転校生は未来の自分1

俺は窮地に陥っていた。


俺はバイトの帰りで浮かれていた。夕飯を調達するためにコンビニに寄ろうと画策していた。一本裏路地に入り、自転車を走らせていたところ。


呑気に、こんな路地で伊織が窮地に陥っていたらどうするか、なんてことに想像力を働かせる余裕があった。


設定を考える。

典型的な不良二人に、こういう裏路地で絡まれる伊織。俺は、普段はバイトばかりでクラスメートたちはおろか、社や伊織にも実力が知られていないという設定。

俺は襲い掛かる彼らの魔の手をあっという間に制圧して、好きな子を救出する。


そういう、妄想。


だが、そのせいで現状の把握が遅れた。

気が付けば。

俺の周囲は霧に包まれていた。


突然、急な疲労感に襲われ、危険を感じて自転車を停止させる。

辺りを見回す。自分を中心に半径十メートルより先は霧に包まれ何も見ることが出来ない状態になっていた。


上に目を向けても、同様に霧が広がるのみで、空は閉じていた。

時刻はほとんど夜で、既に街灯が点いている時間。

その光が遠く感じるほど視界は悪く、二本先の電柱ですら、視認できない。


それはまるで、霧のドームに包まれたような感覚。


「霧か…?」


その光景を前に、俺はそう呟くことしかできなかった。

俺の住む町は都市郊外にあり、普段は街灯や住宅、点在する店の存在のおかげで、そこまで暗いわけではない。むしろ、夜の散歩に呑気に出れるくらいには明るさは確保されているものだ。


そのはずなのに、急に霧の中に閉じ込められ、脳が混乱する。

何かの気のせいだと思いながら、転ぶと危険なので自転車を押して歩いて進もうとする。


しかし、霧に入ろうとしたところで、何か壁にぶつかった。


「え?」


鼻を打ち、俺は痛みから後ろに転倒してしまう。

自転車が倒れ、ガシャン、と大きな音が虚しく響いた。

濃霧は、ただの気象現象ではなく、本当に俺を出さない壁となっていた。

俺は冗談だろ、と思いながら、立ち上がって霧と向かい合った。


しかし押しても、触ってもその先には手が届かない。

そこに、コツン、コツン、と更に不安を煽るように背後から音が響く。

振り返ると、霧から二人の男が現れた。


男二人組。


一瞬、人が現れたことで俺は安心を覚えた。ホッとため息がこぼれる。

だが、俺はその二人の格好と立ち姿に違和感を覚えた。

一人は、短ランボンタンツータック、そして派手に染められた長い髪。もう一人は、トラ柄が入った黒い

ジャージに、サンダル。


どちらも、自分が伊織が路地で不良に絡まれたらどうするか、という妄想をする中で登場したヤンキーと似たような格好をしていた。

俺が、現実ではできもしない喧嘩を経て、倒すような二人。

だが、妄想と違って顔に精気が感じられない。


表情はなく、まるで機械人形が歩いているかのようだ。

俺の中でああいうタイプの男は、何もなくても常に怒ったような表情で威圧しているイメージがあるが、それとは正反対な様子。


だが、状況が状況なだけに、別の想像が浮かんでくる。

彼らはゾンビで、俺を襲いにやってきた、とか。この霧はどこかの工場から漏れ出たもので、人をゾンビに感染させてしまう、とか。


一歩一歩、あまりにも規則的にこちらに向けて歩いてくる。

俺は、周囲の雰囲気と、向かってくる彼らの足取りに完全に恐怖した。

その様子が、俺の馬鹿気た妄想を肯定しているような気さえした。


完全に空気の飲まれてしまい、ただ立ち尽くすしかなかった。

ただ、無機質に距離が詰められていく。


背中には霧の壁、前から男たちが迫ってくる。

その異常な状況で一体どれだけの人間が動けるというのだろうか。

もはや、何もすることができず、思考を回そうとした時には、もう既に二人は距離を詰め終わっていた。


ジャージの方に、胸倉を捕まれ、抵抗も出来ず、持ち上げられる。


「俺は、伊織を、襲う役割、を担っている」


短ランが、俺の様子を見ながら、そういった。

人間の声なのに、機械に録音した音声を流したような不気味な響き。


「俺は、一志に、倒される役割を、任されている」


ジャージが同じような調子で、俺を掴み上げながら、そうこぼす。

この状況で、伊織や自分の名前、知っているワードが話されるのがどれほど寒気がすることか、説明するのは難しい。


首にナイフを這わされるような、死を連想させる恐怖。

それが、眼前に迫っていた。


「だから、俺と殴り合いをする」

「だから、俺を倒すために動け」


何を言っているのか、理解できない。

二人は、それで全てを話し切ったのか口を閉じる。


更に、寒気を感じさせる不気味な笑みを浮かべた。

男の腕には強い力は込められていた。


持ち上げられると服が引っ張られて苦しくなることを初めて知った。

俺は、首が詰まるのを感じる。


呼吸が浅くなり、脳に酸素が行き渡らなくなる。

だんだん、思考が鈍り、視界が背景とは関係なく白んでくる。


「うう、」


苦しみの中、最後に思ったのは、何故か理想の自分の姿だった。

年は、今よりかなり成長した姿。

金銭的な呪縛から解放され、肉体的、精神的に成長を遂げて、伊織に見合うだけの外見を手に入れる。

誰に恥じることもない、立派に成長した姿。


そう成長していれば、こんなチンピラに負けることはないだろう。

現実逃避するように。

あるいは、現実と向き合うために。


そこまで努力した自分なら、伊織に認められるかもしれない。

そんな、ただの願望。

助けを求めるために、叫ぶことも叶わない状況。


最後、完全に、意識が飛ぶ前に見えたのは、振り上げられた拳。


「―――!!!」


あとは、ただ殴られるのみ。

そう思っていたのに。

再び、大きな疲労を感じた。

しかし、先ほどよりも遥かに体力が奪われる。

気絶しそうなくらい、眩暈がした。


「大丈夫か!」


顔の横から、何者かの叫びが、拳と共に伸びてくる。

一撃は、ジャージの顔面を捉えて吹き飛ばした。

ウっ!と短い悲鳴を上げて、相手は抵抗する暇もなく宙を舞う。

俺を掴んでいた手は主が吹き飛ばされたことで、自動的に離れていく。


俺は地面に落下した。重力を受けて、尻を打つ。

思ったより高さはなかったので大して痛くはなかった。

締め上げられていた、首元が一気に解放され、空気が全身を巡る。

俺は全力で呼吸をしながら、顔を上げてみた。


見ればジャージの男が、数メートル先まで飛ばされており、地に伏していた。

短ランの方は飛ばされた仲間を見て、俺から距離を取るように後ずさる。両者の表情に変化はなかったが、恐れているような、ひるんでいるように見える。


不思議なことに、俺はその何者かの手に、安心感を覚えた。

一瞬でそれまでの恐怖が、霧散していくのを感じる。

一撃が、一本の腕が、その場の空気を支配したのだ。


「どうした、向かってきなよ」


と、そこに声が響いた。なんとなく、聞き覚えがある、男の声。

いつの間にか、俺と不良の間に、一人の少女が舞い降りていた。

こちらに背を向けているため顔は見えない。


綺麗な長い桃色の髪が、視界に揺れていた。身長は俺と同じくらいで、細身の体格。

纏っているのは、赤い衣装に赤いブーツ。


知っている中で当てはめるなら、サンタクロースの女性版といった風貌。


赤い帽子の先には白い小さなポンポンが踊り、彼女の肩には白い大きな袋が掛かっている。袋は、プレゼントが入っているのか、彼女の背丈の半分ほどの大きさに膨らんでいた。


「もう大丈夫だ」


少女は、男の声で振り返りながら、そういった。

瞳、唇、髪、全てが桃色。美しくも可憐で、俺が理想とする顔立ち。

その少女の顔で、太く安心感のある声を出され、俺の脳は混乱する。

ただ、呆然と見上げることしかできない。


男?女?


いや、そもそもこの人は誰なのだろうか。なぜ俺はこの人に初対面にも関わらず、こんなにも安心感を寄せているんだ。たとえ助けられたからといっても、見知らぬ相手に、家族同然の親近感を感じるなんて。


「俺、一志と戦う」

「俺、伊織浚う」


真っ先に動いたのは、不良たちだった。

まず、少女に近かった短ランが先に動いた。


今までの機会のような鈍い動きとは、打って変わって機敏になる。

表情は変わらずだが、右腕を振りかざし拳を握りながら、サンタクロースに突進していく。

標的は完全に少女に向かったようだった。


対して、彼女は特に焦る様子も見せず、むしろニコッと笑って見せた。

そして、まるでバットでもスイングするかのように、プレゼントが入るあの白い袋を遠心力を使って回し始めた。


回転させて、そのまま後ろから前に振りぬく。

袋は俺の鼻先をかすめながら、勢いよく短ランの腹に命中した。


「――!」


危ないじゃないか、なんて抗議する余裕はなかった。

袋に当てられた男は、その重量を以て霧の壁に打ち付けられる。衝撃を受けて完全に伸びたらしく、完全に気を失ったようであった。


「俺、一志と戦う」


だが、まだ状況終了とはいかない。

もう一人のジャージの不良が、少女のすぐ傍に迫っていた。

彼は右腕を大きくの横に広げ、ラリアットの構えを取っている。しかしその腕が、攻撃に入るよりも早く、既に少女はよける体制を整えていた。


小さく屈み、両手をアスファルトに添える。

少女は腕を中心に、逆立ちするように体躯を操る。

上に伸びた両足が、揃ってジャージの男の顎を突き上げた。

次の瞬間、男は、綺麗に弧を描き、仰け反る姿勢で飛んでいく。


ドサッと、敵が音を立てて、地面に落ちる。

この短い時間で完全に、少女の勝利が確定した。

俺は、その鮮やかな技に快哉を上げた。最初の恐怖や、首を掴まれた痛みなどを忘れ、ただ少女の動きに見入ってしまう。


「綺麗だ…」


俺がそういうと、なぜか彼女は笑った。

その声は、やはり男の声をしていた。

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