転校生は未来の自分3

俺は昨日のことを思い出していた。


妄想を現実にする力、妄想力を手に入れたこと。

未来の自分を、その力で呼び出してしまったこと。


彼はこの世界に残されてしまったこと。

あのあと不良二人組は目を覚ました。


あれ、何で俺はここに、とか何をしていたんだっけと言っていたが、すぐに去って行ってしまった。

他人は記憶を失うというのは、本当のことらしかった。


「俺のことはフィルと呼んでくれ」


未来の俺は、そういい残すと調べたいものがあると何処かへ去って行ってしまった。

彼、フィルは結局あの格好のまま町を闊歩したのか。

そう思うと、将来の自分が何を考えているのか少し不安な気持ちになる。


見た目は美少女だが、声は男。警察のお世話になっていなければいいが…。


最近は、コスプレ衣装への世間の理解も以前よりは進んでいると聞く。

大丈夫だろうけど、心配だ。

フィルは、未来の世界にやはり帰りたいと願っているのだろうか。それとも、この世界に留まるのか。そこは全く分からない。


彼は未来の自分だ。


何年後から来たのか分からないが、大学生なら学校が、社会人であれば仕事があるだろう。

無理やりこっちに連れてきてしまったようなものだ。

帰りたいと思っていても不思議じゃないし、当然の思考の流れだ。


昨日何処かへ行ったのは、戻る手がかりを探しに行ったのかもしれない。

だけども考えても仕方がない。

ベッドから上体を起こす。


外はもう明るくなっていて、朝日が部屋に刺し込んでいる。


「とんでもないことになったな…」


自分の右手に視線を落とし、呟く。

何か食べ物が欲しい、そう思った。

試しに、昨日のフィルの見よう見まねで、パンを出そうと試みる。


ドクン、と体が脈打ち、体力が少し削られる。少し走ったぐらいの疲労感。

すると右手の上で軽い発光が起こる。極めて薄い緑のそれは丸い形に変化する。

次の瞬間、ポン、とパンが現れた。


試しにかじってみるが、口の中で消えていってしまう。

手に残った齧りかけも同様に、空に溶けてしまった。

お腹を満たすことは出来ないようだ。


だが、これで本当に妄想力を手にしたことを実感する。

昨日は動揺していて、帰ってくるなり寝てしまったが今日は色々試すのもいいだろう。

フィルがまだいるなら、探して話を聞くのが最優先かもしれない。


思いつつ、時計がいつもより進んでいるのに気が付いた。


遅刻。


その単語が頭をよぎる。

フィルに出会って、まだ半日も経っていないが、自分の中で何かが変わったのを感じる。それは、力を手に入れたからか。それとも、非日常を目にしたからか。


それでも、俺を取り巻く環境は何も変わっていない。

俺は相変わらず学生だし、両親は家にいない。

それに好きな人に、伊織に会える機会はそれほど多くないのだ。


ベッドから飛び起きて、カバンを掴む。教科書類は教室のロッカーに入れているので、中身はスカスカだ。筆記用具くらいしか入っておらず、軽い。

顔を洗面所で雑に洗って家を出る。


朝ご飯は金欠なので食べない。

よってそれだけで支度は終わる。

行ってきますと形だけあいさつをして、玄関をくぐった。


俺の通う高校は、家から徒歩で三十分歩いた先にある。

自転車ならもっと早く到着するし、いつもは俺もそうしている。


だけど、昨日妄想力を使ったときに、自転車を倒してブレーキが壊れてしまったらしい。危なかったので歩くことにしたのである。

修理に出すお金もないし、自分でどうにかする技術もなかった。


しばらくは、歩くことになるだろうか。


俺が住むこの町は、都市郊外のベッドタウンとして、住宅街が多い。

そのため、公園や学校が他の町よりは多く存在している。

東に駅があり、西には山が構えている。


駅に近いほど、住宅の家賃が高く、偏差値の高い学校がある。大きなマンションは東に集まり、西に行くほど古い建築物が目立つ。山に行くほど、町の屋根が低くなっていくという嫌にあからさまに階層が可視化されているのだ。


俺が住んでいるのは、当然西側。

西側は、公園が多いため子供もよく遊びに来る。

伊織や社とは家が隣という訳ではなかったが、そうした公園の一つで出会った。


最初に交流を持ったときは小学生だった。

二人と仲良く過ごすのは、今も昔も俺の願いだ。彼らならもっと高いレベルの高校を狙えただろうに、俺と一緒がいいと町の中央付近の高校を選択してくれた。


放課後や休日に、俺のバイトがない日はよく遊ぶ。

だけど、伊織とはもっと親密に…隠さず言えば恋人同士になりたい。

中学生ごろから、恋心を自覚しているが、もう何年も積極的になれず。


思わずため息が漏れた。


妄想の世界なら、いくらでもどうにでもなるというのに。

力を使って格好をつけても、伊織の記憶には残らないのでは意味がない。

結局は自分でどうにかするしかないということだ。


「一志、朝から溜息なんて、そんなに疲れたの?」


暗い気持ちを抱えていた俺は、声を掛けられて我に返った。

いつの間にか横には当人である、伊織がニコニコして並んでいた。


俺は、心臓が飛び跳ねる思いがした。


伊織とは面と向かって話すことはあまりないからだ。

いつも俺が恥ずかしがって、二人きりを避けてしまっている。

妄想は、そうした自分への不甲斐なさの裏返しでもあった。


「あ、いやちょっとバイトで疲れてただけだよ」


咄嗟に誤魔化して、苦笑いをする。

伊織は一歩歩く度にその長い髪が優社に揺れて、こうして近くにいると非常にいい匂いがした。その匂いは懐かしくも優しい、惹かれる香りだった。

幼少期のように、何も考えずに話せていた自分が羨ましい。


「そんなに大変なんだ?お疲れ様」

「ああ、しかも帰りに転んで自転車を壊しちゃってさ」

「それで歩いてるんだね。一志いつも自転車だから、なんでだろうって思ったけど、それなら納得。でも、転んだんでしょ?大丈夫?」

「うん、転んだって言っても怪我はしてないしね」

「なら良かった」


今ので分かったと思うが、俺は会話が上手くない。

彼女は相変わらず楽しそうな表情をしているが、不思議なものだ。

楽しませられるようなことは何一つ話していないのに。こういう場合、いつもなら社が何かと盛り上げて

くれる。今は彼に頼れないので、調子を掴むのに苦労する。


「でも一志もこの時間に登校してるなんて、寝坊したのかな?」


話題を探して沈黙していると、向こうから話を振ってくれた。

その優しさに、自分の情けなさに涙が出るよ。


「ああ、自転車が想定外だったのもあるけど、普通に寝坊だね」

「そうなんだ、実は私もなんだ。一緒だね」


その言葉に心が揺れる。

こういう何気ない一言に、言葉の端々に彼女の魅力は溢れている。


「私たち、一緒に遅れて登校なんて、恋人同士みたい」

「なっ、なっ!」


俺は彼女の言葉に動揺してしまった。

自分の心の内を全て知られてしまっているのかもしれないと焦った。

情けない声を上げて、顔が熱くなる。


言葉一つでこんなにアタフタしているから、俺はダメなのだ。


「なんてね、言ってみただけー」


伊織は、いたずらっ子のように舌を出して微笑んだ。

これだ、彼女のこういう可愛さに、俺は惹かれたんだ。


学校に着くまでの、少しの時間。俺は何を話したのか、自分でも覚えていない。


俺と伊織は、教室が同じだ。

当然のように、社もそうである。


運命のいたずらか、そう疑うレベルに二人とは同じクラスになる確率が高かった。

だから、新しいクラスで特に無理して友人を作らなかったもある。

まあ、話すのはいつも社とばかりではあるのだが。


教室のドアを開け、中に入る。

ギリギリだが、滑り込みセーフだったようだ。


ホームルームは始まっておらず、クラスメートたちは自由にしていた。

いつもと変わらない、学校の朝の風景が広がっていた。


「よう一志、二人で登校とはな…とうとうか…長かったぜ」


自分の席に着くと、社がそう声を掛けてくる。

短髪で長身、明るい性格のスポーツマン。


サッカー部に所属する人気者の彼は、俺の数少ない友人の一人だ。俺は明るい人間ではないが、子供のころからの知り合いであり、どこか波長も合う。数少ない、気の置けない友達だ。クラスでも人望があり、彼女もいる。


今の彼女が何人目かはもう数えるのはとっくの昔に辞めている。


「俺も伊織も寝坊してたまたま一緒だっただけだ、分かってるくせに」

「いやあ、それでも前進だぜ一志。成長したな」


俺の肩に手を置いて、うんうんと頷いている。

彼は、俺が伊織に好意を寄せているのを誰よりも知っている。


そして応援もしてくれている。中学生の頃は何かと二人きりにさせようと画策するなど分かりやすく背中を押してくれたものだった。


最近は、そこまで分かりやすいことはしないが、似たような行動はしてくれる。

それでも、数年進捗がないのは申し訳ないと思っている。

だからこそ、二人で登校してきただけでこの調子なのだろう。


「それにしても、今日はやけに盛り上がっているな」


恥ずかしかったので話を逸らすことにした。

俺の席は、最前列の窓際。


当たりとも外れとも言いにくい微妙な位置だ。社は教室の中央、囲碁で言う天元の位置にある。ちなみに伊織は社の列の最後尾。二人とも中々遠い場所だ。クラスが同じな時点で有難いので、そんなに文句も言ってられないが。


ともかく、そんな位置に席があるので、教室全体の様子がよく見える。

朝はいつも賑やかなものだが、今日は一段と騒がしい。

特に男子が楽し気にワイワイと話し込んでいるのが分かった。


「それなら転校生が私たちのクラスに来るからだよ」


後ろから伊織がそう言った。カバンを置いて、こちらに来たようだった。


「転校生か、それならこの盛り上がりようも納得だよ」


緊張を抑えて、努めて冷静な返答をする。

社がいるときでさえ、普通にするので精いっぱいだ。


「しかも、転校生はかなりの美人らしいぞ。青木の奴が嬉しそうに吹聴してたな」

「一志は転校生の女の子ってどう思う?」


伊織にそう聞かれて、答えに困窮してしまった。


「ちょっと気になるかな、せっかくクラスも同じになるんだし」


無難な回答で済ます。伊織はつまらなさそうにフーンと返す。

正直なところを言えば、とても気になっている。俺は、授業中は妄想に耽ることが多い。それは授業がつまらないというのもあるが、不勉強なため聞いていても分からないからでもある。


考える定番のシチュエーションの一つが転校生だ。


自分は忘れているが、昔に結婚を約束した美少女が突如転校してきて、俺にベタベタしてくる。

伊織と二人で俺を奪い合うラブコメには、何回もお世話になった。

現実ではそんなことありえないが、転校生というだけで色めき立つのは男の性だろう。

と、思考を巡らせていると、先生が教室に入ってきた。


「ホームルームだぞー、席に着けー」


それを合図に全員が席に戻っていく。

いつもはこんなに素直に戻ることはないが、皆転校生の噂を聞いて気持ちが逸っているのであろう。

生徒の心情を知ってか知らずか、先生は早々に切り出す。


教卓に両手を付いて、普段と同じ調子で言う。


「今日は、転校生を紹介するぞ」


彼が促すと、前のドアから一人、生徒が入ってきた。

カツカツと、足音を鳴らし、黒板の前に足を運ぶ。

俺は、その姿を見て、驚愕した。


「な…!」


嘘だろ、という気持ちが先行する。

そこには、フィル、未来の俺がスカートを履いて立っていた。

しかし、女子指定のリボンは付けず、代わりにネクタイをしている。


男子生徒と女子生徒のいいとこどりをしたような服装だ。

先生に促されて、黒板に名前をチョークで記して、自己紹介を始める。

俺とは目を合わせることもなかった。


「皆さん、初めまして。フィル・テル・ラ・ユードルトです。気軽にフィルって呼んでくださいね」


教室に戦慄が走る。当然だろう。

男子はあの美少女の皮と、制服だけを見て転校生が女子だと判断していたに違いない。

俺だって、事前に彼と出会っていなければ、同じようにうろたえていただろう。


そう、彼は昨日聞いた男の声そのままで話していた。

相変わらずあの声は確かに俺が将来、こういう声になるといった感じだった。


「この声の通り、性別は男です。この格好は趣味みたいなものです。よろしくー」


挨拶が済むと、担任は席を指定した。


窓際の一番後ろの席だ。


つまり、俺の列の最後尾ということになる。

それにしても担任は一度も、不思議がる様子や表情の変化がなかった。事前に説明されていても少しはギャップに戸惑ってもおかしくはない。存外、あの担任は大物なのかもしれないな。


そう思っていると、フィルは俺の横を抜けていく。

すれ違い際に、ウインクをしてきた。

何のつもりかは知らないが、一瞬で男子の嫉妬の視線が俺に集まる。

こんな形で目立つつもりはなかったというのに。


勘弁してほしいものだ。

窓の外に顔を向け、皆の視線から逃げる。

空に厚い雲が覆っていた。


波乱の予感がするのは気のせいだろうか。

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