その力は糧となる1

半分の月が上る空は、雲一つない爽やかな夜を象徴している。


俺は、食後に頂いた水と外気に触れたことですっかり正気を取り戻していた。

今日の出来事を反芻する。


伊織とデートした。全てが上手くいったわけじゃない。経験不足から、単にミスから、伊織には迷惑をか

けてしまった。それでも、彼女は楽しかったと言ってくれた。それが、何よりも嬉しく、誇らしかった。


そして、伊織の実家にお邪魔した。

風呂場で、伊織に真実を打ち明けた。


これで嫌われるか、引かれると覚悟もした。

対して、伊織は動じるどころか受け入れてくれた。


妄想力やテロリストの話を、笑わずに真剣に聞いてくれた。

打ち明けたことで、隠し事がなくなったのは、彼女のおかげだ。受け入れてくれたため、これからは正面

から伊織に正面から向き合える。


そのあと、夕食をご馳走になった。

両親は気さくな人で、食事をするのが楽しかった。


伊織と風呂に入ったことを、きっと、いや確実に知っているはずなのに何も言ってこなかったのが逆に怖かったが。それでも、自分を受け入れてくれているのが態度で伝わってきた。そんなご両親のおかげで、大いに楽しめた。


酒を出したのも、茶目っ気だったのかもしれないな。

それでは済まされない問題な気がしないでもないけども。


「ふう…」


楽しさが過ぎ、体に残るのは心地よい疲労感。

このまま家に帰るつもりだったが、もう少し歩いて余韻に浸るのも悪くない。

町の構造的に、西に行くと住宅街があり、更に奥には山が構えている。


この時間、山や住宅街は閑静で人気がなく怖い。街灯も西に行くほど減っていくので、単に散歩だとしても興が削がれる。


そんな訳で、賑やかさを求める意味で東へ。

駅の方は常時賑わう、眠らない町状態。


誰かが楽しそうにしている様を観察出来れば、余韻は続くだろう。

少しまだ頭も痛い。初めて酒を体内に入れた後遺症だ。頭痛すらいい思い出の前では無力。


俺は浮かれた、歩きともスキップともいえない、絶妙なステップで駅に向かった。

着いてみると、既に夜は深く、閉まっている店もある。


にも拘わらず、多くの若者や学生が町を闊歩していた。

喧嘩をしているサラリーマンもいたが、人口の多さはトラブルの多さと比例している。今の市の人口を鑑みれば、これくらいは日常茶飯事だ。特に目的もなく、徘徊しているだけの俺は、人の流れに乗って右へ左へ。


川の流れは、海に合流するのが常だ。


人のそれも同様で、最終的に俺が辿り着いたのは広場だった。

俺と伊織が、今朝集合場所として選んだその場所で。


何やら、イベントか何かが行われているようで盛り上がっている。丁度伊織が立っていた、大木の直下あたりで、度々歓声が上がっている。


ここからでは人垣は高い上に、厚く、騒動の中心は遠目では分からなかった。

しかし折角、来たのだ。あれだけ目撃してから家に帰ろう。

これだけの数の人間がいては、遠目で見学というのも叶わない。

少し乱暴な方法だけど、間隙を縫って前へ出るべきか。


俺は、ほんの少しの隙間を割って入り、前へ前へ。

人の圧に挟まれて、満員電車にでも乗ってる気分。


隙間を潜り、じりじりと前身していくと、やがて先頭が目前に迫ってくる。

あまりの人だかりの対策として、鉄の柵がいくつか設置されていた。

どうやら、パフォーマーと観客の空間を区別しるようだ。


数人、身を乗り出そうとしている者はいるが、概ね役割を果たしていた。

肝心の、騒動の中心人物を確認する。


一体、どんな人間が、これだけの人間をここまで熱中させているのか。


「次は、これを回しながら、走って飛んで銃を撃って空き缶に当てるよ!」


おじさんとおじさんの、脇腹に挟まれながら、顔を出す。

すると、そこでは一人の人間が、大道芸を披露していた。右に左に飛び回り、用意されていた小道具や、

大道具を駆使して様々な技を披露している。驚くべきは、右手で一つの技を行いつつ、左手では全く別の

芸をしており、更には下半身は、木と木を結ぶロープの上で自転車を漕いでいたりする。


何より、その人物というのが、俺の知っている奴だった。

桃色の長い髪を揺らし、美麗な顔でドヤ顔する女性に見える男性。


身に着けたサンタクロースの服装が、季節外れとも会って、嫌に目立っている。

将来の俺こと、フィルその人である。


「な、な、何やってるんだよ!フィル!」


思わず叫んでしまった。

声は、観客の喝采に溶けて、フィルまでは届かない。

彼について考えていたのは、フィルは消えてしまったのか、それとも残っていても俺と会うことを避けていたのかの二つ。


どちらにせよ、テロリストの一件で思いつめた表情をしていたから心配していた。

強い言葉を投げかけてしまった負い目もある。


それが、こんなに明るい顔をして大道芸とは。

妄想逞しい俺でも思いつくわけがない。


いつか、食事はどうするのかフィルに聞いた時。

自分で何とかするから、問題ないと豪語していたのを思い出す。


それが、自分の技を披露して、観客から金を貰うから大丈夫という意味だったのか。

てっきり、クラスメイトから貰うから、というだけだと思っていたが。

確かに、俺は手先が器用な方ではある。


最近は描けていないが、絵画が趣味で昔から筆を細かく使うことは、割と得意だった。プラモデルを始めとする工作に、壊れた家具を直す日曜大工まで、幅広くやってきた自負もある。

特に日曜大工は、ここ一二年は、後者の腕が上がってきていた。


理由は単純で、節約のためであり、また数種類のアルバイトの成果だった。

それでも、あんな風に左右の手で別々の動きをさせるまでには至らない。

きっと、あれは妄想力ではなく、シンプルにフィルの実力だ。


妄想力で他人を欺くためには、相応の体力を消費する。ここにいる全員となると、相当なものだろう。テロリストの一件では、教室内の人間だけでも、消耗するからわざわざ伊織を屋上に連れて行ったのだ。

だからこそ、この空間で縦横無尽に駆動する、フィルには感心した。


無意識のうちに、俺は拍手まで無邪気に送ってしまっている。


「これで最後の大技!見逃すなよ!」


高らかに宣言すると、フィルは頭上を見上げ、紅蓮の炎を口から噴き出した。

焔は、螺旋状に広がり、空へと昇っていく。形が一度完成すると、今度は炎が場所によって色が変化していき、やがて七色に輝く。


虹色の螺旋は、それはとても美しかった。

あれだけ騒いでいたお兄さんも、悲鳴に近い絶叫をしていたお姉さんも、一同に静かに見とれていた。

俺を挟むおじさんも、うんうんと腹を揺らしている。


その振動で、俺の頬もブルブルと震えていた。

最終的にパフォーマンスが終了し、盛大な拍手が送られる。

フィルも、演目が終わった時のスケート選手のように、滑らかに各方面に丁寧なお辞儀をしていた。そして、芸で使用したであろうギターケースを広げた。次々に、ケースの中へと賽銭が投げ込まれていく。老

若男女問わず、かなりの人数がお布施をしていた。あれだけ凄いものを見せられては、払わない方が難しい。


当然、全員がお金を出しているわけではないが。

それでも、大道芸としては異例とも言えるほどには入っている。

そういう俺も、思わず並んで、財布を出そうとしていた。


「面白かったな」「いや凄いのなんのって」「おじさん、感動しちまったよ」「それにあの別嬪だろう?

毎日やってたら通いつめちまうよ」「本当だな」


口々に語られる感想は、どれも幸福感に満ちていた。

いい雰囲気に包まれて、自然と笑みが零れる。

遂に、俺の番となり、財布を開く。


中身を確認している途中、ふとフィルと視線が交錯した。


「一志…」


フィルが、何かを言いかけたその瞬間、


「何をやってるんだ貴様ら!今日は広場使用の申請が出されていないぞ!」

「中心にいる奴、取り調べをさせてもらうぞ!」


警官が二人、怒声に似た宣言と共に場上に乱入してきた。怒った警察の登場とあって、やましい所がない観客たちまでも、蜘蛛の子散らすように、一斉に逃げ出していく。

フィルは、ギターケースと俺の手を掴んだ。


どさくさに紛れて、走り出す。脱兎のごとき逃げ足は、まさに天下一品。

ついていくのもやっとで、最早引きずられているような感覚に近い。


一気に興ざめしていく人々とは対照的に、フィルだけが高らかに笑っていた。

彼の笑い声だけが、空まで響いて木霊していた。


俺たちは、どこまでもどこまでも走っていく。

警官の怒声が、完全に聞こえなくなるまで。


いつの間にか、俺は寝てしまっていたらしい。それに気が付いたのは、次の日の朝だった。

いつ意識を失ったのか。俺はフィルと走っていたんじゃないのか。

思うことはたくさんあったが、俺は自室のベッドで寝ている。


それだけしか分からなかった。


しかも、かなり寝過ごしていたらしく、太陽はかなりまで高く上がっている。

窓が開いていて、入ってくる風が心地よい。カーテンが春の息吹を受けて靡いていた。


そうだ、フィル。フィルはどこだ。


周囲を見回しても、自室の中に彼の姿はなかった。

俺を寝かせて、また何処かへ去って行ってしまったのだろうか。

そんな考えが浮かんでくる。


俺は、彼に言いたいことが、伝えたいことが山ほどあった。

フィルとは病院で別れて以来、一度も姿を見ていない。


それから今日までの間、多くの出来事があったのだ。


伊織と付き合えたこと。

デートしたこと。


社にデートのアドバイスを貰ったこと。

家で彼女の家族とご飯を食べたこと。


もちろん、風呂に一緒に入ったこと。

そして、フィルに報告したかった、話したかったということも。

フィルとの約束以上の結果を出せたと胸を張って自慢できるはずだった。


それなのに、奴はしばらく何処にも顔を出していなかった。学校の連中も気にかけていたというのに。だから、彼を探すように、俺は部屋を出て、階段を下る。途中、俺は自分スウェットを身に着けていること

に気が付いた。


それは、昨日伊織の家で着せてもらった服だった。

つまり、俺はこの格好で町に出歩き、寝るまで過ごしていたということ。

酒が少し残っていたとはいえ、少し恥ずかしい。


夜だったし、知り合いとも出くわさなかったのが唯一の救いだ。

まあ、結局フィルには見られてしまっていたのだが。

自分に見られてどうこう思うことはないので、そこは問題ない。


「よう、遅かったな」


フィルは、リビングで呑気に紅茶を飲んでいた。脇には金が入ったギターケースがあり、札束と小銭が整列させられていた。


俺が寝ているうちに勧請したのだろう。凄い量の金だった。

それはそうと、俺が注目したのは、そっちではなく、フィルが手に持つ一本の筆の方だった。前には白く大きいキャンバスが添えられていて、いくつか色が乗っている。


彼は、絵画を描いている途中であるらしい。


「色々言いたいことはあるんだけど、フィルってマイペースなんだな」


留まっていてくれていた安心感が一瞬で消え失せる。

逆に、呆れるような気持ちが湧いてきて、溜息が漏れてしまった。


「失礼な、お前が起きるのを待っていたんだぞ」

「それで時間つぶしに絵描きかよ」

「描くのは、好きだからな。お前もそうだろう」

「確かに、趣味ではあるけど、最近は触れてなかったし」

「絵はいいぞ、世界で一番美しいと思える光景を、自分の手で残せるんだ」


それはともかく、とフィルは続ける。


「色々話したいことがあるんだろ?」


フィルは、筆を動かし始めた。絵は、草原と空、そこに隕石が降ってきている、インパクトのある一枚に仕上がっていく。その姿は、非常に穏やかだ。自然と、俺も肩の力が抜けていく。俺は、キャンバスに向き合う背中に、椅子に座ってゆっくり語り掛けることにした。パンと紅茶を用意して、準備を整えてから。


フィルと別れてからの数日の出来事を。

丁寧に、そして歌劇的に、歌い上げるような気持で。

伊織と付き合ったこと。伊織に妄想力について話したこと。デートの詳細。


全てを、丁寧に言葉にしていく。


フィルは、時折クスリと笑みをこぼし、時に呆れた顔をしたり。

百面相にふさわしい、豊かな感情表現をしながら耳を傾けていた。

笑いすぎて、筆が暴れてしまい、せっかくの絵を台無しにする場面もあった。

一通り語りきるころには、すっかり二人のカップは空になっていた。


「そうか、遂に付き合うことが出来たんだな」

「ああ、ほんの少し、覚悟を決める。それだけで良かったんだ」

「頭で分かっていても、実践するのは難しいものだ。よく頑張ったよ、お前は。それに伊織も、凄い女の子だよ」


褒められて、俺は口元が緩む。これは、自画自賛に当たるのだろうか。

伊織に関しては、完全に同意だ。


「ところで、この数日間フィルは何をやっていたんだ?」

「当然の疑問だな。俺は今日まで、昨日みたいに大道芸をやっていたわけじゃない。目的があって、その実現のために動いていた」

「目的って何さ?伊織と付き合うことなら、達成したじゃないか」

「いや、それではない。俺の目的は、あの枸琅という男たちの正体についてだ」

「あいつらがどうかしたのか…?」

「実は、一志が気絶した後、枸琅は去り際にまた来ると言っていたんだ。俺の妄想力は、自分で言うのもあれだが、相当に練度が高い。この時代に来る前から、完全にコントロール出来ていた。それを破り、侵入してくる奴らだ。妄想力によるコントロールが効かないと言ってもいい。だから、警戒するに越したことはない。そもそも、妄想力を知っている人間など、俺以外にいるはずがないんだからな。」

「でも、フィルなら勝てるんだろ?そんなに警戒しなくてもいいんじゃないか?」


フィルは、こちらに体ごと向けた。

それまでとは打って変わって真剣な眼差しをしている。


「枸琅はお前だって殺そうとしていたんだ。むしろ、お前が警戒しなくちゃいけない。一志だけなら、最悪死ぬだけで済むが、伊織だって巻き込まれる可能性が残っている」

「伊織…?なんでそこで伊織が出てくるんだよ」

「奴はお前が伊織を大切にしているのを知っている。人質でも、呼び出す餌でも使い道はいくらでもある。相手は、集団だ。いつどこから襲ってきても不思議じゃないんだぞ」


俺は愕然としてしまった。


全く、枸琅の危険性など考えてもいなかった。

伊織と一緒に居れた幸福に浸って、忘れようとすらしていた。


フィルの言葉は、正論で固められている。俺は、黙り込むしかなかった。


「俺は、奴らのアジトがあるかどうか、何か対策が打てないか検討していた。一志に何も言わなかったのは、伊織と付き合うまで協力するという約束があったからだ」

「約束…」

「そうだ。俺は、お前が約束を果たすと信じていた。」

「だから、敢えて何も伝えず、一人で動いていたのか?どうして、信じられたんだ。まだ、告白するかも怪しかった段階で」

「伊織を守るために、覚悟を決めた顔をしていたからだ。」


フィルは、優しく表情を崩す。


「変わらないものはない、ずっと同じはありえない。この町も随分変わってしまった。それでも、俺の伊織への思いだけは死ぬまで変わらなかった。だけど、俺はその思いを伝える勇気だけが、最後まで出てこなかった。一志、枸琅から伊織を守ろうとしていたあの時、お前の目に俺に足りなかったそれが宿っていたのを確信した。だから、信じて託したのさ」


フィルは、立ち上がり、俺に握手を求めてきた。

窓から入る日光を背中に受けて、フィルは眩く輝いて見える。

思い残すことがなくなった、そんな爽やかさだけが香っている。


フィルの手を取って、強く握る。

喜び、達成感、数年越しの思いが、その手に込められていた。


「だからこそ、枸琅には邪魔はさせない。俺が何とかしてやる。お前は、俺の分も伊織を幸せにすることに専念していればいい」


フィルは、俺の倍の力で握り返してきた。

その力の強さに、決意の固さが込められている気がした。


「でも、それと大道芸はどう繋がるんだ?」

「あれは武器のための資金集めだ。俺は今度、奴らのアジトに潜入する。お前の護身用と、俺の潜入用、妄想力に頼らない武器の存在は、確実に必要になってくるからな」


離れて、フィルは札束を数え始めた。

見せびらかしてくる様は、いたずらっ子のようであった。

胸元の、小さなベルが、鳴っていて彼のテンションを表しているようだ。


「ほどほどにな」


俺は、深く考えないでおくことにした。


「まあ、湿っぽいのはここで終いだ。久々に戻ってきたんだし、付き合えた記念もかねてお祝いしようぜ!当然、あのグミは買ってあるんだろうな?」

「いや、忙しくて忘れてたよ…ごめん」

「なら、後で買ってくるぞ!それまでは俺のおすすめ作品上映会だ!」


おすすめ作品、病院で貸してくれたシリーズのことだろうか。


「病院で見たけど、面白くなかったぞ。お前、感性が変わっちまったんじゃないか?」

「何!お前、あれの良さが分からなかったのか!?俺の癖に、それはおかしいぞ、もう一回だ、もう一回。あれは見れば見る程ハマる作品なんだ!」


その後、ああだこうだ騒ぎながら、午後を過ごした。

大量のグミを買ってくると、フィルは泣くくらい喜んでいた。

下手したら、伊織との交際より喜んでないか?こいつ。


そして、フィルのおすすめの意味も、理解してしまった。

沼にハマる、という感覚を理解してしまった。

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