嵐の前のデート1
結論から言えば、俺と伊織は病院送りとなった。
目が覚めれば、病院の一室で俺は寝かされていた。
白い患者用の服に着替えていて、左手には点滴が一本繋がれている。
見事な入院スタイル。
最初は知らない天井だなんて呑気に考えていたが、すぐに看護師の方が目覚めた俺に気付いてくれて状況を説明してくれた。
俺と伊織は、屋上で怪我をして倒れているのを社によって発見されたらしい。
正確には怪我をしていたのは俺だけで、伊織は意識が朦朧としていたが、外傷は特に見当たらなかったよ
うだ。
その伊織も、隣の病室で念のため検査を受けているとのこと。
社が屋上を訪れて、二人が倒れているのを発見したという。
屋上では壁の一部が凹んでいたり、穴が開いていたようだ。
俺たち以外の姿はなかったが、事件性を感じた警察が後で取り調べに来ると看護師は言った。
考えずとも、枸琅やフィルの影響だろう。
しかし社は俺たち以外の人はいなかったと言っていると聞く。
二人ともどこかに消えてしまったのだろうか。
彼らがあの後どうなったのかも、後でフィルに聞く必要がありそうだ。
遅れて、医者が病室に入ってくる。
俺の容態は打ち身と疲労だけで、一日休めば十分とのことだった。
あれだけ強く背中を打ったのだから、骨折でもしているかと思ったが、痣で済んでいるというから驚き
だ。
伊織も伊織で、ただ気絶してるだけで治療の必要はないと言っていた。
俺たちが個室に入っているのは、警察の取り調べをするための一時的な措置だとも。
一通り説明が終わり、医者も部屋を去っていく。
医者との入れ違いで、今度は社が入室してきた。
「だ、大丈夫かよ一志!」
その顔は慌てていて、深刻そうな面持ち。
心配してくれているのが伝わってくるが、その表情は社には合わないなと思った。
「体の方は一日しっかり休めば問題ないらしいぞ」
むくりと上体を起こして社と向かい合う。
彼は、涙をこらえながら、鼻を啜りながら聞いてきた。
「告白の結果でも見に行こうと思って、屋上に入ってみればお前たちは倒れてるし、病院に運ばれてもしばらく目を覚まさなかったし。俺心配で、心配で…。また、失ったらと思うと…」
「落ち着けって。大丈夫だから。な?」
「でも伊織はまだ意識がないらしいって医者の人が言ってたし」
「それは本当か?」
「ああ、病室が隣だから、様子を見に行ったら面会謝絶って札が…」
本当は、伊織の容態を一刻でも早く見たかった。
だが、俺自身完全に回復したわけではないし、面会謝絶ならそもそも無理だ。
悔しいが、今は大人しくしているしかない。
「なあ、一志。屋上で何があったんだよ。普通じゃないぜ。あんなの」
社は、訝しむように顎を摩った。
涙目であるため、様になっておらず酷く滑稽であった。
「さあ、俺も屋上に出て、伊織を確認した次の瞬間にはもう、気絶してたしな」
俺は、社には悪いが知らないふりを決め込むと決める。
社は良い友人であるが、それ故に巻き込みたくはなかった。
「そうか…。分からないか」
でも、俺の怪我が大したことなさそうで良かったと締めくくり、社は黙り込んでしまう。
しばらくして、彼は意を決したような表情で、口を開こうとした。
「あの、さ」「失礼します。あなたが一志さんですね。」
そのとき、病室に一人の男が入ってきた。くたびれた茶色のスーツに、シンプルなストライプのネクタイ。年老いて白く染まったオールバックは、その渋い顔造りによく似合っている。年相応の風格があった。
「おや、お話し中でしたか。それは失礼しました。」
「失礼ですが、どちら様ですか?」
「おっと、失礼。私、警察の矢頭と申します。以後、お見知りおきを」
俺がそう聞くと、初老の男性は、胸から一冊手帳のようなものを取り出した。
それは、上下に開き、中には紋章と顔写真があった。
つまりは、警察手帳だ。
「刑事さんが来たってことは、俺は邪魔だな。一志、じゃあまた来るぜ」
社は、そういうと、立ち上がって病室を去っていく。
「すみませんねえ」
と、去り行く背中にわざとらしく会釈する矢頭の姿が印象的だった。
「で、警察の方が用ってことは、屋上の出来事を聞きにきたんですよね…?」
年上の方と話すのは苦手な俺は、本題であろう内容を切り出すことにした。看護師の方が取り調べで刑事が来ると事前に伝えてくれていたから、身構えは出来ているつもりだった。
まあ、何を聞かれても知らぬ存ぜぬを貫くが。
妄想力だとか、変な武装勢力が、と話しても頭がおかしいと言われるだけだろう。
「おや、まだ気づきませんか?」
すると、矢頭刑事は不思議なことを聞いてきた。
何に気付かない?どういうことだ。
「ふむ、ではこれでどうでしょうか」
こほん、と彼は一息つくと目を瞑って集中し始めた。
一瞬のうちに、全身が緑色のオーラに包まれて、やがて姿が変化していく。
最終的に、初老の男性は、美少女のガワに変身した。
「フィル!」
柔らかく揺れる桃色の髪、白磁の肌。開かれた瞳も桃色に煌めいている。
まさしく、俺が一番フィルとして馴染みのある姿だった。
「これは見舞いの品だ。そこのテレビで見るといい。前言ってた俺オススメの作品だ。」
と、そこに一つの箱を投げてきた。アニメの円盤であるようだ。投げ渡されて、慌ててキャッチする。なんて渡し方だよ。
そんな俺の気持ちを無視して、フィルは笑う。
「それにしても、ここまでしないと分からないとはな、俺にはちょっとガッカリだ」
「こんなの分かるわけないだろ、今回は声も違ってたんだから」
そりゃそうだ、フィルが言ってと俺たちは笑った。色々質問したいことはあったが、警察の登場だと思って緊張していた俺は、脱力してしまった。
まあ、焦っても、どうにもならない。
とりあえず、落ち着こう。
それは、枸琅と対峙して得た一つの教訓だ。
あの時焦らずに、完全に諦めた素振りをしつつ、枸琅に攻撃できる機会を伺った。
結果として俺は奴に一撃を与えることができたのだ。
何も出来ないと決めつけていた頃に比べたら、俺は少し成長している。
「妄想力って言うのは、色々使い方があるものさ。警察に侵入して、書類を改竄しておく。あんなこと、起こらなかったことにするのが一番だからな」
フィルはそう口にした。
方法は分からなかったが、ここに来たのは力のおかげということだ。
原理は俺にも不明だが、そのうち理解できるようになるだろう。
「なるほどな」
「まあ、ここに来た訳より、知りたいことがあるんじゃないか?聞かないのか?」
「矢継ぎ早に質問しても、フィルが困るだけだろ。俺はとりあえず話を聞くことにするよ。質問はそれからで遅くない。」
「なんだか、少し成長したな」
フィルは感慨深そうに、上を向いた。
深呼吸を一度すると、静かに解説を始める。内容はこんな感じであった。
フィルは、最初、上手く力を制御していたらしい。俺が何かに操られるように動いて、影のようにフッと消えてしまったあのテロリスト達を倒していた頃だ。確かに、相手は枸琅達と同じように訓練されていた
が、それは上手く倒されている、という点でだ。
そして、テロリストが消えて、体が自律したとき。
そう、枸琅率いる軍隊?が現れた頃。フィルは完全に制御を失ってしまった。
異常事態。俺がそう予感したのは全く間違いではなかったのだ。
フィルはすぐさま俺たちの元に駆け寄ろうとしたが、そこでもイレギュラーは起きた。
フィルはその場で気を失ってしまったと言うのである。
体力を著しく奪われて、気絶してしまう。
だから、遅れて登場したということだ。
気絶した理由は分からないが、とにかくあの時、空間の支配権を失ってしまったようだ。
それでやっと屋上に辿り着いてみれば、俺が枸琅と戦っていたと。
フィルは気絶した俺に変わり、枸琅と争った。
フィルが押し始めると、枸琅は兵隊を連れてどこかに去っていったらしい。
「じゃあ、奴等が何者なのか分からなかったのか」
「ああ、逃げられてしまったからな」
「心当たりもないのか?」
「知らん。元の時間軸でも、あんな奴知らん」
「それに、支配権を失った空間は霧散しようとしていた。追跡以前に社が来ていたから、隠れる必要もあったしな」
「トラブルは色々重なったってことか」
「そういうことだ。社は警察も呼ぶす、証拠隠滅に穴を塞いだり、警察に手廻ししたり、色々大変だったんだぞ」
「それはお疲れ様だな」
全くだ。とフィルはここでようやく、疲れた顔を見せる。
俺はフィルに全幅の信頼を寄せていたが、彼だって人間だ。気絶する程の体力消費をした後に、戦闘をこなして相手を撤退まで追い込み、更にその後証拠隠滅のために奔走しているのだ。いくら超人でもオーバ
ーワークなはず。
俺は、純粋に労いの気持ちを持つ。
「ありがとう、フィル。お前のおかげで伊織は無事に済んだ」
特に俺が感謝したかったのは、伊織に怪我がなかったことだ。社の報告で知った彼女の無傷が何より嬉しかった。今回、彼女は完全に巻き込まれただけだった。
これで外傷が付けば、俺はしばらく面と向かって話せなかった。
自分で蒔いた種とはいえ、それだけは避けられて良かった。
「そのことなんだが、伊織は朦朧としているように見えただろうけど、俺が来た頃にはもう気を失っていたんだ。多分、俺の姿は見ていない」
「それで?」
「だから、伊織は一志に助けられたと思い込んでいるだろう。お前への感謝のような気持ちだけが残っていると助かったんだが、俺は力のコントロールを失っていた。襲われた記憶残っていてもおかしくはない。」
妄想力で人を動かす時、操られた人はその記憶が残らない。
体験して得た感情は残ってしまうが、それが何かは思い出せないとフィルは言っていた。
しかし、今回、その力は途中で解けている。
それは、伊織に記憶が残っている可能性を示唆している。
そういうことだった。
「それじゃあ、伊織には襲われたトラウマが残るかもしれないんじゃないか…?」
今最も危惧すべき事態は、伊織の心に傷が残ることだ。
襲われたトラウマを引き摺り、日常生活に支障が出る可能性もゼロとは言い切れない。
「途中で気を失っていたし、お前が最初に助けた所も覚えているとも考えられる。むしろ、記憶が残っていれば、お前が助けた事実が強調されるかもな」
なぜ、心配の一つもしないんだ。
あっけらかんとしているフィルに苛立ちを覚える。
「伊織が心配じゃなのか?俺たちのせいでこんな目に遭ってるんだぞ!」
「イレギュラーが起きたことは認める。俺の責任は大きい。だが、起きた事象はもう覆せないんだ。現状をどう最善に繋がれるか、それを考えなくちゃいけない」
俺は絶句してしまった。
彼は冷徹であると同時に冷酷だった。
先を見据えて、既に次の手を考えている。
それが、俺には恐ろしかった。
とても、同じ人間だとは思えない。
俺が答えあぐねていると、フィルは続けて言った。
「それに、精神的に弱っているなら、お前が支えてやればいい。二人の距離は確実に縮まる。そう言う意味なら、外傷だけあれば寄り添うのは簡単だったな」
「フィル!」
俺は、衝動に駆られて胸ぐらを掴んだ。
無理に立ち上がったから、点滴が倒れてしまった。
大きな音が病室に響き、後には沈黙だけが残る。
「大人になるとな、打算的に考えるか、自分を納得させるかの二択が迫られることがあるのさ。だが、今のは流石に悪かった。すまない。俺はしばらく頭を冷やしてくるよ」
大人になるとは、こうも思考が変わってしまうということなのだろうか。
怒りが過ぎると、今度は悲しみがやってくる。
フィルは俺の手を振り解いて、後ろを向いた。ここで、俺は彼の肩が震えてるのに気がついた。フィルも、もしかしたら動揺していただけなのかもしれない。
そのまま病室から去っていく背中は、異様に小さく感じる。
俺はフィルがいなくなった後、手持ち無沙汰になってフィルが持ってきた作品を見ることにした。しばらく鑑賞して、エンディングを迎える。
感想は、つまらないの一言だった。
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