妄想力3
放課後。
俺がフィルの親戚という情報は瞬く間に拡散される。
そのせいでフィルとコネクションを持とうと画策する男女が話しかけるタイミングを伺ってチラチラとこちらを覗いていた。部活がある男子も、いつもなら真っ先に教室を飛び出していく仲良しの女子たちも、今日はどこか落ち着かない様子。
フィルと話したい、という感情が雰囲気で伝わってくる。
だが、俺にとっては幸いなことに、普段大して人と話さない。
コミュニケーションが嫌だとか、孤高を気取っているとか、そういうのではなく、単純に仲良くするのは申し訳ないからだ。
仲良くなっても俺は頻繁には遊べない。
家庭の事情、アルバイトのことを話すわけにもいかない。
打ち明けても、気を使わせてしまうのは必然。
そうなるよりは、事情を知っていて、昔からのなじみである社や伊織と遊ぶのが一番俺としても楽なのだ。
だからこそ、普段あまり口をきかない俺に単独で接近するのは躊躇うのは当たり前のことであった。昼休みに人垣ができたのは、人数がいたからだ。抜け駆けしようとしている彼らが、様子見をしているのは当然のことといえよう。
荷物をまとめて、カバンを背負う。
なんにせよ、今日も今日とてバイトからは逃げられない。
皆には少し申し訳ないが、退散させてもらおう。
大体、フィルに橋渡しをお願いされても何をすればいいか分からないしな。
立ち上がり、フィルの方を振り返る。
社を中心に幾人かが既に声を掛けているようだった。
アイツは彼女がいるだろうに…。
「凄い人気だね、フィルさん」
そのとき、後ろから話しかけられた。
意外にも、声を掛けてきたのは伊織だった。
話しかけられるとは思っておらず、俺は少々大げさに驚いてしまう。
そんな俺の反応を見て、彼女は笑った。
「そんなに驚くことないのに。変な一志」
柔らかい表情に見とれてしまう。
気を取り直して、落ち着くよう努める。伊織には動揺を悟られているようだが。
それでも、フィルと一緒に伊織を彼女にすると決めた以上、あまり緊張ばかりしているわけにはいかない。
「ああ、ごめん。話しかけられるとは思ってなくて」
「また考え事してたんでしょ?最近一志、ずっと上の空って感じ」
半分は正解だ。
高校に入ってから、特に最近は働く回数が増加している。
それのせいでもあるが、授業中は疲れから集中力を欠いて、惚けてしまうことも多い。
俺が妄想に耽るのも、そうした疲労を紛らわせるためでもある。
だけど、今考えていたのはフィルのことだ。
「それもあるんだけど、フィルのことで考え事してたんだ」
「フィルさん…?そういえば親戚だって言ってたね」
どうやら、教室の中で伊織も話を聞いていたようだった。
まあ、あれだけ騒いでいれば嫌でも耳に入るだろうが。
「うん、昼に少し話したんだけど、今どこに住んでいるのかとか聞きそびれちゃって。聞きたかったんだけど…」
俺はフィルの周囲を指さした。
伊織は一瞬振り返って、納得しように、小さく頷いた。
「確かにあれじゃあ、どうにもできないね」
フィルの机の周りには、人がたくさん集まっていて、隙が無い。
本人の姿でさえ、ピンクの髪の一部が覗いたり消えたりする程度でしか見えないくらいだ。人の数から察するに、他のクラスの人間も多いのだろう。
正直、昨日の夜はどうしていたとか、これから何を協力して進めるか話し合いたかった。
というか、自分の将来の話に夢中になっていて、忘れていたが、そもそもどうやって転校生になれたのか、根本のところから聞いていないことを思い出す。
「そういうこと。俺はもうバイトがあるから帰ることにするよ」
「そうだね。じゃあ、私も帰るし、途中まで一緒に帰ろう?」
伊織は寄って、上目遣いをしてくる。
彼女は俺よりだいぶ背が低い。
自然とこうした目線になるのだが、寄ったことで彼女の匂いも伝わってきた。
俺は頭に血が上るのが自分でもわかった。
フィルと共に頑張ると、彼には言ったが今は一人で作戦もない。
急激に人は成長することもないので、少しどもりながら、
「あ、ああ。そうだね。そ、そうしよう」
と首を縦に何度も振った。
俺は、ここで一つの作戦を思いつく。
この帰り道の中で、伊織をデートに誘うという作戦。
上手くいけば、一気に距離が近づくだろう。
「今日はなんだか、大変だったね」
帰り道、そんな思いを胸に登校時と同じルートを辿りながら帰路に就く。
同じ道を歩いていても、朝と夕方、行きと帰りでは景色が変わって見える。
もちろん、普段は自転車で、今日は歩きであるという差異もあるが。
「まさか、転校生がこんなに人気なんて思わなかったよ」
やはり、一番の違いは、隣に伊織がいてくれることだろう。
今朝もそうであったが、俺たちは普段共に歩くことは少ない。
というよりほとんどないと言っても差し支えないほどだ。
理由は単純で、彼女は歩きで、俺は自転車を使うから。
フィルが来て、妄想力が身について一日。
状況は好転しているように感じられた。フィルは、未来では結局付き合うことはないと言っていたが、杞憂に終わるかもしれないな。
「フィルさんは特別だと思うよ。凄い綺麗だし」
いや、デートは何度かしたとも聞いた。
実は、今のところは彼の轍を踏んでいるだけとう可能性もある。
まあ、今は話を聞けない以上、考えても詮無きことだ。
「でもフィルは男だよ?声も男のそれじゃないか。女子はともかく、男子もメロメロだなんて」
「性別に関係なく人を引き付ける魅力があるってことじゃないかな?」
伊織は唇に指をあてて、考えるようなしぐさをする。
ちなみに、伊織は部活には所属していない。
俺と同様に帰宅部であるが、彼女は社と似たようなもので人望と人気がある。
「確かに、目とか髪とかきれいな色してるよな」
友達とよく遊んでいるし、偶に告白されていると噂も聞く。
情報源はもちろん、社であるため信憑性は高い。
さっきも、教室を出るときに数人の男子に睨まれたのを思い出す。
確かめるまでもなく、彼らも思いを寄せているのだろう。
「それもあるけど、あの明るい性格とか、気さくな感じで話しやすいからね。見た目以上に魅力的な人だ
と思うな。勉強もできるし、運動も得意だって聞いたし、凄いよね」
伊織はフィルをそう評したようだった。
彼は、彼女に振り向いてもらえるように努力したのだ。
今のセリフを聞かせてあげたいくらいだ。これを聞いたら、報われたと泣いて喜ぶに違いない。
「本人が聞いたら喜ぶだろうな」
気が付けば、俺はそうこぼしていた。
「流石に恥ずかしくて本人には言えないよー。一志が言ってあげなよ」
頬が少し赤く上気している。本当に恥ずかしそうな顔だった。
「俺だって言えないよ、男を褒めるのも難しいのに。あ、いやフィルも男か」
大体、俺がフィルを褒めたら自画自賛になってしまうじゃないか。
「そうなの?フィルさんとは結構親しい感じに見えたけど。でも、そういう歯の浮くセリフは好きな人に取っておくのがいいかもね」
「ならしばらくはお預けだな。好きな人なんていないし」
不意に好きな人、なんてワードが飛び出して俺は焦った。
誤魔化すようにまくしたてる。
好きな人に向かって、好きな人がいるんなんて正直に言うのは無理だからだ。
この場ではいないと断言して乗り切るしかない。
思春期特有の強がりと言われればそれまでだが。
いたずらっ子のように、伊織が口角を上げる。
俺をからかうときは、いつもこの表情をするのをよく知っている。
「ふーん?そうなんだ。一志が最近考え事してるの、そういうことかと思ったんだけどな」
「ち、違う、ぞ。それはさっきも言ったけどフィルのこととか考えてて…」
「今日はそうかもだけど、昨日とかは違うよね?」
昨日は本当にバイトで疲れていて、惚けているだけだったのだが、上手く口が回らない。
自然と俯いてしまった。
こういう質問をされるときは、頭の回転がいつもより悪いのだ。
俺が沈黙していると、伊織は俺の左手を両手で包んできた。
顔を上げると、今度は心配そうな目をしていた。
「嘘。本当は疲れてて、いっぱいいっぱいなんだって知ってる。私、最近結構心配してたんだよ?あんまり話せてなかったし。それに、今日もバイトなんでしょ?」
空気が一変したのが分かった。
二人して歩みを止めて、立ち尽くす。
彼女が俺の身を本気で案じているのが伝わってくる。
俺たちは社も含めて、付き合いが長い。俺が恋心を恥じて中々話しかけられていないのを抜きにしても、毎日同じ教室にいるのだ。
俺の調子など遠目からでもお見通しだったのかもしれないな。
こうしたからかいも、彼女なりの茶目っ気なのだろうか。
だとしたら、心配しながらも普通に接してくれたのには感謝したい。
俺は、彼女の手を、右手を使って包み返した。
純粋な感謝の気持ちを伝える、そこに恥じらいは必要なかった。
「心配してくれてありがとう、伊織。でも俺は大丈夫だから」
精一杯、笑顔で。
「確かに疲れてるけど、授業中寝たりして体は元気なんだ。本当はいけないことなんだけどね。寝てるのは伊織も知ってるだろ?」
「うん、私一番後ろの席だから。一志のことはよく見てる。」
それでも、授業中惚けているか、寝ているかの俺を案じてくれたのだ。
正直かなり嬉しい気持ちが込み上げてくる。
俺は照れるし、席も前の方だから普段伊織を見ることはあまりない。
それでも、俺のことを見てくれていたというのは初耳だったし、良い誤算だった。
「社にも相談したんだけど、考え事じゃなくて妄想してるだけって真剣に聞いてくれなかったから…そんなことないよね?」
訂正。悪い誤算だった。
高ぶった喜びの感情は驚異的なスピードで引いていき、警戒心が圧倒的に強くなる。
確かによく妄想してるし、そのおかげで妄想力なんてのも身についた。
社と雑談する中で、どんな妄想をしているのか一端を話したこともあったのを思い出す。
まさか、社の奴が漏らしていたとは…。
いや、まだ内容まで知ってるとは限らない。
落ち着いていこう。
「もちろん、全然妄想なんてしてない…よ」
自分でも目が泳いでいるのが分かる。
俺は、こんなにも嘘をつくのが下手だったのか…。
「へー、やっぱり妄想はしてたんだ。なんかニヤニヤしてるなって日もあったから、ちょっと疑ってたけどね。本当なんだ」
やはり、バレバレだったようだ。彼女に隠し事は出来ないな。
「うう、そうだよ。でも別に悪いことじゃないだろ」
ジト目に当てられて、俺は耐えられなくなる。
でも妄想するくらい、男子高校生としては自然なことだ。
それどころか、人間としても不自然な行為ではない。
怖くて聞く気になれないが、伊織だってしてるはずだ。
悪事がひけらかされると、人は開き直るものらしい。
そのことを体感した。
「まあね。私だってたまにするし。でも一志なら内容によるかな。どんなことを想像してるの?」
まさか、自分からしてると白状するとは。
しかし、今一番問題なのは、そこではない。
伊織が俺の妄想の内容を詮索しているという事実。
正直、何が狙いなのかさっぱり分からない、分かるわけもない。
だけど、ここで一つ例をひねり出さなければいけない気がした。
さっきまで、心配をしてくれていた天使は、俺の心を暴こうとする悪魔になっている。
正直にそのまま等身大の妄想を挙げるのは羞恥プレイすぎる。
動かない脳みそを、頭を無理やり振ることで回す。
「空の雲がパンだったら美味しそうだなとか、くだらないことだよ」
ここで、ずっと手を握り続けていたことを思い出した。
俺は、手を振りほどいて、二歩下がる。
手を繋いでいると、思考が伝播するような錯覚を覚えたからだ。
伊織はどこか名残惜しそうな顔をしていたが、特に何もしてこなかった。
「それも嘘。社は、好きな子を助ける妄想とか、好きな子を救い出す妄想とか言ってたけど?」
社!?
いくら友人でも言っていいことと悪いことがあるだろう。
俺は焦燥と、社への怒りで混乱してしまった。
最悪なのは、それが好意を寄せている、つまり好きな人に知られたことだ。
嫌われる予感がして、背中を冷汗がつたう。
頭が真っ白になり、どんな顔をしていいのか、しているのか。
「実は私もね。同じなの。」
狼狽する俺の意識は、一言で再び呼び戻される。伊織は今度はどこか穏やかで、ニコニコしていた。そういえば、彼女は結構百面相で、見ていて飽きないということを久々に思い出した。
幼少期は、こうやってコロコロ表情が変化するのを面白がったものだった。
「私は救い出される側だけどね。好きな人にピンチを救出されて…。白馬の王子様って感じかな。子供っぽいって思うでしょ?」
「そ、そんなことない、よ。俺も似たようなものだし」
「同じようなことを考えている人がいるって知って嬉しかったの。それが一志だっていうから、なおさら。変な聞き方してごめんね」
「いや、いいんだ」
自分を曝け出す彼女に、親近感を感じずにはいられない。
まさか、似たようなことを考えていたなんて。
俺は嫌われていなかった安心感と、同じだという安堵で、地面に足がつくような思いだった。
一回、深呼吸をする。
そこで、一つ疑問が浮かんできた。浮かんだままに聞いてみる。
「ってことは伊織、好きな人がいるの?」
意外な質問だったのか、彼女は少し固まっていた。
しばらく沈黙したのち、慌てるように、
「そ、それは内緒!じゃあ私もう帰るから、じゃあ、またね!」
そう捲し立てて、背後にある建物に入っていった。
意識を建物に向けると、そこはもう伊織の家だった。
俺たちはずっと、ここで話をしていたらしい。
そんなことにも気が付かないなんて、俺も相当動転していたようだ。
伊織が慌てるは滅多にないことだ。
俺は少し呆気に取られてから、一度家に帰ることにした。
結局、俺はデートのデの字も出せなかった。会話の流れ的にも、タイミングがなかったが、それでも誘えなかったのは悔しかった。
当然、その日のバイトは全く手につかなかったのは、言うまでもないことだ。
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