妄想力1

嫌な予感とは思ったよりも当たるもので、フィルはすぐに注目の的になった。その恰好はどうしたの、とかネクタイにスカートっていいねとか、言葉攻めにあっている。


俺は、男子と知って少しは人気がなくなるかとも思ったが、美しさの前には性別は関係ないということなのか、人垣が休み時間の度に形成された。


授業と授業の短い合間ですらこれだけ人が殺到するのだ。


昼休みに突入したら、他クラスや他学年の人間まで来るかもしれない。

アイツの見た目はそれに値するだけの美貌と言えるからだ。

まさか、あの精巧な美しさが作り物だと誰が予想できるか。


夢は夢のままであるのがやはり一番いいのだ。

当の本人は、囲まれている状況を楽しんでいて、特に接触してくる様子はなかった。どうして学校に来たのか、妄想力について教えて欲しい。色々と聞きたいことはあったが、あれだけ人がいる中、話しかける

勇気はない。


連れだして、問いただすなどの手段は以ての外だ。

だが、それよりも大きな問題がある。


「では、転校早々で悪いが、この問題は分かるかね?ユードルト君」


つい先ほど終わったばかりの数学の授業。

転校生がどれほど勉強が出来るかを把握するためにフィルに問題を振った。

まあ、彼の場合は見目がいいから少し話してみたいという気持ちが教師にあったのだろうと、俺は踏んでいる。


こうして、フィルは数学の問題を一問、解く運びとなった。

クラスメイト達は転校生の情報が少しでもほしいのか、注目していた。


かくいう俺も、おそらく周囲とは別の理由で彼を見る。


彼は、将来の自分だ。


年齢は不詳だが、おそらく高校を卒業してかなりの年月が経っているはずだ。

数学の内容なんて頭に残っていない可能性も高い。

俺は勉強が好きではない上に学力も低い。


変化がなければ、問題を解けない方が自然だ。

だがしかし、勉強が出来るようになっていてくれれば、という願望もある。彼は見た目も良くなり、強さも理想に近い能力を有していた。それは不良との戦闘からも明らかだ。


顔はマスクだが、あの肉体は一朝一夕で成せるものではない。

だから、知力にも期待が高まる。


「それは~です。」


その勝手な俺の期待と、クラスメイトの視線に答えるようにフィルは回答した。

問題は、教科書をそのまま引用したものだったが、難易度が高い旨の記載がある一問。

教師は、答えを確認して、


「正解だ。凄いじゃないか。」


そう感嘆していた。

教室内が賑やかになる。転校生が才色兼備であることが判明したからだ。

凄いな、今の俺解けなかったぜ、なんて声が聞こえてくる。

俺は、自分のことのように嬉しかった。


そうか、俺は将来こうなることが出来るんだ。

努力をして、彼に追い付けるよう頑張りたいという思いが生まれた。

フィルのようになれれば、伊織にも振り向いてもらえる。


そんな無根拠な確信があった。


だが、フィルは問題を解いた後、着席をしなかった。

こちらを見つめて、嬉しそうに表情を緩める。


「俺、結構頭も良くなったんだぜ、凄いだろ一志」


その一言は、俺が一気に注目を浴びるのに十分な威力を持っていた。

俺とフィルの関係を探る男の視線が突き刺さる。


いや、男だけじゃない。女子の視線も多く混じっていた。

フィルの回答で丁度良く一区切りついたところで、授業が終わった。


この次の時間は昼休み。


俺は、フィルの腕を掴んで教室を飛び出すことにした。

とにかくこの場を逃げる必要があると、脳がそう判断していた。


真相を求める人々が、俺たちを追いかけてくるのが分かる。アッチよ、こっちだ!なんて声が背中から聞こえてくる。


フィルは呑気なもので、何処に行くんだ?と笑っている。

この状況で笑顔でいられるなんて大物に成長したものだ。


俺は必死に走って、右に左に廊下を駆ける。


うちの学校は一階が職員室等、二階は三年生、三階は二年生、四回が一年生という、年功序列を感じさせる作りになっている。


階段まで行くと噂を聞きつけた三年生が下から何人か向かってきているのが見えた。フィルの桃色の髪は目立ちすぎる。後ろからは当然同級生が来ているので逃げ道は上しかない。


幸い、一年生にまでは情報が回っていなかったようだ。


特にまだ誰の姿もなかった。


しかし、時間はお昼時、食堂や売店で昼を調達する生徒がいるだろう。

彼らが向かってくるとなると、このまま廊下を進んでも逃げ場所はない。


そういった理由から結局俺は屋上の方に逃げ延びる。

もちろん、屋上は漫画やアニメのように自由に開放されていない。

それでもここを選択したのは一つ策があったからだ。


俺たちは屋上の扉の前に立つ。

扉を施錠している鍵は古い南京錠タイプだった。

俺は、右腕を前に出して、一度深呼吸をした。


漠然と、この鍵穴を開けられる鍵を想像する。

色、形、南京錠と聞いて思い浮かぶ大雑把なカギのイメージを頭の中で固めていく。それが目の前に出てくるように願う。


すると、ズン、と体力が奪われる感覚に襲われる。

遅れて、右手の中が光って、次の瞬間には鍵が俺の手に握られていた。


「使いこなしてるじゃないか」


フィルの言葉を無視して、錠前を開ける。

開けたと思ったと同時に効力が消えて、物は空に溶けていった。


見つかる前に屋上に滑り込み、一息をつく。

屋上が施錠されていることは皆知っているから、誰もこっちには来ないだろう。

二人して適当に腰を下ろす。天気は曇りのため、春の陽気とはいかないが、大して寒くもなくちょうどい

い気温。


フィルは相変わらず楽しそうに笑っていた。


俺は一呼吸つくと、能天気なコイツを質問攻めにすることにした。


「フィルのせいで大変な目に遭ったじゃないか!何のつもりだよ!」

「高校の時はよく転校生が来て、伊織と奪い合いになったらなとか考えてただろ?それを実現させてやろうと思ってさ」


フィルは悪びれる様子もない。

それどころか、俺にとって、いいことをしたと考えているようだった。


「クラスメイトはともかく、伊織にはそれじゃあ男が好きなんだって勘違いされちゃうよ…フィルは自分で男ってみんなもう知ってるし」

「それでも何もしないよりはマシだと思うけどな」

「どういう意味だよ」


俺はぶっきらぼうに答える。

疲れたのもあるが、フィルが何を思って行動したか全く分からないからだ。

この態度を目の当たりにして優しく接しようという気持ちは湧いてこないだろう。


「このままじゃ、お前は伊織とは結ばれないんだぜ?」


脱力していたところに、爆弾が落とされた。

さっきまでの疲労や徒労は一気に吹き飛ぶ。


意識が完全にフィルに向く。


そうだ、コイツは未来からやってきたのだ。

結末を知っているのは当然のことだ。


最初に出会った時に聞こうとは思った。しかし、妄想力の説明で、流れてしまったのだ。

いや、発送はあったが、いざ聞けるとなっても聞けなかったに違いない。

今みたいに、失敗する未来を教えられても絶望が待っているのみ。


成功した時の喜びよりも、失敗の悲しみを受け入れる方がダメージが大きいから、それを恐れてき結局聞かない自分が想像がつく。


きっとフィルもそれを見越して、自分から切り出すことを選んだのだ。

だが、一度言われたら逃げるわけにはいかない。


体制を整えて、話を聞く準備をする。

座り直して、フィルに話をするよう促した。


「説明、してもらおうか」


伊織と結ばれない。

だが、その言葉に、想像したほどにはそこまでダメージを負っていなかった。単純にまだ実感がない、それだけのことであったが、話は聞こうと判断した。


「俺は、高校三年間、結局伊織と付き合えなかった」


そこから切り出されたのは、俺、一志が、フィルになるまでの経緯。


フィルは俺から見ると約七年後の自分に当たるらしい。

俺は高校の間は、いやそれどころか現在に至るまでに伊織と交際に至ることは出来なかったようだ。

それでも、社の助力もあって、デートは何回かしたという。


未来でも社が良い友人でいてくれているという話に俺は嬉しくなった。

だが、デートはしても付き合ってくれと口にすることはなかったらしい。

聞いていて自分が情けなくなるが、現状の俺はデートもしたことがないから文句をいうのは違うだろう。


フィルが言うには、切り出そうとすると体が固まるとのことだ。

その感覚は分からないが、嘘をついていないのは分かる。

彼の表情は硬く、いたって真剣だから。


それで、最後のデートの日、言葉を振り絞ろうとしたとき、伊織に言われたそうだ。


「~だから付き合えないんでしょ」と。


台詞が最後しかないのは、言われた本人もなんて言われたか分からないからだ。

自分に集中するあまり、彼女の声が届いていなかった。


その聞き取れなかった一言を最後に、伊織とは疎遠になってしまう。

会うことも、声を聴くことも叶わない生活が四年も続いた。


社に原因を聞いたり、どうにか取り合ってもらおうと、最後のチャンスを求めたが最後まで良い返事は貰えなかった。


原因不明のまま、俺の人生には影が差す。

その後の四年間、当然何もせず、閉じこもっていたわけではない。

伊織ともう話すことも出来ないと悟った俺は、他に意識を向けることにした。

まずは、勉強や仕事、トレーニングに妄想力。


何かに熱中している間は、何も考えずに済む。

それでも、限界はあった。


夢中になっていない時間や、ふと我に返る瞬間、どうしようもない虚しさに心を支配されることがある。

それは、胸に穴が開いたような、そんな思いだった。

社は、女の傷は女でしか埋まらないと言う。


だからこそ、他の女性と交際しようとも考えた。

俺が悪いのに社は親身になってくれて、一緒になって協力もしてくれる。

そうして出会った幾人かの女生とは、デートもしたし、交際に至ることもあった。


しかしそれでも、俺の悩みは晴れなかった。

伊織との最後のデート以来、頭にずっと蓋がしてあるような感覚。

せっかくの社の協力も、努力も灰燼に帰す結果だ。


けれども、彼は良い友人でい続けてくれた。

アイツには頭が上がらない。


そのうち俺の考え方が変化し始めた。俺が俺、自分が自分である限りは幸せになることも忘れることも出

来ないんじゃないかと。何者か、別の存在になり替わることで、現状から脱却が出来ると。

今思えばおかしな話だが、当時は本気でそう思った。


コスプレを始めたのも丁度このころだった。

最初は羞恥心があったが、ウィッグを被り服を合わせてみることを繰り返すと、楽しむ余裕が生じる。

最終的に、自分に一番あっていると思ったのが今の姿だ。

桃色の目と髪を持つ、美少女フィル。


元ネタは今から五年後に放送されるというアニメらしい。

さほど人気のある作品ではなく、大して目立つキャラでもなく。

けれどもフィルにとって名前と姿を借りるほどのお気に入りである。


季節も関係なしにサンタクロースの服を着て、元気に動く元気系。

気が滅入ってる精神に染み込んだようだった。


これも、自分磨きと同様に楽しかった。

結局は、自分は自分以外の存在には慣れないのだと気付くのにさしてじかんはかからなかった。そう感じるのは自分の技術が拙いからだと、自らに言い聞かせて研究を重ねる毎日。気がつけば、外見は別人レベルに変化させられていた。


完成した俺を見てわ社も驚いたようだった。

どうした、とか大丈夫かと最初は言っていたが。


最後には似合ってると言って笑ってくれた。


やはり、というべきか、俺はそれでも伊織を忘れられない。

一時的に忘れられても意味がない。


会いに行こう、会って謝ろう。


そう決意した。


しかしその決意は、社からきた電話一本で打ち砕かれる。


「伊織が事故にあった」


永遠。そう永遠だ。俺は平穏というものはずっと継続するものだと信じていた。

何となく、明日も明後日も同じ日がくる。


だからチャンスはいくらでも作れると無意識に思っていた。

現実はそうではないと、思い知らされる。


それから自分がどうやって生きてきたのか、全く覚えていない。

どんな顔をして最後の顔合わせをしたのか、そもそも葬式には参列できたのか。


それすらも記憶に残っていない。


自分の動転具合は、相当なものだった。

たった一つ分かるのは、その事実一つだけ。

最後思い出せるのは、フラッと外に出て街を歩いたこと。

信号を無視して交差点に侵入したこと。


そう、俺は自死を選んだのだ。


トラック、バイク、自動車。

どれにぶつかったのかは定かではないが。

次に目を開ければ、俺はこの世界に戻ってきていた。

それが、ここに来るまでの話だった。

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