嵐の前のデート3

楽しみなことがあると、時間の経過は遅く感じるものである。


伊織とのデートが控えたその日まで、学校もバイトもやけに長かった。


授業の一時間は一日、バイトの一時間は悠久を想起させた。あれから、伊織も元通り登校することになり、教室でも話せるようになった。俺たちが休んでいたのは、一日程度。入院したことも知らない連中が

ほとんどだ。


だから、あの事件はフィル、伊織、社、そして俺しか知らない。

ただの風邪として認知されていて、すぐに忘却されていった。


結局、その週、ずっとフィルは休んでいた。

フィルは人気のある生徒だ。休む理由を知りたがって、俺に色々聞いてくる奴も多かった。


だけど、俺だって知らないのだから答えようがない。

冷たいようだが、知らないとだけ答えておいた。


全員、落胆していたが、俺が知りたいくらいなのだ。許してほしい。


ちなみに、俺たちが交際している事実も、特に発表はしていない。


特段仲のいい友人がクラスにはいない、というのもあるが伊織が人気者なことも大きかった。伊織と付き

合っているなんて公表した日には、俺がどんな目に遭うか想像もつかなかった。


単純に照れ臭いし、わざわざ言うこともないと判断した。

高校生のカップル事情などそんなものだ。


それに、社の次に伝えたいのは、やはりフィルだ。

彼に伝えるよりも早く、誰かに伝達することはまずありえないと断言できる。


まあ、伊織が友達一人にでも話せば、すぐに流布していくだろうけど。

そこは、俺の力でどうにかなる領域ではない。


ともかく、今日は待ちに待った伊織とのデートの日だ。

人間は面白い体の造りをしていて、あれほど待ち望んでいたデートも、いざ目の前にくると緊張してしま

う。一瞬、行きたくないとすら考えてしまうくらいには、胃が締め付けられていた。


待ち合わせの時間まではあと一時間ほど。

集合場所は、この街で一番大きい駅である、〜駅だ。


その駅前の広場にある、大きな木を目印に昼前に集まる手筈になっている。

家からは歩いて数十分ほど歩くと、そこに到着する。まだ大分余裕があるが、家にいると緊張に支配されて落ち着かない。


社にアドバイスを受けたが、もう頭が真っ白になりそうだ。

こういう時、一番頼りにしたかったフィルは今も姿を表さない。


頼りっぱなしになることは避けたいが、背中を押して欲しいと言うのが本音のところ。

それでも無いもの、いない人は仕方がないので諦めよう。


結局、時間には早いが、俺は家を出ることにした。

せめて歩いていれば気が紛れるだろうと考えてのことである。


軽く荷物の確認を行なって、身支度を終わらせて、俺は外に出た。

荷物といっても、財布と携帯と、幾つかのエチケット用品だけで、トートバッグ一つに十分納まる程度の

量しかない。昨晩、遠足前日の幼児のような心持ちで眠れなかった俺は、準備に余念がないと豪語できる

程度には万全の状態だ。


フスフスと鼻息を鳴らして、街を闊歩する。


人生で初めてな彼女ができ、初めて迎える週末。

いつもと同じ道を辿っても、どこか新鮮に感じられる。


これが社がいつも見ている景色なのかと、少し感心してしまった。

新鮮な空気に、新鮮な景色。実際は単に心の有り様といった心理的な変化によってもたらされた感覚なの

だろうけど、それが単純に嬉しく思えた。


駅への道筋は、学校とは別で、東に伸びる大きめの通りに沿って進むだけでいい。

何回か曲がり角をクネクネと曲がり通りに出る。


バイトでも、日常の買い物でもよく使う道であるだけに、迷いはない。

道なりにしばらく行くと、すぐに駅が視界に入ってくる。


道端の建築物の背が駅に向かうほど高くなっていき、高さがピークに達したところで駅に着いた。

駅舎は都心部のそれほど大きくはないが、郊外都市としては立派な設備が揃っている。


駅前の広場もそこそこに広く、今日も待ち合わせをする人や、買い物帰りの人で賑わっていた。

うちの学校の生徒もチラホラと見かける。


休日にも部活に勤しむために通うことも多いことがよくわかる。


待ち合わせの場所に指定した大きな木というのは、広場の端に一本立っている名前も知らない大木のこと

だ。


ここの駅のシンボルになっている。俺たち以外にも多くの人が待ち合わせするのに使用していて、今も多

くの人がその木陰にいた。

俺も、例に倣ってその木下で待つことにしようと思う。


と、空いているスペースを探していたとき、


「伊織…?」


待ち合わせをする人々の群れの中に、伊織を見つけた。

木を囲っているいくつかのベンチ、その端っこに座っているのを発見した。


見間違いかとも思った。まだ時間までは相当時間もあるからだ。だけど、少し近づくにつれて、疑いは確信に変わる。


向こうもこちらに気がついて、にこやかに手を振ってきた。

俺は、少し急ごうと思って小走りになる。


待たせてしまったという思いが、俺の足を急がせた。

しかし、急にスピードを上げた影響か、俺の足は絡まって何もないのに転んでしまった。

ビタンと音が聞こえそうなくらい、綺麗な転倒。しかも、彼女の眼前で。


一瞬、広場にいた全員の視線が集中するのを感じた。

カッコ悪いことこの上ない。


「一志、大丈夫?」


気がつけば、伊織がこちらに駆け寄っていた。

顔を上げると彼女が覗き込むようにしているのが分かる。


長い黒髪が、シルクのカーテンのように垂れ、艶めいていた。着ていたのはオーバーサイズのワイシャツと黒いタイトなスキニー。シャツを締める細めの黒いネクタイが銀色のネクタイピンで固定されている。


スタイリッシュで綺麗めな服装だった。

俺がいつもと違う雰囲気に見惚れていると、伊織はハンカチを手渡してくる。


自分の鼻から血が垂れていることに、遅れて気がついた。

ありがたく受け取って、止血に注力する。鼻がジンジンと痛み、見なくても赤くなっているのが分かる。

顔を打った痛み、足も擦りむいたようでヒリヒリしていた。屋上で枸琅と対面したときよりも、遥かにダ

メージは大きい。


それも、好きな人に心配までされている。

鼻血が、単に怪我で興奮に由来するものでなかったのが唯一の救い。


そう思うことにした。


俺たちはとりあえず、ベンチに腰掛けて様子を見ることにした。

最悪のスタートダッシュを切ってしまった俺は、内心穏やかではなかった。

なんとか持ち直そうと、話を始めることにする。


「ありがとう、伊織。それにしても早かったね。まだ結局時間あったのに」

「うん。実は楽しみすぎて、集合時間の一時間前には着いてた」

「そんなに?待たせちゃったみたいで、ごめん」

「大丈夫。待ってる時間すら楽しかったから」


それに、と伊織は続ける。


「私が早く来てたせいで、慌てた一志が転んじゃったんだからね」

「それは伊織のせいじゃないよ、俺が自滅しただけだから俺のせい」

「じゃあ、やっぱり私が待たされたのも一志のせいにしちゃおうかな」

「う、まあ…それでいいよ」

「じゃあ、その分今日は楽しませてね?じゃあ、行こうか。何処に連れてってくれるの?」


いつものイタズラっ子の笑みを浮かべて、伊織は立ち上がった。

俺の手を引いて、愉快そうに歩き出す。

そうだ。伊織はこういう表情が一番似合う。


俺の隣で楽しそうに笑って、俺を魅了して離さない。彼女の部分に俺は惹かれたんだ。自分の体裁を保とうとか、カッコ悪いところを見せたくないとか、それではいけない。


自分主体ではなく、彼女の魅力に応えるように、彼女を楽しませるように考えなくては。

危険な目に遭わせた分、楽しんでもらわなくちゃ。


空いてる左手で自分の頬を叩いて、自ら喝を入れる。

お気合いを入れ直すと同時に、彼女の背中が視界に入る。

そこには、大きな肩掛けのバッグが吊るされていた。


そこそこのサイズで、軽く膨らむほどには中身が入っている。

俺は、突然完全に頭から飛んでいた、社のアドバイスを思い出した。


「いいか、一志。女の子は何も入らないような小さいカバンしか持ってこない。荷物なんかはお前が持ってやるんだぞ」


そのアドバイスとは正反対のようなバッグがそこにある。


「もし、カバンが大きくて元から荷物が多かったなら、それは相手がそのデートを楽しみにして相当準備

した証だ。その時は、気持ちに応えられるように頑張るんだぞ」


社は女性経験値がかなり豊富だ。

その彼が言うことが本当なら、そういうことになる。


嬉しいような、こそばゆいような、温かい思いが込み上げてくる。


改めて、決意を新たにした。俺たちのデートが、始まった。

デートプランは社の話を参考に、自分で色々と考えてきていた。店を選び、ルートを長考し、前日の昼までには俺の中では完璧とも言える計画が立った。


だけど、当然不安もある。


俺はデートをしたことがなかったし、これで伊織が喜んでくれるかも不明。

社に相談すると、大丈夫とだけ返事があったがそれでも自信はなかった。


だけど、ここまで来たら後は断じてやる、それだけだ。


そんな決意とは裏腹に、計画は完璧でも、実際やってみないと分からないことは現実では多々ある。

それを実感したのは、最初の段階からだった。


俺は事前に選んでいたカフェで昼食を取る腹積りであったが、その店は休日ということもあり満席で入ることも出来なかった。急遽変更して選択した店はイタリアン系の飲食店だった。

メニューの中で、イカ墨パスタが気になったので食べてみることに。


伊織は普通にペペロンチーノを注文していた。

運ばれてきたそれを食べてながら、軽く会話をしていると伊織が可笑しそうに突然笑い出した。何かと思ったら、イカ墨で歯と舌が黒く染まっていたらしい。


一志、おかしい〜と笑っている伊織だったが俺は恥ずかしくて狼狽えてしまった。

俺は屋上で格上に立ち向かった経験から、勢いや胆力に少し自信をつけていた。

だがこれは別のベクトルで俺を攻めてくる。


それでも心地よさを感じるのは、相手が伊織だからなのだろうか。

分からないが、次の場所では上手くやろう。そう思った。


次に向かったのは、ショッピングだった。

俺はデートプランを組む中で、俺は伊織が好きなものをあまり知らないことに気がついた。

俺は最近までの数年、具体的には高校入学くらいの思春期に入ったあたりから、伊織とあまり会話をして

こなかった。

それは思春期特有の異性を意識した行動だったが、完全に悪手だったと思う。


幼少期や中学あたりまではそこそこ話をしていた筈なのだが…。ともかく、ここ最近の伊織 の好みの変化を俺は知らない。


変わっていないのか、変わっているのか、それすらも。

昔はメロンパンやプリン、パフェなどとにかく甘いモノが好きだった。

最近はどうなんだろう。ということを、自分の頭で考えても仕方がないので、その把握を兼ねて、店を選

ばずにショッピングとして徘徊することに決めた。


本人にもその旨を正直に伝えて、駅直結のモールを回る。

その中で、付き合い始めた記念に、何か一点プレゼントしたいと考えていた。

伊織と取り止めのない話をする。これが可愛い、あれが最近流行ってる、それが最近のお気に入り。彼女

の横と後ろを行ったり来たりしながら、様々な店舗を巡回する。


俺はバイトに勤しんで日々奔走している影響で、流行に疎い。

何かに熱中する時間も、あまり取れていないのが実情だ。

だからこそ、流行をよく捉えていた伊織 の話は面白かった。


自分が知らない世界の話を聞くのは、異世界を体験している気分になる。

モール内の店舗は想像以上に数が多かった。


一通り見るだけで一日は時間が潰せそうな勢いだった。

一、二時間、歩き回り疲労が蓄積した頃。

一度休憩のために、適当な場所で休むことにした。


その間に俺は、トイレに向かうフリをして伊織が一番欲しそうにしていた商品を見に行くことにした。

それは、モールの中央付近にある、様々なグッズを扱う店にある。

名前はうろ覚えだが、トンチキな見目形をした、キャラのグッズを扱っていた。


昔から人気があり、シリーズがたくさん出ているそうだ。

その何とかシリーズのうち、ペンギンのような子のぬいぐるみ。


それの解説に一番力が入っていたのを覚えている。

キャラの力説するとき、最も愛おしそうに触っていた。

その時は、大きなぬいぐるみだな、程度にしか考えていなかったけど、値段を見て驚いた。

とても今の俺が手を出せる代物ではなかったのである。


ここまでくると、財布の中身を見る必要もなかったぐらいだ。

小さいサイズの似たような商品もなかった。

諦めて、トボトボと伊織の元に戻ると、


「あのぬいぐるみ、見に行ってたんでしょー」


と、言われた。全てお見通しだったと言うことか。

敵わないな、と素直に思った。


歩きの疲労を考えて、この辺りで飲食するといい、それが社のアドバイスだった。

計画立案の段階で、社のその一言に得心を持った俺は、店の目処を立てていた。

チョイスはほぼ、というより完全に社の言葉を鵜呑みにしたものだったが。


「あの〜でも食べない?」

「そうだね!たまに友達と食べてるけど、あれ美味しいんだよ」

「そ、そうなの?俺食べたことないからオススメ教えてよ」

「いいよっ。一番凄いの、教えてあげる」


店を知っていたことに、俺は少し驚いた。


事前にかなり勉強もして、リサーチを進めていた。俺が指定した食べ物があるところは、立地の問題で、あたり目立たない場所にある。社も穴場だと言っていた。だからこそ、ショッピング中ほとんどの店舗を知り尽くしていた彼女の知識量には圧倒される。


モール内では、俺は伊織に完全にリードされていた。

店に着いて、伊織に注文してもらう。


完成して、手渡されたのはアイスが乗っかっているワッフルだった。

生地を皿にするように、果物やアイスが乗っかっているモノ。店のおすすめメニューにはなかったはずなので、何かカスタムがされているのだろう。


一人一つ、それを持って近くのベンチに腰掛ける。

丁度、店の前は外と繋がる吹き抜けがあり、空を見ながら飲食ができるようになっていた。


向かい合って、ナイフとフォークを使って食べてみようとする。

そのとき、空から鳥が一羽、俺に目掛けて飛んできた。


鳥の種類を、判別する間もない早業で、綺麗にワッフルだけを掴んで飛び去ろうとした。去り際に俺の頭上でバタバタ飛んで、髪をボサボサに乱していく。

俺は反応する暇もなく、荒らされて、唖然としてしまった。


こんなのに、どう対処しろと言うのか。

伊織はその様子を見て、笑っていた。


笑いつつも、鳥を追い払い、最後には同情してワッフルを半分分けてくれた。

残されたアイス達が、気まずそうに冷えていたのを、俺は生涯忘れない。


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