初めての戦闘は敗北と予想外の味3

先生にフィルとの同棲や、今日の出欠席について確認してから教室に戻る。


教室では、前言撤回したくなるほどの質問攻めにされたのは言うまでもない。

フィルは自分の席で、クラスメイトから貢がれた食料を優社に口にしていた。アイツが昼は自分で何とかするといったのはこういうことか。


なんともやるせない気持ちになる。


質問の標的になった俺は、食べたとんかつ以上のエネルギーを消費した。


放課後、いつも以上に体に疲労が溜まっている。


バイトには欠席連絡を入れておいた。申し訳ないが、何故か疲労が蓄積しているのと、放課後にはフィルと作戦の実行をする約束を取り付けてしまっているから休むことにした。


長く働いていたおかげで、バイトでも有給が出ており、それを使用する方向で話もすんなりまとまった。

日頃休むことが滅多にない俺への信頼の証だと店長には言われた。

俺は今まで、伊織と話せないことで完全に自己肯定感が下がってた。


ダメな奴と自分を自分で否定してしまっていた。

だけど、バイトの店長の一言で、そうではないと思えた。


クラスの連中は、一度説明が済むと現金なもので絡んでくることもなくニコニコして帰っていった。先生にはちゃんと一緒に住んでいることと、それを秘密にしていることを昼に伝えた。隠していたことや、フ

ィルの人気を侮っていた先生は必至な俺から何かを感じ取ったのか、謝罪してきたのが印象的だった。


クラスメイトには、住所が同じなのは先生の勘違いとか、親の記載ミスと声を張って言い張り、それを聞

いたフィルが察して肯定してくれたことが要因となり疑いの目はなくなった。

もちろん、一部の男女は怪しい視線を投げかけてはくるが。


それでも、材料がないから接触してくることもない。

目立つことを避けられれば、これ以上は何も言ってはこないはずだ。


社と伊織には真実を話したが、二人から漏れることもまずあるまい。

事情を察して黙っていてくれるはずだ。


フィルが目立つタイプになので、一概に大丈夫とは断言できないのが悲しいところである。

不意に、伊織の方を見てみる。

授業中、俺は完全に眠りこけていた。


だから、彼女がどういった心持でいるのか、どんな仕草で放課後を待っているのか知らなかったのだ。

社に、放課後に屋上に来るよう連絡されているはずだ。


それも、俺から。


気にはなっていたが、睡眠欲が勝ってしまったのだ。

我ながら、神経が太くなったなと思う。向こうは俺が告白すると思って、気になっているかもしれない。そうでなくとも、あの俺から呼び出しなんて正直内容などほぼ一択みたいなものだ。


俺は割と分かりやすいタイプだという自覚があった。

だからこそ、伊織がどんな風に過ごしていたのか、気になった。


「~~!」


顔を向けると、あからさまに視線を逸らされる。遠目でも、頬が赤らんでいるのが分かった。蒸気が上ったように照れている。少なくとも、いつも俺をからかう伊織とは明白な差があった。

そのままカバンを掴んで外に飛び出してしまった。


あれは完全に告白だと思い込んでいるな。

社の奴がこっちに寄ってきて、頑張れよ、とか約束は果たしたぜと意気揚々と告げてくる。


完全に余計なことまで吹き込んだようで、だらしなく口が開いていた。

相当に嬉しいことが伝わってきた。

とりあえず、教室を出て屋上に向かうことにする。


教室に戻ることはないだろうから荷物の確認も欠かさない。

フィルは昨日と変わらず大勢の人間に囲まれていた。

流石に、もう姿すら見えないほどではなくなっていて、ただ周囲に人が多いといった具合で済んでいる。


「放課後みんなで遊ばない?」と誘われていたが、丁重に断りを入れているようだった。


スルーして、彼の後ろを通り過ぎて、教室を後にしようとしたとき、


(とにかく気にせず屋上に行けばいい。それだけで後はどうにかなる)


そう脳内に声が響く。

どうやら妄想力は、テレパシーや念話まがいのことまで力が及ぶらしい。


分かったと、届いているかは分からないが頭の中で返事をして、振り返ることもなく廊下に出る。

放課後特有の雑踏が辺りには満ちていた。


部活に向かう連中、帰りに遊びに行くグループ。

学業から一時的に解放されて自由を感じている生徒は多く、笑顔が咲いている。

そんな中、俺は緊張の面持ちで屋上へ向かう。


この間、ドアのカギは開けたまま放置したので、入ることは容易だ。

それに重要な部分はフィル任せで、俺はただ向かうだけでよい。つまり、段取りも必要がないので、そこまで気負う必要は俺にはなかった。


しかし、それでも伊織と二人きりになる。

そのことを強く意識すると、緊張せずにはいられない。

少しは話せるようになったからと言って、突然二人きりになるというのはハードルを感じてしまう。


何を話せばいいのかも分からなくなる予感しかしない。

それでも、既に伊織は先に待っている可能性もある。

何度も繰り返すようだが、逃げることは選択肢に入ってはいけないのだ。


ここで選択肢に逃げが入れば、俺はそれを選択してしまうだろうから。

だから、無心になってひたすら屋上へ足を引っ張る。

扉を開くと、キイと建付けの悪さを感じた。


伊織は、もうそこにいた。


春の夕暮れは、冬よりは空は明るく、夏よりは暗い。

晴天に浮かぶいくつかの雲が、これから去る太陽の残光を浴びて一部を赤く染めている。

こちらに伸びている影の先、頭は足元にあった。その影を辿って前を見やれば、静謐な空気の中、伊織がこちらを向いて待っていた。


春の風を受けて、僅かに服が揺れている。

俺は、ドアノブを握った姿勢で固まって、見とれてしまう。

黒い色の制服に身を包んでいても、彼女は輝いているようだった。


だが、浸っているのも束の間、空気が変わる。


一見、周囲には何の変化もない。

しかし、それまでの落ち着いていた空気が、一瞬張り詰めたのを肌で感じる。

それは、俺が霧の折の中に閉じ込められたときに感じた、あの緊張感を孕んでいた。

俺は、身震いを感じながらも、伊織の元へ距離を詰める。


さっきまで五月蠅いと感じていた学校の音が遠くなる。

目の前の状況に集中しているからとか、そういった心理的な意味ではない。

物理的に、遮断されているような感覚。


これは、間違いなくフィルの妄想力が働き始めた証拠である気がした。


「一志…」


伊織は唇をぐっと引き締めている。

彼女自身はただ緊張しているのみで、特段おかしな様子はない。


疑う、という訳ではないが俺の中で妄想力の中では、人がゾンビのごとく行動する姿しか知らないのだ。家や学校であれだけ自信満々だったフィル。確かに実力は拝見していたが、一抹の不安があった。

だが、それも特に心配する必要はなさそうだ。


(ここに、テロリストたちが来るのか…)


普段妄想していた状況が現実のものとなる。まだその実感が得られていない。

だってそうだろう。授業中や暇なときに、頭の中で思い描くシチュエーションを再現すると聞かされても

実際に体験までしてみないと信じられなかった。

ましてや、告白されるとか、単に俺が活躍するというのではなく、テロリストからヒロインを守るという

内容。

冷静に考えれば、テロリストなどが日本の学校を襲うわけがないのだ。


どんなに考えても、メリットが全くないといっても過言ではない。

だが、そんな思考は一瞬で砕かれる。


「…!」


突然、陰から滲み出るようにして、人々が現れた。目出し帽で顔を隠した、武装集団。手にそれぞれが武器を所持している、マフィアのような人々。


伊織も、驚いて声も出ていないようだった。

俺は、こいつらから伊織を守るのか…?


とても勝てそうにないが。

思っていると、自然と体が動いた。


これが、妄想力でコントロールされている感覚なのか、と思った。

目を瞑っても、体が動き、一人、また一人と俺の拳が彼らをなぎ倒していく。


ボス格の男が伊織を拘束しようとする前に、俺のドロップキックが決まった。

これで、ほとんど制圧完了、か?驚くほど呆気ないが、これでいいのだろうか。


伊織も、助かったというよりは、困惑している様子。

気まずい沈黙が、辺りを支配した。


しばらくすると、何の前触れもなく、テロリスト達が溶けていった。

妄想力で出した物体が消えていくときの、あの感じだ。


「今度は何だ…!?」


そして、その代わりとでも言うように。

突如、頭上にヘリコプターが出現した。

何処からともなく、音もたてずに。


まるで無から一瞬で出たような、それかワープしてきたのか。

ともかく、気が付けば頭上十数メートルの点にヘリコプターがホバリングしていて、下にいる俺たちは風に包まれて身動きも取れなかった。


その機体の中から、一人。


軍服を着た男が、落ちてきた。

俺と伊織の間に割って入るように、綺麗に着地して、綺麗に屹立する。


すると役目を果たしたということなのか、ヘリはまたしても一瞬で出た時同様に姿を消してしまった。手品でも見ているようであった。


「な、なに…!?」


伊織はキツネにつままれたように固まっている。

さっきとは違って、怯えたように身を縮めて、本能的な恐怖を感じているようだった。


それも無理のない話だ。男から発せられる威圧感は只者ではない。人と殴り合いもしたことがない俺がここまでオーラを感じられるくらいだ。素人でも分かる強者というのは、一般人では太刀打ちができないのが定石。


ここからが、本番、ということか?

俺は、こいつに勝って伊織を救う、のか?


改めて相手を観察する。

男は水色の髪と瞳をしていた。髪は肩より下まで伸びていて、一本一本が細い。目は疲れた印象を受けるが、目の縁を水色の線、化粧?が囲っている。肌や白く若い、とても軍人とは思えない綺麗なものだっ

た。


軍服すらコスプレに見えるチグハグさだった。

俺はファーストインプレッションとして、フィルを思い浮かべた。


一見女性に見えなくもないが、中身は男。フィルはサンタの、男は軍人のコスプレ。

顔立ちは違うが、身長も似たり寄ったりで、髪や瞳の色味を正反対にしたらこうなるだろうという具合だ。


登場の仕方といい、外見といい、フィルの影響下にあるのが肌で分かる。


「力を感じてきたものの、誰が主か分からないな」


声は凛としているが、やはり男のそれであった。フィルより数段低く、渋みがある。

外見の若さとのギャップが、一定の支持を集めそうである。これが妄想で出てきたということは、俺は彼のようなタイプに憧れを持つようになるのか?単にテロリスト像として、ああいうのを思い浮かべているのか。どうでもいいことを考えてしまった。


だが、それ以上に気になったのは、話した内容について。

あまり軍人らしくないなと思った。それに力がどうこう言っているのが気になる。

不穏を感じているのは伊織も同じようで、彼女も不安そうだった。


男は、俺を一瞥すると、伊織の方に振り返った。


「こいつは…違うな。覇気を感じられない」


軍人のように訓練されたターンをして、半回転。伊織と向かい合う。

ゆっくり間を詰める。あと数歩で手が届く、そのときだった。


「!」


男は一瞬にして、彼女の背後に移動した。後ろから左腕を引き、ひねり上げる。伊織は何をされたのかも分からないままに苦悶の表情を浮かべ、膝から崩れ落ちてしまう。


眼前で一部始終を目撃していた俺ですら、ワープでもしたんじゃないかと錯覚してしまうほどの速さ。

伊織の危機を実感した俺は、無意識のうちに駆け出していた。入り口の少し段差になっている部分に足を

掛けて、勢いよく飛び出していく。


そんな俺に見向きもせず、


「お前たちも少し仕事があるようだな。出てきていいぞ」


と合図する。

すると、背後から人の気配を感じた。


男ほど強いものではないが、確実な殺気を持っている武人の空気。

俺は、その威圧を背中に受けると同時に、次の瞬間には地面に倒れていた。

一瞬、何をされたのか分からなかった。


遅れて、何者かに拘束されたのだと理解する。

うつ伏せの状態で、背中に石でも載せられたように、自由が利かない。

僅かに動く首を上にあげて、周囲に目をやれば変わらず伊織が苦しそうにしているのが分かった。


助けを求めるような目と、恐怖からくる細い息遣い。

俺が妄想する伊織の窮地の姿より、はるかに状況は悪い。


囚われの姫、というよりは、本物の人質のようだった。

眼球だけを動かして周りを観察すると、伊織を拘束している男と同じ軍服を着た兵士が幾人が列を成して並んでいた。


兵士はどれもガスマスクのようなもので顔を覆い、ヘルメットで頭を守っている。

手には、名も知らぬ銃が装備されていて本当のテロリストのようだった。

男との違いは、軍服がかなり着古されていることと、靴の汚れ具合。


彼はその水色の髪のようにきれいな服と靴であるのに対して、兵士の全員がやつれているような感じである。


両脇に列を作って、綺麗に整列している。

俺が動けないのはこの内一人に拘束されているということか。


どこからこの人数が現れたというのか不思議なほど数は多い。

拘束している男の力は尋常ではなく、自力では脱出できない。

配列を見る限り、伊織を抑えているのがボス、それ以外は一般兵といった具合か。


その一般兵ですら俺の力でどうにかなるものではないのが肌感覚で分かる。

まして、ボスなど俺では手も足も出ないだろう。

いや、そもそも彼のもとにたどり着くことさえ不可能。


つまり、完全に俺の手に負えるような状況ではなくなっているのだ。

フィルは、俺が活躍できるように調整すると言っていたが、むしろ俺が活躍しないように調整しているのではないかと思う。


それか、イレギュラーが発生しているのか。

体が、自由に動く。最初は、コントロールされている感覚があったが、今はそれがない。

異常事態、なのではないか。そんな考えが頭をよぎる。

俺が最初、自分の力をコントロール出来ていなかったせいで、不良に一方的にやられそうになっていたの

を思い出す。


フィルに力は一部だけでも相当な実力だった。


その彼が初心者のようなミスをすることはありえない。

断言してもいい、これは異常事態だ。


単に俺の力量不足というには、明らかに実力に差がありすぎる。

これでは小鹿がライオンに喧嘩を売っているようなもの。


「お前、ユーザーか?」


思考を回していると、男がそう言った。

聞かれたのは、伊織。

だけど、伊織は、何も答えられない。


顔が引きつり、呼吸も乱れている。声を出すことすら厳しいのだろう。

手も足も出ず、助けられないことに苛立ちを覚える。せめて声をかけようと肺に空気を入れようとすると、それを察知した兵士が体重をかけて、それを阻止してくる。


そのうえで、口を塞がれ、俺自身も危うい状況になった。


頭に空気が回らないので、思考も鈍る。


「し、知らない…分か、らない…」


伊織が口を開かないのを確認すると、男は拘束する力を強めた。

本当に知らないかどうか確かめるように、締め上げる。そこに一切迷いはない。


「ほ、本当に…何も…」


ようやく漏れ出た言葉も、情報量はなく、彼らの求める返答ではなかったようで、男は少しだけ不機嫌そうな顔をした。


かと思うと、拘束を解いて一気に伊織を解放した。

伊織は解放された後もその場で蹲り、息が上がっていた。

少しだけ違和感を覚える。伊織は、もっと強気の女の子だったような気がする。昔はよく口論したし、フ

ィルとも話したように喧嘩もしたことがある。だけど、今の伊織はあまりにも非力だと感じる。

いや、こんな異常事態で気丈になれる方がおかしいか。


変なことを考えるのはよそう。今は彼女の身の安全が重要だ。

俺は伊織の方に駆け寄りたかったが、抵抗することも虚しく何も変化は生じない。


ピンチ、そうピンチだ。


訓練された兵の前では、一学生の力など無力。

それを嫌というほどに実感させられる。

男は伊織から離れると、今度は俺の前までやってくる。


「それならお前か?お前がユーザーか?」


奴の靴が眼前まで迫る。頭上から声が降ってきた。

淡々と、確認作業といった感じで、質問には感情の色がない。

だけど、伊織同様に俺も質問に答えられない。


「ああ、そうか。お前、緩めてやれ」


返答が出来ないのを、拘束されているせいだと思ったらしい。実際それもあるが、俺だってユーザーか、なんて言われても何のことか分からない。


答えようがない。


指示を受けて、俺を抑えていた手が離れ、全身の圧が緩くなる。

自由と呼べるレベルではないが、話す分には問題がない程度。


力のさじ加減を熟知していることを実感させられるような調整具合だった。


「ユーザーなんて聞いたことがない。俺たちは何も知らない!」


俺は、肺を一度大きく膨らませて、抗議の意味も込めて口を開く。

だけど、それは相手にとって不十分だったようだ。


「どちらも知らないということはありえないはずだ。空間の中心がここなのは間違いないのだからな」

「空間…?中心…?」

「なるほど。この町ではこの前、弱い反応が一つあっただけだったな。初心者、目覚めたばかりでコントロールも出来ていない可能性もある、か。」


彼は一人で納得して、一人で話を進める。

俺は、いまいち状況が掴めない。


ただ、フィルにとってもイレギュラーが起きたのではないかという疑いが、確信に傾倒してく。

俺のそんな思考を無視するように、体が無理矢理起こされる。


背中から引っ張られるようにして、視線が高くなっていく。

どうやら、俺は背中を抑えていた軍人に腕力一つで起こされたらしい。


目線がもとに戻ったあたりで、自立するよう促されて、地面に足を付けた。

ボス格の男が、一、二歩という距離にいる。


相変わらず、無表情に近く何を考えているのか分からない水色の瞳が俺を見据えていた。


俺は下を向いていたから知る由もなかったが、彼が俺を立たせるように指示したのだろう。

ふっとため息を一つ零し、話を続ける。


「では言い方を変えよう。この空間、いやこの状況は貴様が望んだ状況なのではないのか」


俺は、ドキリと心に釘が刺されたような錯覚を感じた。


「お前は自分が想像したものを自由に出せたり消したり出来るんじゃないのか?まあ、そこまで力が使いこなせるものは片指の数ほどもいないがな。だが、それに準することが出来る。その可能性はあると思っている」


彼が言っているのは、妄想力のことだ。

言われた言葉で、思い当たることは、それしかない。

ものを自由に出したり消したり、望んだ状況という単語。


フィルと力について、語ったときに聞かされたそれと被っている。

こいつは、妄想力の存在を知っているということを示しているのだ。


「俺たちは、そんな力を有している人間をユーザーと呼称している」


俺たちが妄想力と認識している力、それを扱える人間がユーザーということか。

自分が今いる状況が、もともとはフィルの支配下にあるはずだったもの。


更にフィルから聞かされていた力の詳細。


その前提があったからこそ、話は自然と頭に入った。

突然言われた内容も、違和感なく咀嚼して飲み込むことができる。


「俺たちがその訳の分からない力を持っているとでも?勘違いじゃないのか?」


だが、白状するのはマズい。何故か本能がそう告げていた。

故に、嘘を吐く。


「確かに勘違いの可能性も高いな。だが、この空間の中心は間違いなくここだ。お前がそうでなくても、

こいつがそうである可能性も残っている」


男は、伊織の方をチラリと横目で確認する。

淡白な瞳が、彼女を射抜く。


そして、再びへそを彼女の方に向けて、近寄っていく。

俺は一連の所作に、言いようもない不安に襲われる。

このまま奴と伊織が接触するのはよくない気がする。


伊織は怯えた様子で、恐怖に顔が引きつっている。

後ずさりしようと体を動かすが、震えて上手く移動もできていない。


「何なんだよ、お前たちは…!」


俺は、内側からあふれ出る怒りを、そのまま言の葉に乗せる。

こいつらは、俺の、フィルの妄想の世界に入り込んだイレギュラーだ。


彼らの存在が、全ての計算を狂わせ、伊織をあれだけ追い詰めている。

フィルもフィルで、なんで現れない。


今、現状を打破する力を持っているのは、確実にお前だけだ。

そして、一番俺がムカついているのは俺自身。

フィルのように、自分の力を成熟させられていれば、例えこうして不都合が起こっても対処することができたはずだった。


「そうか、まだ名乗っていなかったか。」


男は、顔だけ振り向かせ、一言。


「俺たちはワールドオーダー。世界のバランスを崩す力を持つものを、抹殺する機関の要因。そして、俺は能力者管理部第三課、枸琅大佐だ」


よく覚えておくがいい、と付け加え伊織の方に向き直る。


「まずは、こいつから聞き出すことにするかな。少し痛い目を見れば正直になるだろう」


俺は、ここで体が自由になっていることを思い出した。


今なら、助けに向かえる。

頑張っても勝てない未来しか想像できないが、ここで立ち止まることも後悔するに違いなかった。何より、体は既に動いていて、意思とは無関係に走り出していた。


俺を抑えていた軍人は離れているらしく、抑えられることもなさそうだ。

あれだけ訓練されている人間でも、隙はあるらしい。


そこに勝機がある。


そう、勘違いをしてしまった。

枸琅と名乗る水色の男。


彼に向けて、正確にはその先にいる伊織に向かって全力で進む。

屋上などといっても、そこまで広いわけではない。全力で走れば、端から端まで十秒もかからない距離。だから、枸琅との間が詰まるのも、一瞬だった。あと一歩で背中に手が届く。奴の背中を引っ張って後ろに突き飛ばす。


そうするために、手を伸ばす。

だが、枸琅は俺の動きを読んでいたようだった。

右足を軸にして、左足で蹴りの姿勢を作った。


そのまま攻撃の体制に入り、左足の靴の底が俺の腹に命中する。

後ろを向いていたはずなのに、間合いが完璧だった。

後ろに目でもついているのか。


俺は、駆け出したままの慣性を維持して、その足に吸い込まれるように突っ込んでしまっている。勢いを殺すことも、方向を転換することも、この短距離では不可能だ。奴の足は腹に直撃して、俺は倒れるだろう。


伊織を最初に拘束した時の動き。

あの速度で動ける機敏さで攻撃されれば、ひとたまりもないだろう。

軍人を統率する立場の彼が、生半可であるわけがなかった。

だけど、ここで意識を刈り取られてしまうようなことがあれば、伊織を助ける機会は失われてしまう。


俺を、俺の体を守る道具が必要だ。

それも、枸琅の攻撃を完全に防げるような何かが。

防ぐ、といえば、俺が好きなゲームに出てくる伝説の盾、あれが連想される。

いかなる敵の攻撃をも絶ち、主人を守る鉄壁の盾。


ああいうのが、今この場にあったら!

そう思ったとき、グン、と体力が奪われるのを感じた。


それまで感じたことのないような、圧倒的な疲れに全身を支配され、一瞬で脱力してしまった。

足ががくんと崩れて、前のめりに転びそうになる。

枸琅の蹴りは、ゆっくりと俺に飛んできた。


だが、それが俺に届くことはなかった。

彼の足と俺の腹の間に、リュックサックぐらいの大きさの盾が現れていた。

宙に浮いて、枸琅の攻撃から身を守ってくれている。


彼の蹴りによって少しへこんでしまっているが、その形状は。

確かにゲーム内の伝説の盾のそれだった。

そう、俺はほとんど無意識で妄想力を発動したのだ。


「ビンゴだ!」


枸琅は、そう叫んでもう一度、攻撃態勢に入ろうとしている。

俺を守った盾は、俺が転ぶのとほぼ同時に消えてなくなってしまった。


「やっぱりお前がユーザーなんじゃねえか、坊主よお」


ここで初めて、枸琅は嬉しそうな恍惚した顔をしてみせた。だけど、その歪んだ恍惚は、相手を読んで容赦なく叩きのめすことが出来ると判断したような、害成す人間だけがする卑しさを孕んでいた。


俺は咄嗟に後転を二回繰り返し、後ろに下がる。


後転といえば聞こえはいいが、無様にクルクル回って移動しただけだ。

本能的な恐怖を感じて、咄嗟に体が動いたに過ぎない。


「こいつは大切な人なんだろ?大切な人の安全が脅かされることを感じ取れば、お前がユーザーだった場

合、しっぽを出すと思ったんだが、思った通りだったな。拷問するのも手続きが必要で面倒なんだ。さっさと正体表してくれて助かったぜ。正直、女を二回三回殴らないと動かないと思ってたんだけどな。だが、これでユーザーは判明した。堂々と人間を殴って殺せる権利が手に入ったってことだよなあ。ああ、分かりやすく拘束を解いてやった瞬間これだぜ。くっく。分かりやすくていいなあ。ちきしょう」


枸琅は、突然饒舌に話し出した。


焦点の合わない目で悠々と語る姿は、悪魔でも憑依したようだった。

両手を広げて、演説でもするかのように、笑っている。


あまりにも、気味が悪い光景。

周囲の軍人が一切動じていない上に、一歩も動いていないのも不気味だ。

伊織は異常を目の当たりにして、完全に固まってしまって呆然自失している。

俺もどうしていいか分からず、身動きを取れないでいる。


枸琅だけが、この空間で自由を手にしていた。

彼は、その高いテンションを維持したまま、どこからともなくナイフを二本、取り出した。

片手に一本ずつ、装備して片方に舌なめずりをする。


それを合図に、俺に向かって走って迫ってくる。

ここで、彼の言葉の意味だとか、色々考えていても仕方がない。


殺意が、迫ってくる。


その事実に対抗することだけが重要である。

今度は落ち着いて、自分の意志で妄想力を発動さることに意識を集中させる。

先ほど、体力をかなり消費して出した盾でも枸琅の攻撃を受けて凹んでしまった。


たまたま、防げたから良かったものの、あれより弱い防具が出てきてしまったら。

彼の手は貫通して、俺の体に届いてしまう。


体勢は悪いが、今はどうでもいい。

とにかく、集中して、防げるものを出し続けることが重要だ。


「!」


両手を前に向けて、妄想する。

身を守る盾、壁、鉄の塊、ありとあらゆる硬いものを想起した。


その行為の果てに現出した、いくつもの物体が、彼の枸琅のナイフによって裂かれていく。硬いも、大きいも関係なく、綺麗に真っ二つになっていく。


出しては、切られ、出しては、切られ。

その度に二人の距離は詰められてしまう。

抵抗も虚しく、体力だけが防御のためだけに消費されていった。


攻撃に転じることはできない。防ぐので精一杯であるし、隙を見ようにも、素人の俺には全く飛び込めるような瞬間が見えてこない。だが、このまま消耗戦を継続すれば、俺の敗北は時間の問題になるのは確実だ。


「中々しぶといじゃないか!だけど、守るだけじゃ勝てないぜ!」


枸琅が楽しそうに、叫んでいる。

彼が、本気を出しているわけではないのは分かっている。

両手のナイフを、俺が出した障害物に合わせて振っているだけだ。

本気を出せば、俺など瞬殺されてしまうだろう。


俺は、夢中になって、妄想し続ける。とにかく硬いものを、出し続ける。

そのうち、俺は体力が限界に近づいてきているのを感じ取った。


あと数回も力を使えば、ガス欠になってしまう。

その予感があった。

だから、彼が本気を出していない今、一撃くらいなら、返せるのではないか。


状況を変える妄想でもすれば、何かが変化するかもしれないが、俺はそこまで力をコントロール出来ていない。

だがせめて、一太刀食らわせてやりたい。そのための武器が必要だ。


俺は一度妄想を止める。


「おいおい、もうお終いかよ?」


それを、降参の印と枸琅は受け取ったのか、彼は心底つまらなさそうだった。

ナイフをピザ生地のように回転させて、どこかにしまった。


「抵抗しない奴をそのまま殺しても面白くないんだけど、まあ仕方ないか。今回はハズレだったな」


靴音をわざとらしく鳴らして、寄ってくる。

必死になっていたから、距離感が掴めていなかったが、枸琅はもうすぐそこにいた。


肩を軽く押されて、俺は尻餅をついてしまった。

体力が想像以上に消費されていることを実感する。

疲労というものは、一度認識してしまうと、それまで気にならなかったダメージの蓄積が強くのしかかる

のだ。俺は座ってしまい、ヒューヒューと、肺がチューニングに失敗した笛のように、弱弱しく鳴っている。


普段、全力で走ってもここまでは疲れない。


アルバイトでも、たまに肉体労働をするが、体力に不自由したこともなかった。

普段スポーツでもやっていれば、ここまで消耗しなかっただろうか。

だけど、今更この状況で憂いても仕方がない。


「話すことも叶わない、か」


枸琅は、蹴りの構えを取る。

容赦なく、俺の命を刈り取るつもりのようだった。


奴の靴が、眼前に迫る。


「…ここだ!」


だけど、俺も諦めてはいなかった。

せめて、伊織だけでも逃げられるように、隙が生じるように、一石を投じるために動く。

俺は、残り僅かに残っていた力を振り絞って叫ぶ。


守るだけじゃダメなんだ。せめて、一撃。

そう一撃与えられるだけで十分だ。


一瞬のうちに、妄想力を極限まで高める。創造するのは、圧倒的な攻撃力。

俺にも扱えて、軽く、威力の高い武器。

頭に最初に浮かんだのは、ゲームで愛用した一振りの剣。


それは、防御するときに出した盾と対になる伝説の刃。

それが、右手に握られている。イメージを持つ。


その次の瞬間。


「ぐああっ…!」


俺の右手にはそれが握られていた。

光り輝く白の刀身が、枸琅の足に食い込んでいる。

枸琅は、痛みで一瞬怯み、一歩下がった。それは、俺の一撃が奴にダメージを与えた何よりの証拠だっ

た。

やった!これで、一瞬隙を作った。


「貴様!」


と思った直後、俺は背中に強い衝撃を受けた。体が衝撃を受けて、目が白く点灯する。

痛み、衝撃、昏倒。今の剣を出したので体力を使い果たした俺は、何が起こったのか認識することが出来なかった。


息がつまり、苦しみだけが全身を支配する。

遅れて、カランという音が耳元で鳴った。

顔を横にしてみると、真横で俺が出した剣が、タイルに落ちていた。


数回跳ねるとそのまま空に溶けて消えていく。

俺は、地面にうつ伏せになって倒れていた。

その事実を理解するのに経過した時間は数秒では済まなかった。


なんとか面を上げて、前を見る。そこには動揺している伊織と、怒り狂っている枸琅がいた。枸琅はそれまでの鉄面皮が嘘だったかのように、目元が歪み、口は牙を剥いている。

どうやら俺は、奴にぶっ飛ばされて、壁に激突したらしい。


背中や頭に受けた衝撃を考えれば、生きている方がどうかしてる。

助かったのは完全に奇跡といえた。


「おい、そいつを立たせろ」


だが、無慈悲に、枸琅はそのせっかく拾った命を再び死に追いやろうとする。

指示を受けて軍服が二人、俺の両脇をそれぞれ持ち上げて立たせようとしてきた。

だけど、俺は完全に力を使い果たして、もう足が言うことを聞かない。


歩くどころか、足を動かすことも自由にはできなかった。

俺は、二人の一般兵に吊るされるようにして、枸琅と対面した。

磔にされる気持ちが、理解できてしまった。


「動くなよ。俺に怪我を負わせたユーザーは、お前が初めてだ。俺の最高の一撃を以て、お前は殺してやる。光栄に思え!」


叫ぶと、遠くにいた枸琅は、右の拳を構えた。

その手の内に、どこからともなく、エネルギーが集約していき、彼の右手は水色に輝くオーラに包まれていく。あれに攻撃されれば、もう命はない。

そう思わせるのに、十分な光量が、あの掌に集まった。


そのまま、彼は助走をつけて、走ってくる。

拳が、迫ってくる。


もうだめだ。

もう、何もすることができない。


そう、思ったとき。


「待たせたな。一志。いや、もう一人の俺!」


声が頭上から降ってきた。聞きなじみのあるその声は。

遅れて、一人のシルエットが俺たちの間に割り込んだ。


赤いサンタのその恰好は。


まさに、フィル、未来の俺だった。

枸琅が、乱入者に動揺することはなかった。


こいつを殺せ、あいつは俺が殺すと息巻いて、周囲に指示を飛ばす。

指示を受けた側も、遅れることなく、命に従って行動を始めた。

流石は、訓練されたであろう軍人?なだけはある。


こうしたイレギュラーの事態に咄嗟に対応できる判断力や決断力。

俺が、この状況がフィルにとってもイレギュラーだと感じたとき、何もできなかったことを考えると非常に統率の取れた動きをしている。


俺を抱えていた二人だけは、変わらず俺を担いでいるが、状況が見やすいので有り難い。

フィルは、サンタの格好に、白い大きなプレゼント袋という既視感のある格好をしていた。

フィルは、その袋を、右に左に振るって襲ってくる敵を効率よく裁いていく。

袋が間に合わなくなると、右手に剣を持って応戦した。


その剣は、白い刀身で、見慣れた姿かたちをしている。

そう、俺が枸琅に一撃入れた、あの伝説の剣だ。

あの場面を知ってか知らずか、俺たちは二人とも似たような思考をしているようだ。


まあ、同一人物だから当たり前のことか。

俺は、一瞬で思考に余裕が出たのを感じ取る。

安心感を覚えるだけの実力が、アイツにはあった。

一人、二人と次々に軍人は倒れ、酷いものは血を流して昏倒している。

あっという間に事態は展開していき、気が付けば。


この場には俺とフィル、枸琅に伊織。

それしか残っていなかった。

フィルは、俺を抑えていた軍人二人もなぎ倒す。

支えを失った俺は、重力に従って落ちそうになり、地面とキスする直前でフィルに抱えられた。


「悪かったな。俺にとっても異常事態が発生した。助けに来るのに時間がかかってしまった。後は任せておけ。伊織も俺が助けてやる。」


フィルは、柔らかく微笑んでそう断言した。

何よりも安心する、絶対的な強者感。

俺は、そこで張りつめていた糸が切れてしまうのを感じた。


意識が遠のいていき、やがて俺はそのまま意識を失ってしまった。


全てをフィルに託して。

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