第2話 美しい男。

その路地裏からようやく歩き出し、気づけば家の前に立っていた。俺が住んでいるのは、とあるマンションの一室だ。

鍵を開け、靴を脱ぎ、部屋に入る。

「おかえり、春輝」

「ただいま…」

キッチンで鍋をかき混ぜる兄貴の横を通り過ぎ、スーツのジャケットをソファーに放り投げ、そのまま自分の身体も投げ出した。

…まだ、不思議な気分だ。ふわふわとした心地と、違和感が抜けない。俺は本当に夢でも見てたのだろうか。

「…飯は?」

「ちょっとでいいけど食う」

キッチンから投げかけられる声に、簡単に返事をすれば程なくしてスープの椀と、ご飯が運ばれてきた。

「なに、疲れてんね」

「まぁ、ね、色々あるんですよ…色々…」

「ふーん。」

キャベツと玉ねぎの味噌汁に、きのこの炊き込みご飯が湯気を立てる。

自分から聞いたくせに俺の話には興味なさそうに、テレビのスイッチを入れて、最近お気に入りだと言うタレントの番組をつけた。ソファーに寝たままの俺に構わず、頂きます。と呟いてご飯を食べ始める。


…俺の兄貴、四宮雅秋はいわゆる自宅警備員ってやつである。だがしかし、家事も完璧にこなし、料理も美味い。自宅警備員といえど、本当に自宅にいるだけで、なにやら在宅で仕事はしているらしい。

どんな仕事をしているかは知らないが、兄の部屋を覗けば画面には基本アニメか、FPSゲームが映っている。家から出るのは地下アイドルのライブの時のみ。


兄貴と二人暮しなのはこの歳になって少し気恥しいが、まぁ楽だし助かっているのも事実なので暫くはこの生活を続けるつもりだ。

テレビでは、タレントの男が微笑んでいる。

「てか、珍しいね兄貴がそんなに男の人追いかけんの。」

「…え、いや追いかけてるわけじゃないけど。」

「嘘つけ、最近あの人の写真集とか買い漁ってんだろ。」

「……。」

俺の質問を華麗にスルーして眼鏡をくい、と持ち上げテレビからは目を離さずにもぐもぐと炊き込みご飯を咀嚼する。…まぁ、どっちでもいいんだが。

寝返りを打って、その画面の男を見る。

その男も、中性的とまではいかないが、いわゆる美人と呼ばれる類であろう。長めの藍色の髪。その襟足から覗く、スラリと伸びた首筋。どちらかと言えば細めの目、…そして、紅い瞳。優しそうなのにどこか掴みどころのないような、そんな男。


…なぜだか、先程の猫が頭に浮かんだ。

今日はやけに美人な男を見る日だ。一旦忘れてしまいたいのに、取り憑かれたようにその画面を見続ける。

蓮、と言ったか。このタレント。

歌もそれなりに上手いらしく、アイドルのような、マルチタレントだろうか。

「…俺、男に目覚めたかもしんねぇな。」

「いや、がっつりハマってんじゃん。」

ぼそり、と衝撃的な事実を呟いた兄貴の目は見たこともない色をしていてなんだか居心地が悪い。

でも、まぁ、ほんの少しなら目覚める気持ちもわからなくも無い。…だって、どう見ても美しい。

沈黙が落ちた我が家に、画面の男の揶揄う様なクスクスという笑い声が響く。また混乱しそうな頭を落ち着けるために、1度目を閉じた。



「…いや、だから見たんだって!ほんとに!」

「あはは、面白いこと言うなぁ春輝。」

「おい、信じてないだろ。」

「いや、だって…なぁ?」

翌日、会社の昼休憩の時に同僚の遥介を呼び出して昨日見た化け猫の話をした。誰かに簡単に言い振らせるような話ではないが、こいつは別だ。

大学の同期で、なんの運命か今も同じ部署に配属されている。

営業成績も、顔面偏差値も、スペックもそこそこな俺に対して、こいつは仕事も出来れば顔も良く、頭も良い上にとんでもなく優しい。…いわゆる完璧人間だ。

同性としてたまに悔しくなることが…無いでも無いが、なんせ面白くて良い奴だ。

「それで…その化け猫とやらに会いたいって?」

「いやそれがさぁ、」

何者かに連れ去られたのか、それとも自ら姿を消したのかはわからないが、あの風が吹き荒れた後何事も無かったように消え去ったのだ。

その存在を捕まえることなどできない。探す手がかりなど、あるはずがない。

どうすることも出来ないのに、もう一度、会いたい。

「…すっげぇ綺麗だったんだよ…。」

「へぇ…。」

今でも鮮明に覚えているあの紅。ゆらりと揺れる尾。

ぴこぴこと動く耳。…捕まえたくても捕まえられない気まぐれさえ、本当に猫のようだ。

なぜ、あんな所にいたのか、本当に人間なのか、はたまた妖なのか。…これは夢なのか現なのか。

…聞きたいことは、沢山あるのに、どれも聞く術を持たない。

ふと、隣の椅子が引かれた。そちらに目を向ければ、最近転勤してした後輩がトレーを持ったまま笑った。

「ここ、いいっすか?」

「…あぁ、いいけど。」

あざっすとフランクに返しながら、その後輩は天かすの入ったうどんを啜り始める。

「晃くん、本当うどん好きだよねぇ。」

「え?…あ、そっすね。」

遥介がそう言えば、少し気まづそうに目を逸らした。

で、何の話っすか?と聞いてきたので、先程の化け猫の話をこいつにも聞かせてやることにした。

「…またまたぁ、春輝さん疲れすぎっすよ!」

「やっぱ晃くんもそう思う?…1回病院でも連れていこうかなぁ…。」

「ちょっとまて、信じろって!!」

後輩にも笑われて、もう完全に俺の話は作り話になってしまった。遥介が先戻るわ、と言って一足先にトレーを持って立ち上がる。俺もそろそろ行くかなぁ、と考えている時に隣の晃が先輩、と声を漏らした。

「ん?」

「…先輩って昨日どこで見たんでしたっけ、その化け猫?」

「え、桜駅前の路地裏だけど…」

そう答えると、視線は丼に落としたまま、そうですか。と呟いた。信じてくれる気になった!?と飛びつけば、その後輩はそんなわけないじゃないっすか!と笑い飛ばした。



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