妄想力4

バイトから帰宅する頃には日付が変わっていた。


ここから風呂やご飯、考えているだけで億劫になってくるのを感じる。

鈍る頭を繋ぎとめて、せめて布団に入ろうと意識を保つ。


フィルの転校に、伊織との会話、アルバイト。


今日はいつもと比して、考えること、感じること、疲れることが多かった。

前日に妄想力なんてとんでもない力のせいで、自転車が故障してバイトにすら歩いていかなければならなかったのだ。

精神的だけでなく、肉体的にも疲労は蓄積している。


「よう、おかえり。随分お疲れのようだな」


そんな現状の俺を迎える者がいた。

その者は、キッチンに立って何か調理をしているようだった。

両親が遠いところにいる俺にとって、この家は一軒家といっても一人暮らしをする空間でしかない。


「何勝手にキッチンで調理なんてしているんだよ」


兄弟姉妹はいないため、誰かが家にいるのはありえないのだ。

俺が一人なのを心配して、時折伊織と社が様子を見に来てくれるが、鍵は渡していないので、自由に出入りはできない。その上最近は伊織を意識しているせいで家に上げることもあまりなかった。


「お前は俺だろ?自分の家を自由に使って何がいけないんだ?」


そして、その声だ。


全ての可能性とピースが組み合わさって出る回答は一つ。

フィルが家に上がっているということだ。

大方、俺が昼休みに屋上に入ったときのように、妄想力で鍵を出して家に入ったのだろう。

悠々とさっきまで過ごしていたのが簡単に想像できた。


「今日はもう疲れた、フィルと話す元気もないよ…」

「そうか、でもご飯は食べた方がいいぞ。これはお前の分でもあるんだからな」


フィルの両手には、二枚の皿が握られている。皿の上には結構上等な肉を焼いたようなステーキと、付け合わせの野菜が数種類乗っていた。

ワンプレートとして、きちんとメニューになっている料理。

漂ってくる匂いもかなり食欲を刺激する威力を持っていて、隙が無い。


彼は、料理も出来るのかと感心してしまう。

今の自分の何倍も腕がいいのが見ただけ判断できる。


「疲れているのは分かるが、食事は摂った方がいい。翌日に響くぞ」


俺が立ち止まっている間に、食卓の上に料理が並べられて、食器も用意されていく。かなり手際がいいのがよく分かった。

普段料理は自分でもするが、コンビニや出来合いの弁当に頼ることも多い。

だからこそ、テーブルの上の美食に惹かれてしまう。


本能的に体が椅子に引き寄せられて、卓に着く。


「ありがとう、いただきます」


静かに感謝を告げて、フォークとナイフを握る。

日頃は箸しか使用しないから、マナーなんてさっぱりだが、今はどうでもよかった。

フィルの桃色の瞳に見つめられながら、肉と野菜を口に含む。


予想通り、かなり美味しかった。貧困な語彙では上手く表せないが、焼き方?調味料?何が凄いのか説明できないが、とにかく味がいい。

味以外も、食感、大きさ、全てが計算されている。


体に栄養が走るのを感じる。


そういえば、フィルに構っていたせいで、昼ご飯を食べ損ねていたのを思い出す。

コップの水も一気に飲み干すと、自然と声が漏れた。

つまり、端的に言えば今の俺はガス欠だったということなのだろう。


食べれば食べる程、飲めば飲むほど体に活力が戻ってくる。

フィルに質問する余裕も、聞く余裕も内から湧いてきた。


「とりあえず、フィル。食事をありがとう」

「礼には及ばないさ。お前の健康は俺の健康に直結しているはずだしな。お互いさまってやつさ。俺のせいで昼も食べていないみたいだったし」

「それはいいよ、それより聞いてくれ」

「ん?どうした俺よ」


彼は食事を終えて、食器を片付けようとしているところだった。台所に皿を運びつつ、顔だけをこちらに向けてくる。


俺は帰り道に伊織と話した内容を要約しながら身振り手振りで伝える。

最初は想定通りの内容であったのか、腕を動かしながらうんうんと小さく頷いていた。

しかし、伊織が褒めていたこと、伊織も妄想をしていたことを伝えると一瞬驚いたようで、皿を落としそうになっていた。


成長した俺でも動揺するんだな、と当たり前のことを実感した。

一通り話し終わるころには俺も食べ終わり、食器を持っていくことにする。


「まあ、言いたいことは大体そんなところかな。驚いただろ?」

「うん、一緒に帰っていたのは知っていたけどそんなことを話していたなんてな」


けど、とフィルは続ける。


「一志が最初に話すのは、俺が何でここにいるのかとか、どうして転校生として学校に入れたのかとか、そういうのかと思ってたな」

「俺が昼にやったみたいに鍵を妄想力で作れば侵入なんて余裕で出来るだろうし、学校の方は自分で説明してくれるだろうって思ってたから」


意外そうな顔をしてフィルが手を止めた。


「そ、そうか。」

「それにフィルは未来の俺だ、つまりは自分自身。自分を信じられないで何を信じるっていうんだよ。大体、妄想力でこっちにきたのに、結局消えなかっただろ?フィルにも分からないことがあるってのは分かってるつもりだ」


俺は、スポンジで皿を擦りながら、告げる。

そう、フィルは最初不良に絡まれていた時、自分で時間がないと言っていた。

あれは、出したものが消えることを、妄想力の性質を知っていたからだ。デモンストレーションとしてフィルが出した物体は数秒で消えた。


自分が同じように、消えないことを驚いてるようでもあった。

要は俺より妄想力を把握している彼にもイレギュラーがあったということになる。

そこを追求しても仕方がないと判断したのだ。


「昼も驚いたが、高校の俺って結構大人だったんだな」

「そうかな?」

「ああ、正直落ち着いたらあれを説明しろ、これを説明しろって詰められるものだと思っていたぞ」

「なるほどな。正直なところ、聞きたいのは山々だけど疲れているからね、今日は。聞く元気もないだけかもしれない。放課後は作戦会議でもしたいって思ってたんだけど」

「作戦会議?」


洗い物が終わり、俺たちはソファに腰かけた。

並んで座ると、フィルからはいい匂いがしてくる。

これなら、みんな魅力を感じても不思議じゃないよな。


「昼間いっただろ。伊織を彼女にするって」


納得いったのか、手をポンと叩くフィル。


「そういうことか、どうやって落とすかの方法を考えようってことか」

「そう、伊織も妄想してるって聞いて、白馬の王子様みたいな状況を妄想力を使ったりして再現できればいけるんじゃないかって」

「人を巻きこんでも、記憶は残らないぜ?」

「そうだった…」


頭の中で築き上げた方程式が一気に瓦解していく。

記憶に残らないということも聞かされていたはずなのに、忘れていたなんて。

一人で舞い上がっていた気分がしゅんとしぼんでいくのを実感した。


「まあ、あれは時間がなかったから。かなり説明を端折っていたんだよな…」

「え?」

「あの説明は、現時点でお前が操れる妄想力の範囲を説明しただけに過ぎない。使いこなせる俺はもっといろんなことが出来るからな」


試しに、とフィルは瞳を閉じて、屹立した。

仁王立ちのような体制で、深呼吸して集中しているのが伝わってくる。

するとすぐに、フィルの外見が変わっていく。


彼の周囲をオーラのような緑色の薄い膜が覆い、包み込んでいく。

瞬きをする一瞬のうちに、姿は変わった。


さっきまでの身の丈の半分もない、ペンギンがそこにいた。


フィルは、どうやらペンギンに変身したようだった。

小さな嘴から、フィルの声で話しかけてくる。


「妄想力は、体力を使って行使できる魔法みたいなものだって言うのは説明したな」


言われて、俺は力を使ったとき、疲労を感じていたのを思い出した。

フィルを呼んだと思われるとき、不良に襲われる妄想をしたとき、屋上で鍵を生成した時。

いつでも、疲労感に襲われている。


「多くの体力を身に着け、魔法の熟練度を上げれば、可能な範囲は当然広がる」


体が無意識に震えていた。

フィルは更に、ペンギンの腕を適当に一回しする。

部屋の内装が、変身した時と同じ緑色の光に包まれて、メルヘンな形に置き換わっていく。


こんな自由に、何でもできるようになるなら。

どんなに楽しいことだろうか。

頑張って習得すれば、これが自分のものになる。

それを考えると、興奮せずにはいられない。


「物を出すとか、自分が思い描いた状況を限定的に起こすというのは、初期の初期の範囲だな。現に、状況を起こしても伊織は表れていなかっただろ?あれは修練が不足している証拠だ。まあ、地球の反対から人を引っ張ってくるとか、無理なこともあるんだけどな」


なるほどな。


妄想力っていうのは、体力を消費して出せる魔法みたいなものなのか。

そして、熟練度が足りないと、十分に結果を出せない。魔法で巨大な火の玉を打とうとしても、魔力や操作技術が足りなければ、小さな炎しか出せないのと同じだ。


「だから、物体を具現化させようとしても数秒で消えるし、中途半端なことしかできない。逆に鍛えれば、長い時間物体を留めておくことも、広い範囲で力を影響させることも可能になる。」


俺は、不良から伊織を救出するという妄想をしたが、体力がなく、かつ初めてのことで経験が足りていなかった。

だから、不良が現れるだけ終わってしまい、伊織は現れなかった。


「逆に俺は、やろうと思えば何だって出来るだろう。転校してこれたのも、書類を偽装して提出したり、色々力を悪用したからだしな」


さも当たり前のように事実を語る。


「住所もここで出した。俺たちが親戚というのも、ある意味間違ってないしな。事情はでっち上げたが、なんとかなるもんだ」

「保護者とかはどうしたんだよ…?」

「ああ、そのことか。それは、こうだ」


フィルは一度人間の、美少女の体に戻る。

今度は人間の手で、指先をくるりと回すと、隣に別の人間が姿を現した。身長が高い、初老の男。お父さん、という言葉がよく似合う白髪の混じった疲れた顔。


それが、どうも、なんて喋ってお辞儀をしてきた。

俺はびっくりしながらも、どこか心で納得していた。

これくらいなら、彼には造作もないことなのだろうと。


妄想力は便利な力だと思ったが、同時に恐ろしい。

人間を出すことも容易く行えるなんて、人の技を超えている。

「あんまり動かせないんだけどね」なんて、フィルは説明したが、問題はそこじゃないと指摘せずにはいられない。だけど、ここまで人知を超えた力を示されると、驚愕や感動を過ぎて呆れてしまう。


もう何をされても心が大きく揺れることはなさそうだった。


「だけど、これができるのは俺が訓練を積んだからだ。体力や技術だけは、妄想ではごまかせない。」


フィルは、ふと脱力した。

肩を下ろすのを合図に、全てがもとに戻っていく。

内装も、お父さんのような人物も空に溶けて消えていった。


「ならフィルはどうして留まり続けているんだろうな」


フィル自身は現出してから、今までずっと消えていない。

説明の通りなら、とっくにいなかうなっているはずなのに。

今の俺の力では、フィルを呼び出しても数秒か、全力を尽くしても数分が限界なのだろう。


「それは俺も不思議なんだ。どんなに体力を使っても今の一志じゃ五分が限界のはずだった。だから、俺は時間がないと思ったんだ」


だけど、考えに反して体はこの世界に残った。

それが何を意味するのか、俺には分からない。


「分からないから、考えても仕方がないんだけどな」


特に彼はここにくる直前、絶望して一度自死を選んでいると聞いた。

元の世界に戻りたいとか、そういう気持ちは持ち合わせていないのかもしれない。


「今後はどうするつもりなの?」

「約束したじゃないか。その協力をしようと思ってる。住居はここで事足りるし、特にやることもないからな」


約束、それはつまり、伊織と付き合うために協力すること。


「作戦、えっと方法はどうするんだ?今みたいな力を使うとか?」


今の力を見せられたうえで協力を打診される。

あれを披露されると期待が高まる。

妄想力を使えば、もう既に勝利は掴んだと言ってもいいのではないだろうか。


使いこなせるようになれば、デートをしても確実に成功に導ける。


「それは、明日からにしよう。今日はもう遅い」


俺の期待を知ってか、知らずか、フィルはそう提案してくる。

時計を指さして時間を確認するよう促してくる。

針は既に深夜、いつも就寝している時間をはるかに過ぎていた。ここまでいくと朝の方が近い、それほどに時間は経過していたらしい。


「分かった。明日も学校はあるしな。おやすみ」


逸る気持ちを抑え、俺は自室に戻る。

フィルはソファで眠ることを選択したようで、既に横になろうとしていた。


明日が待ち遠しい、帰ってくる前までの眠気などとうに忘れている。

体は疲労しているが、眠れない夜になった。

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