、全てが木々になっている。霧が晴れて、やがて全てが明らかになっていく。


地面は、草原に、天井は、空に。

純白の太陽が、三つ鎮座している。一瞬で何もかもが異世界の草原のような光景に。


フィルだけが、相変わらず楽し気にしている。

しかも、一本の木の、異様に長く伸びた枝の上で、仁王立ち状態。

遅れて、俺は気付く。置き換わってるんじゃない。


全く別の場所に移動してしまっているんだ。

森と草原の間のような空間だが、すぐそこに木々の切れ目があった。

少し気になって、歩いてみる。


「気を付けろよ、その先は何もないんだからな」


向かって、足を取られそうになった。そう、そこは崖のように切り立っている場所。

ギリギリで踏みとどまった、足の先で土がパラパラと空に落ちていく。


文字通り、空に。


俺がいるのは、空に浮かぶ島の一つだった。

空の向こうに、いくつも島が飛んでいて、雲のように流れていく。

下には、どこまでも広がる大地があり、町や山がジオラマのように乗っかっている。


そう感じてしまうのは、ここがそれ程高い位置にあるということだ。

地上や、雲より高い、という高度をこの島は維持しているらしい。

高所恐怖症という訳ではないが、高さを本能的に恐怖してしまった。腰が抜けて、その場に座り込んでしまう。


「だから言ったのに。まあ、すぐ慣れるさ」


フィルは、俺の隣に腰を下ろした。足を放り出して、足をぶらぶらさせている。

見てるこっちが不安になる。更に、手には何処から出したのやら、瑠璃色に輝く、葉付の果物。

二つあって、一つを俺に投げてくる。


フィルが旨そうに齧っているので、真似をすることにした。

上手い。味はナシに近いが、食感は味わったことがない初めてのものだ。

だけど、こんな果物、俺は見たことがない。


「ここは、異世界だと俺は思う」

「思うってそんな、適当な」

「実際分からないんだから、仕方がないだろ。俺は現実逃避に、何処か一人になれる場所が欲しいと願ったことがある。」

「それで、妄想力が答えた結果、ここに来たと」

「正解。けど実際、ドラゴンが飛んでたりするわけもないし、住民がいるかも分からない」

「でも下には、町があるじゃないか。人はいるんじゃないか?」

「降りてみようと、挑戦したが、毎回失敗してな。下に着く前に元の世界に戻されるか、意識がなくなって、この島に戻されるか。そんなことばかりだ」


ここも、住民はいなかったしな、とフィルは断言する。


「だが、ここに意図的に来るのはかなり難しい」

「今のフィルでも?」

「今は自由に行き来できる。けど今のお前じゃ無理だな。少なくとも三年は修行しないとだめだ」

「ちょっとムカつくけど、この景色見るとどうでも良くなるな」

「ああ、そうだな」


穏やかなそよ風が、俺たちを包む。

フィルが、なぜ妄想力でここに来れるのかの原理を考察し始めた。ここは妄想で作り出した世界なのか、

実在する異世界に転移しただけなのか、はたまた全く別のロジックか。

一生、説明と考察を永遠と喋っていた。


興味はあったが、内容が複雑で理解に及ばなかった。

そのため、途中から半ば聞き流して、景色に見入っていた。


と、その中で、


「あれ、人が飛んでいるんじゃないか?」


一点、 虫のような小さな物体が遠くで飛行しているのが視界に入る。

あまりにも距離があり、空をしっかり観察していなければ、見逃していただろう。

目を凝らして、捉える。


「そうだな、初めて見たかも」

「ん?近づいてきてないか?」


点は、やがて人の形がはっきり視認できるくらいの大きさになる。つまり、こっちに寄ってきているということだ。しかし、俺たちを目指して飛んできているというよりは、単に飛行ルートの問題で、通り過ぎようとしている道がここに近かっただけのようである。


その証拠に、飛行人には俺たちは眼中に入っていない。

ひたすら急いで、遠くを目指して飛んでいる。


そんな印象を受けた。


「あの顔、見覚えがないか?」


俺は、空飛ぶ人間の、顔に見覚えがあった。

見覚えどころか、その人物と面識があり、更に言えば付き合っている。

そう、何を隠そう伊織その人と全く同じ顔の造りをしているのだ。


「伊織…」


フィルも同様の感想を抱いたようで、唖然としている。

一方で、伊織とは似ても似つかない部分も当然ある。まずは、髪だ。空の彼女の髪は純白で、瞳もクリアだ。髪色が違うから、認識するのに時間がかかってしまった。そして、服装。スクール水着のような際どい黒のスーツに、同色のニーソ。


その服を、巨大な恐竜の骨のような骨格が包んでいる。

頭には頭蓋骨が、背中には背骨が。


まるで化石の中に人が入っているといった外見。

その背骨から、化石の羽が伸びていて、風を捉えて飛んでいる。


あまりにも幻想的で、荒唐無稽で、強烈な姿。


「フィル…いくら妄想でも、あんな格好をさせるのはちょっと違うんじゃないか…」


俺は、初めにそれがフィルの趣味なのかと、思った。

伊織には明るい髪色も似あうんじゃないかと考えたことがある。

それに、コスプレを好んでいるコイツのことだ。


好きな人にも、コスプレをさせようとしていたのかもしれない。

キャラ名は知らないが、フィルの元ネタ同様、未来のアニメのものなのか。

とにかく、フィルの妄想の産物だというのが第一印象。


「俺だって、知らないぞ、どうして伊織のツーピーカラーみたいな見た目をしている」


だが、そのフィルにとっても、あれは想定外であるようだった


「それと、俺は伊織は黒髪派だ…コスプレだってさせようとも思わなかった」


本当に知らないといった内心が、良く伝わってくる。

妄想の世界、異世界、なんにせよ、ここに来たのはフィルの力によるもの。彼が知らないというなら、本当にそうなのだろう。


「え、伊織にはコスプレはともかく、金髪とか似合うんじゃないかな」

「馬鹿を言うな、俺は未来から来たんだぞ。一度伊織が派手に染めたのを見ている。そのうえで、黒髪の方がいいと言っているんだ」

「え!伊織って髪染めるの!?」

「ああ、大学の頃に…って今はそれどころじゃないぞ!」


聞き捨てならない情報が、飛び込んできたが、今は確かにそれどころではない。

揃って立ち上がり、伊織もどきの様子を伺う。


「でもやっぱり、フィルの妄想の世界なんだよ。じゃなきゃ、あんなに似るわけない」

「そうかなあ…」


伺う中で、一つの事実に気が付いた。


「あいつ、追われているみたいだな」


彼女の軌道をたどるように、無数の点が迫ってきていた。

点は、彼女の時と同様に、どんどん大きくなってきて、形がはっきりと分かるまでになる。

軍服を着て、隊列を成して滑空する彼らは。


統率を取っているであろう、ひと際目立つ一人の髪は、明るい水色。


「見ろ!枸琅達じゃないか!」

「馬鹿な!奴らがここに入ることが出来る訳がない!」


伊織のそっくりさんを追っているのは、枸琅率いる軍隊。

俺と伊織を、襲った張本人たちだ。

それが、フィルの妄想力で来たこの場所に、いる。


化石の少女のように、背中に羽があるわけでも、機械を付けているのでもない。

己の身一つで、自由に飛んでいる。


その様は、まるで魔法のようだった。


「いや、屋上の件もある。あの集団は、俺の妄想力が効かないか、無効にできる、それとも干渉可能な何かがある…ということか?」

「どうする、フィル」


問うと、フィルはおもむろに、懐からナイフや銃を取り出した。


「多分、女は無意識で俺が作り出した妄想の産物だ。伊織に顔が似てるのは、俺の趣味が出ただけかな。放置しても支障はないだろう。」

「なら、放っておくのか?」

「いや、当然助ける。妄想とはいえ、死んでしまったら後味が悪い。それに、アイツらを一網打尽にできる良い機会だ」


持ち出した武器を、押し付けるようにして渡してくる。

これは俺が使えという意思表示。


「金と時間の問題で、お前の分は、この二つしか用意は間に合わなかった。俺には不要だが、力不足のお前には役に立つだろう。」


形状はシンプルで、初心者でも扱いやすい殺傷の道具。

妄想によりリアリティを与えるために、この手の武器は調べていた時期がある。

だから、両方とも見覚えがあった。紛争地域で最もよく使用されてる、子供でも扱える重量、反動、サイ

ズ。


図書館の本で知り、衝撃を受けたから、記憶に刻まれている。

チョイスが、あまりにも俺のことをよく知っている人間のそれだ。

まあ、自分自身だから当然ではあるが。


大道芸で、本物の銃やナイフを購入するだけの金を集める。

言葉以上に大変な作業だったはずだ。

それだけ、俺や伊織の身を案じてくれているということか。


「とりあえず、俺が叩き潰してくる。一志は、とりあえず隠れていろ」

「そんな、俺だって何かしたい。そのために武器を渡してきたんじゃないのかよ」

「馬鹿言うな。それはいざという時の護身用だ。弱い奴は、強い奴の弱点にすらなりえる。勇敢と蛮勇は違うと、あの作品で学んだはずだ」


フィルは、木陰を指さした。


あそこに隠れていろ、という無言の合図。

自分や伊織に降りかかる火の粉を振り払いたい。

けれど、今の実力で足を引っ張るだけなのも痛いほど理解している。


悔しい気持ちで、歯噛みしながら、大人しく特に生い茂っている一点を見つけて、身をひそめた。なるべく、様子が見える位置に行く。木の葉の隙間から、集団が連帯を組んで飛行しているのが見える。


「護衛を付けてやりたいが、戦闘が可能な程の人は作れない。武器でなんとかしろ」

「分かった」


まだ、彼女は追っ手を振り切れていないようだった。

フィルが、隣から当然のように空へ舞っていく。

足元には、大きなサーフボードがあった。


風の波をサーフィンする要領で、先頭を追いかける。

ボードの後ろには、例のサンタのプレゼント袋がくっついて、落ちそうで落ちない。

あれだけの勢いで走行しているのに、頭の帽子が飛ばないのが不思議だ。


白いポンポンが、フィルの動きに合わせて跳ねている。

全員の流れと逆走するように向かったため、あっという間にフィルは先頭に躍り出た。


「貴様…!」「どこから出やがった!」


軍服の兵士が、背中に背負っていた長銃を構える。

そして、何の躊躇いもなしに、発砲を繰り返した。


フィルは、波乗りでもするようにボードに手をかけ、綺麗に弾を避けていく。

ひらりと半回転しながら、相手に近づき、右手をオーラで光らせる。次の瞬間、手には鋭利な槍が握られていた。


それを、すれ違い際に、容赦なく突き刺していった。

軍服の方に、血が滲む。当てられた男は、悲鳴を上げて体制を崩す。

そのまま、糸が切れたように浮遊を失い、空の上から地上へ向かって落ちていく。


ガスマスクのような仮面が無ければ、苦悶が直接伝わってきて、俺は直視できなかったぐらいの絶叫。

フィルはそれを、躊躇いもなしにやったのだ。


彼が、俺を足手まといといった理由が、よく表れていた。

俺では躊躇して、逆に致命傷を負っていただろう。


「次!」


フィルは今度は左手にレイピアを出した。

鋭く、細く銀色に輝く剣先は確実に命を刈り取る形状をしている。

次の軍服は、接近戦を持ちかけてきていた。警棒のような、黒く短い武器。

構えて、フィルめがけて突っ込んでいく。対するフィルは、冷静に狙いを定めて一突き。


命中したのは、レイピアだけだった。

警棒を握っていた拳に銀色は突き刺さる。


またしても軍服が、絶叫を上げて、武器と共に散っていった。

数十人いた軍勢のうち、数人が似たような手口で無力化され、やがて全体の統率に影響が出始める。動揺が伝播して、フィルを中心に進行が止まった。


彼を囲むように、軍服は位置を定めて留まっている。

当初狙っていた少女とは、距離も大分開き、軍勢は完全に足止めされた。

追おうとする者は例外なくフィルに蹴散らされ、手をこまねいている状態。


少女は、時折振り返っているようであったが、立ち止まることはない。見知らぬ助っ人の登場を好機とみて逃げるつもりらしい。


俺の隠れている島の上空を、直線上に飛行していく。

彼女が気になるが、今はいいだろう。

逃げてもらえれば、生きてさえいれば。


いつか再び巡り合えた時にでも、話を聞けばいいのだ。

どうせフィルの妄想なら、いつか再び呼び出せばいいしな。


それに、俺たちにとっては、枸琅の存在の方が優先度は高い。


「~は奴の上から、~は下からだ。女は俺が追う。一瞬でも抑えられればそれでいい。全員、慌てるな、俺の下にいる限り敗北はない」


その枸琅は、一連の流れを見てから、味方にそう宣言した。

それまで狼狽えていた兵士も、一度落ち着きを取りもどす。

指揮された配置について、大きく二つに部隊が分かれた。

フィルをパティに、敵軍のバンズが上下に広がる。


挟み撃ちにして、バーガーでも作るつもりのようだ。

フィルは、ホバリングして様子を伺う。

敵の位置を確認しながら、ボードの後部に乗っている、というよりくっついていた袋に手をかける。多対一。圧倒的に不利であるにも関わらず、フィルの調子は崩れない。それどころか、ボルテージが高まっていっているようだ。


「行け!」


枸琅の叫びで、全軍が動き出す。

そこから、先は混戦になっていった。

枸琅本人は、後方に構えていたが、一瞬目を離したすきに俺の視界から消えてしまう。

彼の姿を求めて、視線を動かすも見つからない。


水色の髪を探していると、ドン、と大きな衝突音が鳴り響いた。

音は、遥か頭上で花火のようなものだった。

体に伝わるほどの振動を以て、戦場一帯に轟いていく。


それに合わせて、俺がいる島全体が軽く上下に振動した。

音がした方向に、首を曲げて見上げると、木々の隙間から枸琅がこちらを見下ろしているのが見えた。長い髪を靡かせて、威風堂々と宙に浮いている。


俺、というよりは島の中心を凝視しているらしかった。

ここに、何かがある。俺以外の何かが。

音は、上空でした。そのあと、島が振動した。


つまり、ある程度の質量を持った物体が、落ちてきたということだ。

その物体を、枸琅は観察している。では落ちてきたのは何か。

嫌な予感がして、草から体を乗り出す。辺り一帯を見回した。


まず目に入ってくるのは、フィルたちの戦闘。あの人数に挟まれても、妄想力を上手く駆使して、戦っている彼がいた。次に、上にいる枸琅。相変わらず何を考えているのか、分からない顔をして、目だけを動かしている。


それだけしか、なかった。


そう、化石の少女の姿が何処にもないのだ。

まだ彼女は逃げている最中だったはずだ。

飛行して、俺の上空を一直線に逃げようと滑空していた。


落とされたのは、彼女だ。


直感に近い確信が、俺にそう告げる。

そして考えるよりも先に、体は走り出していた。彼女は、伊織に顔は似ているが、全くの別人。他人の空似であるなら、俺がわざわざ助けようとする必要はない。


フィルの妄想の産物なら、動くだけ無駄のはず。

また、狙っているのが枸琅であるなら、そもそも勝ち目もない。

それでも、彼女のもとに向かおうとしているのは、全くの他人とは思えなかったからかもしれない。


森と林の中間くらいの木々の量。

生えている地球にはないタイプの樹木を避けて、足を動かす。

手を使って、垂れている枝を退かしながら、進んでいく。


詳細な場所は分からなかったが、ひとまず島の中心に向かえば、どうにかなるはずだ。

木は島の外周を囲うように、群生しているようだった。

ドーナツの輪のような生え方で、穴の部分には草木が生い茂っていた。


草原には、宝石を付けた雑草が隙間なく埋めていて、綺麗だった。

その縁の真ん中に、少女はいた。

仰向けに、天を仰ぐように倒れている。


ぐったりとしており、体を覆う骨も、ダメージを受けて欠けていた。翼には穴が開き、衣服の体にぴったり張り付いたスーツの一部が裂けて血が溢れ出している。いくら、フィルの妄想の産物と言っても、伊織に似ているのだ。助けなければ、後味が悪いというのは、俺も同意する。


俺は、少女に駆け寄って、肩を揺らす。


「大丈夫!?意識はある?」


すると、目を微かに開けた。


「貴方…誰…?いや、貴方も、敵?」


その声は、伊織とは違うものだった。

凛とした声ではあるが、聞きなれた伊織のそれではない。


「いや、俺は味方だ。君を助けに来た。安心してほしい」


支える体は、震えていて、満足に動かせる状態ではなさそうだ。

自分の彼女に似ている理由や、追われている理由を聞きだしたい気持ちはある。しかし、枸琅がそこに迫ってきている以上、そっちが先だ。飛び出した以上、二人とも生き伸びることが最低条件。


俺を殺すとまで言ったアイツの強さを思いだす。

あの時は、必死に妄想力で体を酷使して乗り切ったが、今回はそれではだめだ。


フィルが踏ん張ってくれているが、援軍が来る可能性も捨てきれない。

ここで俺が倒れれば、餌食になるだけ。

フィルに貰った、銃とナイフを構えて、立つ。


「まさか、お前までいるとは想定外だったな。だが、いい意味で、だ。辺境での仕事を命じられた時は、運の尽きかと頭を抱えたものだったが。存外、俺はツイているらしい。ユーザー二人に、目撃者一人。まとめて殺せるんだからな」


枸琅は、徐々に降下してきて、草原の端に着地する。


「この子には、手を出させない…!」


なぜここに彼らがいるのかは分からない。

しかし、枸琅が少女を伊織と認識しているようであった。

俺は、威嚇射撃のつもりで、数発銃を撃つ。


乾いた銃声が、耳をつんざき、弾が奴の横をすり抜けていく。

もっと至近距離に撃ったつもりだったが、想像以上に狙いを定めるのは難しい。


「精度が悪いな。うちの隊なら不合格だ。」


音や鉄砲には、枸琅はちっとも動じない。

それどころか、殺意が明確なものになっていく。

屋上の時とは、雰囲気が違う。飢えた野生動物と対面しているようなプレッシャーに襲われる。


「悪いが、部下に損害がある以上。今回は手加減しない。」


笑みはない。生粋の殺戮マシーンと化した枸琅がそこにいた。

ふと、彼の輪郭がぶれる。

かと思ったら、次の瞬間には、眼前に迫ってきていた。


「!」


咄嗟に、ナイフを使って応戦する。枸琅も、俺と似たような獲物を両手に装備して、攻めてきていた。化石の少女を背に、一進一退の攻防が始まった。

俺は武術の心得がないため、出鱈目にナイフを振り回す。


ここでも、実力不足が顕著に表れて、俺はどんどん追い詰められていく。

切り上げて、振り下ろし、しゃがんでみては突き上げる。

攻めているのはこちら側だが、追い詰められているのもこちら側だった。


奴のどこを狙って振っても、軽くいなされ流される。向こうが二本、所持しているのに対して、俺は一本しか持っていない。数的な不利もある。


素人なりに、隙だと感じたタイミングで、銃を打ち込み、刃物を大振り。

どちらにせよ、躱されるだけだった。


「やはり、お前はおまけだったようだな。つまらん」


振り回す腕が、掴まれる。両手首を鷲掴みにされた。

力を籠められ、手首が圧迫されていく。


あまりの激痛で俺は、両手から武器を落としてしまった。もはや、ここまでか。

少女を守ることも出来ず、フィルが来るまでの時間稼ぎも出来ず。ただ徒に、はっきり言ってしまえば無駄に、命を終わらせることになるのか。


枸琅は、足で蹴りの構えを取った。

一撃、二撃、俺の腹に膝を打ち込んでくる。


「ぐっ…!うっ…」


あまりの激痛に、俺は立っていられず、座り込んでしまう。手首が解放され、自由になるが痛みで逃げることも出来ない。


三発目、さっきまで腹があった位置に顔がある。

このままあれを食らえば、死ぬ。

枸琅は、容赦なく蹴りをお見舞いしようと、足に力を込めた。


その時、


「一志!刻限だ!現実世界に戻される!お前は伊織を守れ!俺もこいつらを倒して、すぐに向かう!それまで耐えろ!」


フィルの声が遠くから聞こえてくる。刻限?

何のことだ?


「運が良かったな貴様。だが、居場所は特定してある。こちらもすぐに追い付くだろう。楽しみに待っていろ」


訳が分からず、混乱していると、俺の体が光始める。

ここに来た時と同様の、薄緑色の光。かと思ったら、霧が辺りに立ち込めて、すぐに視界がホワイトアウトする。デジャヴを感じて、呆けているとやがて霧が晴れていく。


現実世界に戻される。


フィルの言葉が、ようやく飲み込めた。

一時退却を行うこととなる、そう思うと気が抜けて俺は意識を失ってしまった。

最後に、伊織の声が聞こえた気がした。それが、本物の声が、化石の少女の声か、全く違う響きをしているはずなのに、判別がつかなかった。


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