窮鼠猫を噛む。

きゃらめるもか。

第1話 月光と紅。

ちり、と鈴の音が聞こえた気がした。


なぜだか分からないが、足を止めた。

秋へ移ろい始めた少し冷たい風が、辺りをふわりと通り過ぎた。帰り道の途中で買った缶ビールがビニールの中でコツンとぶつかる。

いつも通りの帰り道。何百回と往復した家への道。

そのはずなのに、何だか不気味だ。


また、ちりと小さな音がした。

思い切って振り返ってみても、そこにはただ街灯と月明かりに照らされたアスファルトが見えるのみ。

目を凝らしても何も無いと分かっているのに、そこから動けない。


ちり、とまた鈴の音が聞こえた、気がした。

呼ばれているのか、ただの幻聴か。

どこから鳴っているのかも分からないのに確かに後方から聞こえたその音に導かれるように、ふらり、と踵を返した。


ゆらゆらと視界が霧かかったようにぼやけていく。

只事じゃないのは理解できるのに、ちり、ちり、と次第に音を増す鈴の音に導かれるように今歩いて来た道を足が自然に戻る。

どこに連れていかれるのか、自分はどこへ向かおうとしているのか分からない。

ふと、紅が目に入った。目の端に映ったそれを追うように路地裏へ目を向ける。

そこには、美しい紅色に金糸の着物を纏った男がいた。白い肌に、艶やかな黒髪。

一瞬女性のようにも見えたが、確かにそれは男の姿だった。男と言うより……少年のような、

そして、……微かに震える2つの三角とゆらりと伸びる髪と同じ色の尻尾。

路地裏の大きな月の前で、蹲るその男は、明らかに弱っているのに、異様な程に美しかった。

その姿は、まるで


「……化け猫?」


思わず呟いた言葉に、勢いよく紅が翻る。

こちらを振り返ったその目は、鋭い輝きを秘めた黄金だった。だが、睨みつけたも一瞬、元から丸い目を大きく見開いて、地面を蹴った。


「!?おいっ、」


唐突に距離を詰めてきた影に思わず後ずさり、カバンで目の前をガードする。そのまま押し返すと、少し離れた距離。


「ちょ、な、なに急に……。」


それには答えず、これまた綺麗な朱色の鋭利な爪が、こちらに向かってくる。咄嗟にその手首を掴めば、その猫のような男は、突然ふにゃり、と力を抜いて、そのまま崩れ落ちる。寸前。何かを呟いた。


「…あの……」

「っ、嘘だろ……、」


手首を掴まれたまま、地面にぺたり、と座り込み朧気に何かを呟く。カバンを床に置き、そのままそいつの目の前にしゃがみこめば、ピク、と耳が震えた。

……いやいや、嘘だろはこっちのセリフなんだが。これは夢なのかはたまた現か。


「……とりあえず、怪我ない?」

「…は?」

「いや、蹲ってたし。」

「……ない。構うな。」


存外低いその返答にやはり男かと確信した。

なんだその言い草。仮にも心配してやってるんだ。

しかも急に襲いかかってきてそれはないだろう。

静かに手首を解放すれば、紅に染った指先はへたり、とアスファルトへ落ちた。


「…あの、ハロウィンならまだ早くない?今から練習してんの?気合い入ってんねぇ。」

「っ、コスプレじゃねーよ…!」

「うぉっ、急に大声出すなって、」

「これはっ、……!」

「……これは何よ。つーかなんで襲いかかってきたわけ?」


そう問えば、唇を噛んで俯いた。

そんなわけないのは分かっている。

先程の不思議な現象も、この異様に手の込んだ有様も。ただのコスプレじゃない事くらい。


……でも、そうでも考えなければ説明がつかない。

普段から何を考えているかよく分からないと、周りに言われるが、こんな状況でも大声を上げたり逃げたりせず、妙に冷静な自分が嫌になった。


「まぁ、ここじゃアレだしとりあえずどこかに……。」


自分の手を伸ばし、その肩に触れようとした。

その瞬間、突風が吹き荒れ、思わず目を瞑る。

いや、突風というか、何かがものすごい勢いで通り過ぎた様な。


収まった風に安心して、ゆっくり目を開けた。

すると、静かに木の葉が舞い上がっていて、ただ確かに何かが起こったことは分かる。

ただ先程の紅など跡形もなく、闇夜に美しい三日月が揺れている。


「……え、あれ?」


夢か現か。

先程までとても信じ難いがきっと現実なんだろう。

と理解しかけていた頭が、また混乱する。

本当に、夢なのだろうか。いや、しかし、先程見たのは、きっと。


忘れたくても忘れられないあの光景。

月夜に映える黒い髪、月をそのまま落とし込んだような黄金色の瞳、そして脳裏に焼き付いて離れない紅。

妖の類はあまり信じていないが、あれは妖とだけでは説明出来ない。何故ならば人間の形をしているからだ。霊ともお化けとも違う。

ただ1つ解るのは、その姿は何とも形容しがたい美しさと妖しさを孕んでいるということだけだ。

……もう一度、見たいと、触れてみたいと思う程に。














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